王子と龍
……もう、限界だ。
一人の少年、ノラスが、足を引きずって森の中を歩いていた。
「…クソっ。もう俺一人だけになっちまった。」
鎧も捨ててきたし、服もボロボロだ。
そろそろ…休まなければ。
「あ、あれは?」
洞窟だ。あの中に隠れればしばらくは追っ手から逃れられるかもしれない。
足の痛みに耐えながら、洞窟へ入った。
「とりあえず奥まで進まないと…」
明かりのために左手に魔力を込め、小さな火の玉を作った。
洞窟がオレンジの光で照らされ、見通しが良くなった。
「よし」
視界の不安がなくなると、今度は音の違和感に気づいた。
何か、獣の息遣いのような荒い息が聞こえる。
ノラス自身の息でないことは明確だった。
「……動物?」
もし猛獣だったら襲われかねない。
右手に魔力を込めて、いつでも放てるようにしておきながら奥へ進むことにした。
奥へ進むほど、息の音は大きくなっていく。
より警戒を強くし、姿勢を低くして歩く。
足は痛むが、それよりも目の前の恐怖が上回っていた。
歩くたびに血の匂いも強くなってきた。
「くっ…」
戦場を今まで何度もこなしてきたとはいえ、この匂いには慣れない。
顔をしかめながら歩いていると、手元の炎の光が急に広がるのがわかった。
広い空間に出たらしい。
次の瞬間。
「誰だ!」
誰かの大きな声が目の前から飛び込んできた。低く、響いた声だ。
「……!お前こそ、誰だ」
こんなところに人間がいるはずがない。魔力を強め、火を大きくした。
すると、そこには……。
ドラゴンがいた。
ドラゴンはまれに人間の住む場所に現れ、時には災害を起こすこともある。
人間はドラゴンを恐れるもの、信仰するもの。さまざまにいる。
いずれにしても人間にとっては脅威であることに変わりはなかった。
「人間に語る名などないっ!」
ドラゴンは炎を吐こうとした。
「やばいっ!」
防御魔法を慌てて展開した、ドラゴンの全力に耐えられるか…。
目を瞑った。
が、何も起きない。ドラゴンはどうにも力が出し切れないようだ。
血の匂いはこのドラゴンから出ているようだった。
「お前も傷を負っているのか」
舐められたらお終いだ。できるかぎり高貴に、力があるように振る舞わなければ。
「ぐ……。人間に心配されたくはないわ」
「俺も今、傷を負っている。お前と敵対したくはない。ここは収めてくれないか」
声が震えそうになるのを堪えながら言った。頼む……。聞き入れてくれ。
「そう言って、油断したところを殺すつもりであろう!」
ドラゴンは叫んだ。
「分かった。お前の傷を治してやるから、それでどうだ」
「あ!?それならまず、お前自身の傷を治すべきだろ」
「これは自分には使えないんだ。ほら」
右手を前に出し、魔力を込めると白の光が放出され、ドラゴンに注がれた。
「これは……!」
ドラゴンの傷は治ったようだ。
ドラゴンは体を動かし、痛みがないことを確認している。
「ふー。それで、どうだ?敵意はないから、ちょっと休ませてくれ」
その場に座り込んだ。ドラゴンが攻撃してこないことを祈って。
「……分かった、信じよう」
「良かっ……た」
安心すると急に体の疲れを感じ、そのまま意識が落ちていった。
「……ん」
目を開けると、足の痛みがなくなり、体の疲れも取れていた。
「起きたか」
ドラゴンが声を掛けてきた。
「あ、ああ」
やはりこの大きさを見ると、体が引けてしまう。
「我を見て、すぐに殺しに来ないとは珍しい人間もいたものだな」
「ケガをしたままドラゴンと戦っても、死ぬだけ…だ。なぜか、今は傷が治っているけど」
「ふん、そうか」
ドラゴンの声は少しばかり、はにかんでいるようにも聞こえた。
「まさか、お前が治してくれたのか?」
「うるさい。なぜか情が湧いたんだ。自身には体が大きすぎて難しいが、人間一人分くらい楽に治せる」
ドラゴンは首を動かし、後ろを向いてしまった。
「それにしても、なぜお前はこんなところに?」
自分のイメージだと、ドラゴンというものは悠々と空を飛び、どこか人里からはるか遠くに離れた岩山の上にでも寝ているような生物だ。
どうしてこんな、狭い洞窟に隠れているのだろうか。
「人間に言うことなど……。まあいい、教えてやろう」
ドラゴンは少し嫌がったが、目の前の人間には恩がある。
姿勢を直し、語り始めた。
「我は奴らにやられたのだ。あの、蛮族に」
「……蛮族?」
心当たりがある。
まさか、あの蛮族のことなのか。
「ガルアスの奴らだ」
「ガルアス!」
どうやら、自分とドラゴンの因縁は同じ相手のようだ。
ガルアス。それはこの辺りより北西の方に住んでいた民族である。
最近は周辺諸国への攻撃を活発に行っている。
「ガルアスを知っているのか」
「ああ。奴らは……。俺の国を滅ぼしたんだ」
「国、だと?」
「そうだ。俺はもともと、ロンツ王国の王子だったのさ」
「ロンツ王国か……」
ドラゴンもロンツ王国を知っているようだった。
ロンツ王国は、このあたりに存在していた国だ。
もともとは大きな勢力を誇る国であったが、近年ではすっかり衰退し、つい先日の戦いで首都を攻略され、結果として滅んだ。
しかし、王族の一員であったノラスは生き延びた。
「そうだ。俺は復讐したい、ガルアスの奴らに」
「なるほど、面白い」
ドラゴンは少し微笑んだように見えた。
「面白い?」
「ああ、面白い。今まで我が見てきた人間は臆病な者ばかりだった。だがお前は違うようだな」
ドラゴンは目を見つめてきた。恐ろしさはあるが、どこか嬉しさもあるようだった。
「因縁も同じだ。どうだ、我と共に、奴らに復讐しに行かないか?」
「……」
複雑な気分ではある。もしドラゴンと協力したことが知られれば、どんな目で見られるだろうか。
うつむき、目を閉じて考えた。
だが、自らのことよりも、今は……。
「分かった。手を組もう」
顔を上げ、ドラゴンを見据えた。
「ふん、それでこそ、だ」
ドラゴンは上機嫌な声で言った。
「我の名はウーグ・ハーカ。ハーカと呼ぶがいい」
「俺はコルスタ・ノラス。ノラスと呼んでくれ」
ノラスは拳を前に出した。
ハーカもそれに応じ、手を軽く合わせた。
1人の敗れし王子と、1人の敗れし龍。2人の復讐の戦いが今、始まった。