第六十六話 何も無いと何もないがある
人は視線の端に緑を求める生き物だ。どれほど便利な世の中になっても自然を愛するように精神がデザインされている。
マサヤ達に連れてこられた青鬼の夫婦は「深緑の苗」を目の当たりにして涙を流しその場に跪いた。頭を下げて何度も「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べる。二人は大樹に神の存在を感じた。この樹が後に青鬼達の御神木として祀られるようになるのは先の話だ。
青鬼の王は誓う。この地を守り続けると。そして未来永劫争いのない世界を維持していくことを。
緑の魔法使いシータの気持ちは伝わった。これから何が起きてどんな問題に直面するか誰もわからない。けれど同じような結末を辿らない事を信じる。
結局、「暴君の心臓」は手に入れることが出来なさそうだ。この状況で青鬼を殺し心臓を取り出せるサイコパス野郎は仲間にしていない。けれど世界はまだ彼らを見捨てていなかったナオスケから報告がくる。
「標的の位置が変わった。確認してくれ」
その方角にあったのは明らかに「深緑の苗」を指し示している。大樹はまるで「わかっていますよ」と言わんばかりに幹の付け根を開き中から蔓に巻かれた何かを出てきた。それは脈動する小さな物体。心臓のようであり動物のモノではない。けれどとにかくこれを受け取って欲しいようだ。
少年はそれが何か直ぐにわかった。シータの心臓だ。彼女の体もこの装置の中に補完されていた。青鬼が首を垂れて自分達よりも上の者を認識した時点で王の座は移ったのだ。そして彼女の体は暴君を宣言した。少年達に秘宝を渡すために。
カエデが代わりにそれを受け取る。蔓が離れ。繋がりを失っても魔法使いの心臓は脈動し続けた。その行為は暴君では無く世界を愛する「賢者の心臓」と呼ぶに相応しかった。
そしてそれを持って図書館に帰ってきた。いよいよ最後の異界「石の世界」を残すだけとなった。この世界ばかりはナオスケも頭を悩ませる。命の危険がある訳ではない。けれど手に入れたい秘宝は「ただの石」である。祖父ゴウザブロウの記実も生前の話も要領を得ない。そこに転がっている石ころをただ拾って帰る試練では無さそうだ。
どうせ誰が行っても同じならカエデが「今度も自分が行く」と言い出した。けれど父ナオスケが「勘弁してくれ」と頼む。前回の疲れが取れないそうだ。今回はカエデが仕方なく司令塔の座に戻って皆のサポートに徹する。
何が起きるかわからないためまずはマサヤがフル装備で偵察のために転送された。もうこの役が板に付いている。けれど帰ってきた彼は首を傾げながら言った。
「何も…ない。というより何も起きない」
そんな情報だけでは意味がわからない。詳しく聞くとその全貌が見えてきた。転送先は大きな岩の上だ。全体が確認できないほどどこまでも岩肌の地面だった。暗くはないが光も差していない。なのに物が鮮明に見える。奇妙な感覚だ。つまり影がない世界である。
しばらく歩いて周りを探索したが石や岩以外に何も無く。事も起きない。その石を何となく持って帰ってきた。けれど戻ってきたらそれは消失していた。ゴウザブロウの記実通り何もないし何も得られない世界。むしろ何もないがある世界だったのだ。カエデが補足する。
「標的の反応が世界全体から出てるの。これじゃあ逆にわからないよ」
何と厄介な。打つては無いのか。そんな時に視線を集めるのはあの一件以来彼女になっていた。皆の目線に気付いたモトコは人差し指で自分の顔を差し「私?」と言った。
ものは試しだ。あの不思議な現象は今も解明できていない。ただ空間に変化を起こす作用があると仮説できる。モトコと少年のペアで再び親子攻略作戦が始まった。
転送されるとマサヤの証言が本当であると確認できた。早速モトコが心の悪魔を出現させようと奮闘する。けれどあの時のように感覚が上手く掴めない。その間、少年は暇を持て余した。
周りは石ころと岩ばかりだ。色は灰色一色。面白味も何も無い。詰まらない世界だな。そう思った時だった。何となく立っている岩達がこちらを見ているような感覚を覚える。
心なしか凹凸が顔に見えてきた。一番近い岩を凝視する。けれど何もない。するとモトコが言い出した。
「嗚呼来る。来そう…。お願い」
すると前回と同じようにモトコを中心に巨大な心の悪魔が出現した。少年もその周りの岩や石もその半透明な身体の中に取り込まれる。変化は一瞬だ。石質化していたそれらの正体が暴かれる。その一体が喋った。
「驚いた。ワシに雑念を入れよったか。まだまだ修行が足らんようじゃのう」
それは人のようで人でない。言うなれば仙人のような存在だった。世の理を究明する人間達と違い。己の内面に全てを見出した究極の哲学者達の世界であった。




