第四十話 義理の母親と義理の息子
何が起きているのかさっぱりわからない。その女性はインターホン画面に映る燕尾服の好々爺を見る。そして用を告げられるのであった。
「リクト様をお迎えにあがりました」
目を細める。とてつもなく怪しい。けれど詐欺にしてはやり過ぎだ。一瞬迷ったけれど恐る恐る玄関を開けた。好々爺は英国紳士を思わせる凛とした立姿で待っている。そして女性が出迎えたのを確認するとさりげなく胸に手を添えてゆっくりとお辞儀をして見せた。それは惚れ惚れするような所作である。そして自分の素性を明かした。
「私は千手家にお仕えしております。執事のポロシェンコと申します。どうぞ、よろしく申し上げる」
何と素敵な人物なのか。女性はその姿に見惚れていた。千手家とはどう言う事か。あの夢にまで見たセレブの頂点。旦那もそこそこの高級取りだけれど生活の基準が天と地ほども違う。女性は主観的にそう思っていた。しかし次の言葉で彼が何故ここまで来たのか。その理由を思い出す。
「リクト様はいらっしゃいますでしょうか」
それはショックだった。どうしてアイツなのか。理由の見つからない嫉妬が不要な憶測を連想させる。さてはとんでもない迷惑をかけてしまったのだろうか。もうこれ以上好き勝手にはさせない。日頃から募らせる邪魔者への不満を激らせていた。頭に血が上った女性は深々と頭を下げる。
「申し訳ありません!あのク…息子が何かご迷惑をお掛けしたのならこの通り謝ります。ですから…」
女性は大きな勘違いをしているようだ。続く言葉を遮って執事は少年の名誉に懸けてそれを訂正する。
「何か勘違いをなされているようですが…。リクト様は我が千手家の重要な客人に御座います。むしろご迷惑を掛けているのは我々の方ですよ」
そう言ってニッコリと頬を上げ愛嬌のある笑顔を見せた。女性はそれを信じられない風で見つめる。何とも受け入れがたい悔しさだ。少年への深い嫌悪感が見受けられる。それを嘘で誤魔化した。
「息子はちょっと留守にしておりまして今いないんですけど、そのぉ。親としてもよく分からない方に、はいそいですかってお預けするのはあれなのでぇ…」
女性はアレコレ理由を付けてお引取り願った。けれどそのやり取りを少年はこっそりと後ろで聞いている。もう嫌気がさすと執事にアイコンタクトを飛ばして茶番を終わりにした。
「モトコさん。僕はちゃんとここに居ますよ」
義理の母モトコはギョッと固まる。込み上がる激情を抑えた。そして絞り出すようにして自分が繰り広げた道化の数々を弁解する。
「あんた居たの…知らなかったわ。一体何したの。お母さんに説明しな?」
完全に怒っている。他人が居なければ感情のままに少年に当たり散らしていただろう。少年の目に感情はない。無駄にショックを受けて自分で自分を傷付けるのは止めにしたのだ。逐一相手にしていたら精神が持たないのである。
少年も本当の事を言うつもりは無い。自分を親だとこの女性は恥ずかしげもなく言い放ったがそんな関係は築けていない。信用など何一つ持っていないのだ。適当に話を作って話した。
「僕は勉強だけが取り柄だからね。千手家が開催する勉強会に招待されているんだ。全然普通だから」
まるでそう言うモノが当たり前のようにある言い方だ。少年が学校で首位をキープし続けている事はママ友から聞いた事があった。けれどその他行事などは行く意味がわからない。だから授業参観など行った試しが無かった。反論が思いつかない。そして斜め上の回答を出した。
「わかった。私も行くから。息子がどんな事をしているのか見たいので。それがダメなら…ポロシェンコさん。この子を行かせる事は出来ません」
最悪だ。少年はそう思いながらも顔には出さない。執事と目が合うと好々爺は頷いて、任せてくださいと言わんばかりにフォローを始めた。
「左様で御座いますか…わかりました。では席を用意しましょう。どうぞあちらへ」
そう言って手をある方向へ差した。そこには高級リムジンと運転手がお辞儀をして待っている。モトコは魂が抜けるような息が口から漏れ出る。正直ウットリとしていた。そしてハッと気付く。自分が今スッピンである事に。
「ごめんなさい!ちょっと…その。お時間を少々。すぐにお支度をしますの…」
言い終わる前に家の中に消えていく。その支度は2時間を要した。モトコが白々しく現れる。その姿は身体のラインがよくわかる派手なワンピースと高いヒールを履いている。客観的にキャバクラ嬢を思わせる風貌だ。それもそうだモトコの前職がそうであった。少年はその事実を直接聞いたわけではない。何となく父が再婚相手を連れてきた時に勘づいていた。そういう経緯がある。
それはそうとして待ちくたびれた少年はもうリムジンの車内だ。中で紅茶を一杯頂いている。ホッと香りを楽しんだ優雅な気分はガラス越しに見えたケバい女の姿でぶち壊される。腹違いの幼い弟も手を繋いでやって来ていた。ため息が出る。この後巻き起こる騒動が手に取るようにわかって憂鬱な気分にさせるのであった。




