第十二話 不安とカラクリ
全くもって非現実的な時間を過ごしていたものだ。疲れ切った体と心は休息を必要としていた。試練を始めた時の太陽は空高くドラゴンを倒した頃にはもう沈んでいた。日が暮れてからの続行は心身ともにキツいものがあった。
普段通りの生活がリハビリのような効果をもたらし現実離れしていた思考もようやく普通を取り戻し日常に支障をきたさない程度まで回復した。少年は変わらず学校に通い、時折ミネコの指示がないかスマホを確認する程度でそれ以上に踏み込むことはしなかった。返信は一言もなくこちらから連絡することもなかった。その下に過去行なったカエデとのやり取りがまだ残っている。何か連絡をする口実はないか。少年は悶々とする毎日を過ごしていた。
「悪魔の囁き」を除いて二つの試練は攻略済みといったところだろう。エスカレートする内容に怖気付いたわけではないが自分では率先してチャレンジしようとは思えなかった。それをカエデに言ってしまえば助手失格だしもしかしたら自分はあの場に居なくても攻略できていた可能性もある。
カエデとマサヤがドラゴンを退治した時それ以前の記憶が全くなかった。少年にしてみれば気絶しているうちに事か終わっていたようなものだ。
むしろその空白の時間には自分ではない別の誰かの記憶が入り込んでいた。ここではない別世界で起きる様々な出来事。そこはまさに妖精の園であった。
それを見てから毎日その場所の夢を見るようになった。朝目覚めるとその事をメモに書き留めるようにとミネコさんからミッションを賜った。
カエデさんは中々助手としての指示をしてくれないがきっとこの日課も役立つ日が来るだろうと欠かさない。
あんな事があったと言うのに千手図書館は嘘みたいに平常運転していた。いつも通りの顔ぶれが来館しそれらしい話が出ている様子もない。考えようによってはホッと安心できる要素でもあるがもし誰かが図書館で死んでいたらと思うとゾッとした。
図書館にカエデは来ない。来館するときは試練の再開を意味するからだ。したがって少年が個人的に入り浸っても残る悪魔の囁きは聞こえないのだ。
招集がかかるまで待つのは退屈であった。非日常を味わってしまった今ではただ消化試合を続ける事はできなくなっていた。
普段なら定理や公式に関する本を読み漁って応用問題や発展問題を開発するのが趣味だった。それがいつしか図書館の隅々まで観察して新たなるカラクリと秘密を暴く事にすり替わっていた。
現在一つカラクリが解けそうで解けない最もスリリングな場面に直面している。司書の目を盗み本棚の一列分の本を棚から下ろした。棚はその分1センチ程上昇する。
腕力をもって持ち上げては意味がなかった。そしてもう一列の本を下ろしても違っていた。それを本の並び順だと仮説を立てまるでダイヤル式の南京錠を解くかのように色々なパターンを試していた。
不要な本が特定出来てからは鍵となる本を探す様になった。
鍵は全て世間一般に出版されていないこの図書館オリジナルの本ばかりであった。内容は読める様な代物ではなく発行年数の古い本から検索をかけるとすぐにヒットした。
カラクリ棚はあともう1センチで中に隠されている日記を取り出せるほどの広さになりそうだった。
少年は題名の頭文字が意味を成している事に気が付いて最後の本を残る隙間に嵌め込んだ。すると本棚は見事浮き上がる。その中にある日記を取ろうとしゃがみ込んだ。
「コラ!何をしているんだ君は!」
少年は青ざめて急いで振り向いた。
「ごめんな!…さい」
そこには完全に出来上がった顔のミネコが腕を組んで仁王立ちしていた。ミネコにとっては少しからかっただけのつもりだったが小心者である少年にとってはドスが効き過ぎていたらしく眼には薄らと涙が浮かんでいた。上目遣いで許しをこう表情はこの時のミネコにとって毒であった。
「あらま…」
偶然起きたシチュエーションはミネコにとってドストライクな展開だったようだ。その後の少年の安否は定かではない。
その後、少年はカエデに連絡する口実を得て喜んでいた。早速報告すると喫茶店に誘われて行く事になる。
「リクトくんは頼りになるね。さすが私の助手!」
カエデは少年の手をとって喜びを表現した。少年は満更でもない。これが少女の小悪魔的戦略かどうかは確かめようがないが少年はカエデのためならどんな苦難でも乗り越える心持ちを増長させていた。
早速、読んでみると日付から数冊先のものである事がわかった。しかしヒントはこれまでのものより明確である。それだけ祖父はここからの試練に難儀していたのだろう。今言える事はこの先の試練に知的な妨害者が現れる予兆が書き記されている事だった。
「この次の試練の事は書かれてなさそうだね」
「ごめんなさい」
カエデは「良いのよ」と励ました。何せそれ以上の情報を持ってきてくれたのだから。
「私1人じゃこれから何も出来ないわ。リクトくんが言った通り私は…君が必要よ」
まるで告白されたような気持ちで少年は再び頭脳をスパークさせ昇天寸前にまで追い込まれたのである。




