第三十八話 命の重さと守る力
命の重さは人の数か質か。たった1人よりも100人の命の方が重いのか。凡人よりも天才の命の方が重いのか。愛すべき人よりも全人類の命の方が重いのか。平和な世の中で暮らす人々にそれを選択する機会は稀である。
けれどカエデにとって今がその時だった。愛すべき人もその他大勢の見知らぬ人々も全てひっくるめて守りたいと傲慢にも思った。
この街に暮らす市民が全員知人という事はない。知らない人の方が多いだろう。けれど知識として住民の総人口は記憶にある。その数が無抵抗のままに。子供達が惨たらしいままに殺されるなど耐えられない。その思いが彼女にとっての力だ。
ニーナの持つ潜在能力はその為にある。カエデの武装は図書館をフルメイルで包んだ。殺戮と暴力をこの館内から出させはしない。見方を変えれば世界の方が武装されたようなものだ。少女は無防備である。代わりに世界は鉄壁の防御に守られていた。
そしてこの場には父ナオスケがいる。長いこと父親らしい事が出来ていなかった。信頼を取り戻す為ではない。ただもう後悔を重ねるつもりも無い。自分に出来る最善を尽くす。伊達に財閥のトップに君臨していたわけではないのだ。そこは侮らないで欲しい。先頭に立って戦うのがリーダーの仕事ではない。誰よりも先に変化に気付き最善の一手のために虎視眈々と準備と根回しをするのが仕事だ。それは実に地道である。カリスマ性のないナオスケだからこそそれを徹底してきたのだ。その背中を息子と娘に教えるにいい機会だ。
「マサヤ、ドラゴンにどんな名前を付けた?」
「…アテルイ。名前はアテルイです」
マサヤにドラゴンの全てを教えたつもりは無い。だが彼はその真髄に近づいていた。けれどまだまだ甘い。この場を借りて親子でのOJTが開催される。
「マサヤ。カエデは私達が命に変えても守るぞ!いいな?」
マサヤは「勿論です!」と気合を込めて返事をする。ドラゴンに名前を付けた以上主人の変更は出来ない。この砦で最大の戦力はアテルイだ。その真の力が発揮される。
父ナオスケが呪文を唱える。それをマサヤが復唱した。それは「覚醒」を意味する。アテルイの肉体が変化を始めた。体が強烈に成長し欠けていた何かが生え膨張する。そして古い殻を脱ぎ捨て脱皮した。その姿は伝説に見たドラゴンそのものだ。もうグリーンイグアナの面影はどこにもない。ナオスケがそれに話しかける。
「どうだアテルイ。ブレスは撃てそうか?」
マサヤはドラゴンと言葉での意思疎通が難しい事を経験で知っている。だがその思い込みが一瞬で裏切られた。
「五分ってところだ」
アテルイは流暢な日本語で話した。それは覚醒の恩恵であり力の片鱗だ。ナオスケは「それで十分だ」と答える。マサヤは父の言われるがままである。手取り足取りでの指導だ。そして唱えた。その意味は「最大の放出」。溜め込まれた炎を全て解き放つ命令だ。アテルイは言われた通り全力を込めた。
口の中に溜め込まれた熱量がこれまでと天と地ほどの差がある。敵は直ぐそこまで来ていた。化け物達が目を血走らせて固唾を飲んでいる。中々向かって来ないのはドラゴンに怖気付いているからだ。けれど我慢の限界である。短気な命知らずが一体こちらに向かって駆け出すとそれに釣られて怒濤の如く迫り始めた。
そして満を辞してドラゴンのブレスが放たれた
る。それはもはや炎ではない。一本の光線だ。それに直撃する前に放射した熱で化け物達が次々に蒸発する。マサヤは思った。半分の力でこれ程なのかと。敵で無くてよかったと心からそう思う。これでしばらくは時間が稼げる。後はミネコと少年が上手くやるだけだ。
その頃、少年は地下の狭い通路を進んでいた。ミネコがバカンス中に図書館の見取り図をじっくりと見ていたその時に思いついた攻略ルートである。ゴウザブロウの日記が確かなら化け物達は真っ先に地上を目指しそのまま玄関口へ雪崩れ込む。正規のルートでは何処かの地点で鉢合わせになるだろう。そうなれば鍔迫り合いが起きて中々異界の門を閉じる事が出来ない。それを回避するための作戦であった。
とても静かだ。自分達の足音だけが響く。ミネコが地図を確かめながら迷わないように方向を指示する。そしてとあるポイントに出た。先に道はない。進めば下へ真っ逆さまである。そこは丁度地下水路の集合地点であった。下に見る門は馬鹿デカい。縦20メートル横15メートルはある。これが人間の力で閉まるのか疑問だ。そこから化け物が無尽蔵に湧いて出てくる。極め付けにそれを守護するように四方にキュクロプスが門を囲む。
けれど自分達にはガオウとゲレルの力がある。きっと上手くやれる。そうで無ければここまで来た意味がないのだ。ミネコが合図を出す。
「リクトくん。君は出来る子よ。そして私も出来る子!行くよ!!」
少年は力強く「はい!!」と返事をする。狭い通路から2人は飛び降りた。チャンスは一度だけ。この一瞬を物にする為に全身全霊をかけるのであった。




