第十一話 疲労と達成感
大図書館室。それはこの千手図書館最大の面積を占めている。凡そ50メートルプール8個分の広さと床から天井まで10メートル以上の高さを誇り本棚は天井目一杯まで伸びている。
この場を牛耳るフェアリー達は思い思いの場所を陣取っていた。追いかけっこをしたりお喋りに興じて我が物顔で居座っている。
そこへドラゴンの足音が響いた。
彼らの視線は一方に集中して固まる。咄嗟に逃げるようにして一斉に集まり出した。続々と集まるうちに大きな大きな塊に育っていく。それはまるでサーディンランのように蠢く別の生物に見えた。
遂に迫り来るドラゴンに追い付かれ大図書館室への侵入を容易に許してしまった。ゴシック調の扉を豪快に破壊し瓦礫を被って現れたのはまさしく巨大な爬虫類だ。全身をゴツゴツとした岩のような鱗に覆われ、そのフォルムはほぼグリーンイグアナに近かった。
頭から尻尾の先まで全長10メートルを超える巨体がぐんぐんと中に押し込められる。少し疲れたのか息は荒くその口からは時折火の粉が漏れ出ていた。
「ドラゴンは俺に任せろ!」
「え!?マサヤくん!」
無謀としか言いようのない行動であった。それが自分の役目であるかの様に彼は闘う気でいた。マサヤには勝算があった。ドラゴンをいなす術は全て知っている。それがマサヤに確たる自信を与えていた。
「お兄ちゃんと呼べって言ってるだろ」
少年とカエデの背中を優しく押したマサヤはミネコの手を解いてドラゴンのもとに駆けていく。その決意を受け取ったミネコは少年らの手をとって上に続く階段を駆け上がった。
「さぁ行くわよ2人とも」
1人残されるマサヤはミネコの鞄を手にした。その中に閉じ込められているはぐれフェアリーを掴み上げるとその姿をドラゴンに見せ付けるのであった。
最悪の天敵を目の前にしたフェアリーは恐怖した。急いで仲間の元に行く事は叶わず震える唇で命乞いをし始めた。けれどそれはただの命乞いではなく呪文のように聞こえた。突如何処からともなく天から神秘的な光が1人と1匹に降り注ぎマサヤとフェアリーは未知の力を得た。
ドラゴンはそんな事もお構いなしに大きな口を開けて噛みつこうと迫ってくる。誰の目から見ても絶望的であった。そう思った時マサヤの姿が残像を残してズレて見えた。
その姿を追いかけるように一噛み二噛みと何度も攻撃を加えるドラゴン。しかし手応えなく翻弄されていなされてばかりだ。それを向こう見ずに繰り返して行うものだから遂には疲弊がみえ始めた。
お遊びはお仕舞いだと言わんばかりに終止符を打っち、ドラゴンは頬を燐火に輝かせ膨らんだ頬にヤケクソの炎を溜め込んだ。口から吐き出された炎は鞭で薙ぎ払うかの様にマサヤを襲った。けれどそれがマサヤに届く事はなかった。彼の持つ天性のポテンシャルとフェアリーが起こした奇跡でドラゴンは完全に体力を削られていく。確実な打開策を打つことは出来ないが時間を稼ぐ事がぐらいは可能だった。
その頃、少年たちは吹き抜けの中間にある廊下に居て形成された群衆を見ていた。しかしそれは複数の分身に分かれどれが本物なのか見分けが付かない。
目視では埒が開かない。咄嗟に鞄から妖精の園を出したカエデは本からヒントを得ようと速読を試みた。しかし見たこともない文字で書かれたそれは解読困難であった。
ただ少年だけは何にかを読み取り始める。不思議と羅列する文字が生きた数字に見え始めた。一文を目で追うごとに答えが浮かび上がり発音が頭の中で再生される不思議な現象を体験していた。
その言葉は「僕を見て」と意味していた。
少年は自動音声の様にその言葉を唱えた。すると群衆の一つがこちらを向く。おそらくその一つが本物であると目星を付けた。続けて「ここまでおいで」と手招きする。
「凄い…どういうこと」
少年は遠くを見てこの場に身体だけを置き去りにし何処かへ行ってしまっているかのようだ。虚な瞳で文章を次々と読み進めて行く。
もう目の前に呼び寄せたフェアリー達がそこにいて彼に付き従い続く言葉を待っている。
少年は最後に「お帰り」と言うと竜巻が起こり本の中に吸い込まれるようにして消えた。
足元に竜の隠れ里が落ちる。カエデがそれを拾い上げた。おかしくなった少年を揺さぶり声をかける。
「リクトくん、大丈夫?」
少年は夢を見ていた。ここではない見たこともない世界。森の木々が歴史を語り鳥達は旅人の道案内する。そして少年はノームにもてなされ宴と共に一夜を過ごした。
「目を覚まして!」
少年は「はっ」とようやく我に帰る。何が起きたのか誰もわからない。だがいち早くこの本をマサヤのところまで持って行く必要があった。
まだ心ここに在らずな少年の手を引いて急いで階段を降りた。大図書館の下は炎が燃え広がりつつある。それを避けるようにしてマサヤが奮闘していた。
「マサヤ!今行くから!」
マサヤには振り向く余裕もなかった。激しく続く攻撃を一撃でもくらって仕舞えば致命傷は免れない。それをもう何分も避け続けている。体力は限界に近かった。
カエデは少年の手を離し「竜の隠れ里」を持ってマサヤのもとに全力で駆けていく。すぐ近くまで来て兄の勇敢な後ろ姿を見た。汗でビッショリと濡れ湯気がもうもうと立ち上がる。所々に傷を作り普段の凛々しい姿はどこにも無い。けれどもこれまで見たどの姿よりもカッコよく見えた。
「ここからどうすればいいの?」
「本を開いて唱えろ。ヴォタレース!」
振り向く事なく余裕のないさまで指示が飛んできた。こんな所で失敗はしたく無かった。意識を集中して言われるがままにカエデは唱える。すると空間が沈黙し無音が訪れた。時間が巻き戻るかのように周囲の炎と共にドラゴンの鱗、皮膚、肉、骨の順に剥がれ落ち本の中に吸い込まれて齎された破壊は全て元に戻った。
「良くやったカエデ」
「うん!お兄ちゃん!」
懐かしい響きがした。
4人は達成感と共に一つの峠を越え、諸手を挙げて喜んだ。




