第四十一話 お城と怪獣
人間が本当に凄いと感じた時の感情は「想定よりもすごい」を意味しているのであって現物が想定よりも遥か彼方にあった場合その存在に気付かないものだ。
リムジンから眺める風景がいつ変化したのか不思議と記憶にない。執事が到着を知らせなければ「まだかな」と退屈に思っていた頃だ。一言で気持ちを表現すると「ここはどこ?」である。見慣れた街並みが姿を消し何処までも広がる大自然の中に王宮がひっそりと隠されていた。そんなイメージだ。
車から降りた少年は屋敷を目の当たりにする。開く扉から大輪の花のような笑顔でカエデがお出迎えをしてくれた。数日ぶりに会えてお互いにとても嬉しそうだ。けれどその次に出てきた女性を見て少女は少し引いてしまった。少年は弁明するように仕方なく紹介する。
「僕の母です。今日はその…見学です」
カエデは一瞬頭にハテナを浮かべたが、そうだと思い出して一芝居打つ。そして軽く挨拶を済ませて真正面に聳え立つ大豪邸へと案内した。それはほぼバッキンガム宮殿である。そこに人が住めるとは夢にも思わない。少年はカエデの事を大富豪のお嬢様だと認識していた。けれどそれはまだ想定の範囲内だった。少女はもはやお嬢様というより一国の王女様に見える。とんでもない人に恋をしてしまったものだ。
一方、義理の母モトコは迫り来るお金の匂いに心臓を高鳴らせ鼻息を荒くしていた。一度は夢見た大豪邸でのセレブな暮らし。これまでの人生が霞んで見える。とても惨めな気持ちだ。彼女は衝動的に思ってしまった。乗り換えよう。今の旦那を捨ててもっと良い暮らしを手に入れてやる。際限のない欲望に火がついた。
モトコは専業主婦だ。海外に単身赴任で年に数回しか帰ってこない夫など楽勝で誤魔化せる。そして自分の魅力には自信があった。伊達に高級クラブのNo.1ホステスの座に君臨していたわけではない。金を持った男の転がし方は熟知している。確か千手家のゴシップに当主の妻が精神病棟に隔離されている事をこの前の騒動で知った。きっと女に飢えているはず。私が全力で誘惑すれば直ぐに落ちるだろう。そう思っていた。
その野望を秒で見抜いている少年はナオスケさんを侮るなと心の中で思う。自分には想像もできない英才教育を受けてきた男だ。流石に人妻には手を出さないはずだろう。きっとそうであってくれと心から願う。
扉が開き屋敷内の玄関口がその姿を表す。脳裏にはもう美女と野獣が降りてくる階段シーンとバックコーラスが鳴り響いている。正直感動で涙が出そうだ。煌びやかな装飾とシャンデリアの光。少年の貧相な感性ではこの感動をうまく言い表せない。もう「スゴーイ!」の一言である。そんな少年にカエデは頬を緩ませて言った。
「お口が開きっぱなしで御座いますよ。リクト様」
物凄く自慢げである。少年は恥ずかしくなり赤くなる。そんな雰囲気をぶち壊す怪獣がこの時になって目を覚まし暴れ始めた。
「スッゲー!お城だ!」
モトコの手を乱暴に振り解き、好き放題走り回る小さな大怪獣。それを慌てて捕まえようとするが高いヒールが足元をフラつかせる。そして取り押さえようと手を伸ばしたその時。遂に足を滑らせてしまう。けれど転ぶことはなかった。何故なら咄嗟に支えてくれた紳士的な男性が駆け寄ってくれたからだ。
「お怪我はありませんか?」
見上げたモトコの世界はスローモーションのようにゆっくりと時を刻み始める。3K。高身長、高収入、高学歴。そして体育会系爽やかイケメン。モテ男の三種の神器だけで無く。最強の武器エクスカリバー級の容姿を兼ね備えたマサヤの登場は剣が岩から引き抜かれた瞬間の眩い輝きを放ち。私の王子様枠に無理矢理捩じ込んで来た。厳しい現実で閉ざされてしまった少女の心の扉はバタバタと開放され全力で彼を受け入れた。もうモトコは母ではなくただの女になっていた。
「だぃじょぅぶですぅ」
マサヤは「なら良かった」とモトコを立たせ少年の元に行く。何事もなく去るその背中を「嗚呼」と寂しげに手を伸ばす。まるで永遠の別れのようであった。すると背後から又もや例の怪獣が騒いでいる。ミネコがその坊やを羽交締めにして捕らえていた。
「コラ!大人しくしなさい!もう暴れないで!」
坊やは「離せ離せ!」と駄々をこねる。けれど終始満遍の笑みで意外と楽しそうである。ヤンチャな性格が一目でわかる。勿論襟足だけ異様に長い。モトコは我にかえり愛息子の名を叫んで怒る。
「コラ!ガイア!!」
その場にいた全ての人が微妙な表情になる。きっと地球という漢字名が頭に浮かんだだろう。その通りだ。
少年はとても居た堪れない気持ちである。今日はもう十分だ。もうこの場から立ち去りたい。けれどそんなわけにはいかない。近くのカエデとマサヤに「本当にごめんなさい」と謝る事しか出来なかった。あの親子はそんな事はお構いなしだろう。
とにかく早く帰ってもらおう。話し合わなくても共通の認識として理解し合える。そこからはまるで試練が始まったかのような緊張感に包まれるのであった。




