第二十四話 全能と黒幕
ドラゴンは見ていた。片方は己の主人で、もう片方は敵である。産まれたての赤子が唯一頼りにするのは本能だ。遺伝子の中に組み込まれた自然界の掟。それが本能である。
己が呼び出された理由など知ったことではない。敵を追いかけて捕まえて殺す。単純で美しいフローだ。その為だけに生きていたい。
「おいミネコ…。コイツ俺を見てる。これはまさか…」
マサヤが後退りした瞬間だった。ドラゴンは反射的に逃げる獲物を追いかける習性がある。その行動はバッチリとドラゴンを刺激した。
脳から神経に伝って身体に逃げろと信号がいく前にマサヤは走り出していた。とてつもない瞬発力である。ドラゴンが遅れをとるなど滅多にない。
ミネコは焦り出す。こんなつもりでは無かった。狙われたのが自分だったらと思うとゾッとする。
「やば、っちょ。どうしよう!どうにかしてみるから!!」
もはや猫とネズミの関係である。捕まったら最後八つ裂きにされるだろう。それは勘弁してもらいたい。それに今日は一日走りっぱなしだ。しかしこれも可愛い妹のためだ。もう一度お兄ちゃんと呼ばせてやる。マサヤはそんなモチベーションで頑張っていた。
ドラゴンにそんな都合は関係ない。目先の獲物にもう少しで手が届くその興奮でいっぱいだった。それがどうしてか水路を前にして急に止まる。
くるぶしまでしかない浅瀬に一切入ろうとしないその姿に誰もが気付くだろう。マサヤの勘も正常に働いた。
「さてはお前…水が怖いのか?」
マサヤは悠然と構えた。チャンスではあるが始末するわけにはいかない。理由は定かじゃ無いがこの円状に囲む水路には入ってはこれないだろう。つまり向こうは籠の鳥だ。
それでもう攻撃される心配はなくなったと思い込んでしまった。ドラゴンは頬を燐火に輝かせる。マサヤは眼を見開いた。間髪付けず放射されたのは代名詞である炎のブレスであった。
「マサヤ!!イヤー!!」
炎が止むと「生きてるぞ!」と返事があった。水路に寝そべるマサヤは手を振る。こんな時でも天性のポテンシャルが発揮された。ブレスが吐き出される前に体は動き避けるようにして水面をスライディングしたのだ。
何という男だろう。潜在する運動能力は計り知れない。もう同じ場所に留まる選択はなしだ。マサヤはブレスの放射範囲外まで距離を保ち走り続ける。
2人は同じ事を思ったのだろう。何とかその炎を樹木に浴びせてほしいと。ミネコには試す必要があった。注意を自分に引きつければ炎の向きを逸らす事が出来ると。そして勇気を振り絞って叫んだ。
「ラガート!!」
案の定、マサヤの虜だったドラゴンはミネコを見た。2人はアイコンタクトを取り何となくわかったつもりだ。
「マサヤ!炎を吐かせて!私が逸らすから!」
頷いたのを見て理解してくれたと判断した。その証拠にチャンスを作るような動きを見せ始めた。けれど上手く逸らしたからと言ってミネコがやられては意味がない。その絶妙なタイミングを狙い。その時が来た。
「吐くぞ!!今だ!」
マサヤが動き続けることで軌道は少しずつズレる。その途中で「ラガート」という声にドラゴンは反応した。拒否権はない。絶対的な契約が本の所有者にある。けれどブレスは止められない。炎を撒き散らしながら樹木の向こう側にいるミネコを探す。そして見事炎は樹の幹に命中した。
樹木は燃え上がった。幹の一部は黒く炭化する。しかし死滅させるまでには至らない。
「クソ…ダメか…」
思っていたほど甘くは無かった。この程度のダメージではまた再生して振り出しである。けれど樹木は何の抵抗も見せなかった。
2人は確信した。炭化した部分は再生できないのだと。後はミネコとマサヤの独壇場だった。
その頃、カエデと少年は拮抗する戦いを続けていた。ニーナのランスで敵の力を吸い取り自分達に還元する事で戦況を何とか維持している。後は堪えて待つだけだ。そしてその時が来た。
怪物は自分の肉体に異変を感じ取っていた。力の供給量が減っている。再生する速度が遅くなっていく。活力を失われていく。それは恐怖と焦りを生んだ。攻撃の正確性はなくなり無差別になった。同士討ちが起こり種は産み出されない。
けれど無尽蔵に力を消費していた勢いを止めることは出来ない。それは怪物にとって麻薬と同じだった。無限の力と全能感を一度でも味わってしまえばやめる事など出来ないのだ。
やがて副反応の苦しみが襲う。体は端から枯れていき悶え苦しむ。攻撃など既に止んでいた。
「やったのね…」
カエデの脳裏にガッツポーズをとるマサヤとドヤ顔のミネコが浮かんだ。
植物にとって一番大事な組織は根である。種類によっては根さえ残っていれば再生できるものがある。そしてその次に大事なのが成長点である。大概のものはここを絶たれると枯れる。この怪物はその類だった。
項垂れて虫の息に成り果てた怪物は哀れであった。いくら強敵で命を狙われたからと言って止めを刺す気にはならない。ガオウは興醒めといった風で後は少年に任せた。
「本に戻しましょう」
そう言われたカエデは頷き迷宮の蔓を開いた。そして「ボタレース!」と唱える。本来なら竜巻が起き巻き戻すように怪物とそれに連なるものが全て飲み込まれて消える。しかし反応はなかった。
これも本体ではないのかと疑心暗鬼な気持ちにさせる。その様子を見た怪物が微笑み答える。
(妾の…故郷の言葉を…知らぬようだ)
本全ての言語が違うのである。撃つ手がなくなった。カエデと少年がこれからどうするか話し込んでいる。その目を盗み何者かが物陰から覗く。それは怪物に合図を送った。
突然激しく笑い出した。これ以上の興奮は死を意味するというのに何の躊躇いもない様子だ。むしろ余裕さえある。何かとんでもない事を知ってしまったようだ。それを小声で噛み締める。
(そうか…そういう事か…。おい小娘!妾の本をその小僧に渡せ!)
本の言語を少年に読ませるという。怪しすぎる提案だ。誰も信じることは出来ない。しかし迷宮の蔓はカエデを拒否し1人でに少年の手に渡る。
少年は再びおかしくなる。自動音声のように耳では聞き取れない言語をただ一言唱えた。今度こそ全てが巻き戻る。消え際に怪物は捨て台詞を吐く。
(これは敗北ではない。妾の勝利だ)
理解不能で謎めいたそのセリフは試練が始まって以来の異常事態を予期させるものだった。




