30話 溺れる人魚
「ゴボゴボゴボ……」
休日を越して憂鬱な学園生活に戻ったピガロこと俺の前に、泡を吹いて廊下に倒れている女子がいた。
水のように青い髪をしている少女。
かなり小柄で男としては身長が低いほうの俺よりさらに低い。胸だけは大きいが、短い手足もぷにぷにしているうえ顔も幼く、学生というよりもまだ子供のようだった。
なんらかの病気かと心配した俺は、少女の体を抱いて起こす。なぜか彼女は裸足だった。
「おい大丈夫か?」
「妾は……アイニー……」
「名前なんていいから今なにをしてほしいのか言ってくれ!」
「水……水を……」
「喉が渇いたんだな。分かった」
最近、初夏に入った影響で暑くなってきたせいで熱中症にでもなったのだろう。
アイニーという少女へ、俺は対策に持ってきた水筒を渡す。
「すまぬ。これ以上、力が入らなくて」
「飲ませればいいんだな?」
「ありが……ゴクゴク……」
緊急事態のためお礼にも構わず、俺は水筒をアイニーの開いた口へ突っこんだ。
さて、これで助かっただろう。
俺はひと安心して、彼女の顔を改めて見た。
「ブボー!」
少女の口から吹き出された水。当然、目の前にある俺の顔面にかかった。
なぜだ?
水浸しになりながら悩んでいると、未だにアイニーは苦しみの声を吐き出す。
「すまぬ……すまぬ……」
「なにがいけなかったんだ? 教えてくれ」
「もっと……大量の水を……」
「分かった」
「ゴグゴグゴグゴグ」
無理をさせまいと少量だったのが悪かったらしく、今度は水筒の中身が空になるまで一気飲みさせる。
さてこれで一件落着――
「ブボーッ!!!」
今度はさらに強い噴射が浴びせられた。
そうだよな。考えてみたら少量でも吐き出すんだから、それよりもっと多い量なんて駄目に決まっているよな。
一度のミスで焦り、やらかしを繰り返してしまった。
水を放出したせいでさらに体力を失って弱っているアイニー。
クソっ。こうなったら他の誰かに助けを。
俺の手には余ると率直に判断して救助を求めるが、早朝なためか周囲には誰も見当たらなかった。
あーもうなんでこんな時間に俺来ちゃったかな。いつもみたいに時間ギリギリだと休日明けの悲しさに負けて遅刻してしまいそうだからって、わざわざ早く起きるなんてしなければよかった。でも時間が違ったとしたら誰もこの倒れている少女を発見しなかったわけで。
「池……」
パニックで頭が混乱している俺の前で、アイニーは呟いた。
「池? どういうことだ?」
「池に……妾を連れていってくれ……」
「なんで?」
「……」
「おい? おい!? どういうことだよ!?」
大声で尋ねるが、アイニーは眠ってしまったように目を瞑った。
俺はまだ棺桶に入ってない彼女を背負う。意外に重いけど、文句言っている場合じゃない。余計なことを考えるのをやめて、俺は運ぶことに集中した。
幸い、近くの扉が庭に繋がっていてそこに池があった。
来たぞ。ここからどうすればいいんだ?
質問しても、アイニーから答えが返ってくることはなかった。このままなにもできずにたただの小さ
な女の子が死ぬのを待つしかないのかと考えた時だった。
ツルッ
「うわぁ!」
重さに耐え切れず、泥で滑って池に落ちてしまった。
肩まで浸かる深さから頭を出してアイニーを探すが、どこにもいない。
まさか沈んでしまった。
そう思った瞬間、
「フハハハハ! 復活したぞー!」
水しぶきと同時に笑い声があがった。
声の方向へ首を回すと、大きな魚の尾が水面から浮上しているが目に入った。
「妾、復活! 妾、復活! さあ、うぬも妾の蘇生を祝福してもよいぞ」
「復活おめでとうございます」
「フハハハハ! 感謝するぞ人族の男よ。このお礼はいつかさせてもらうから、その時を待ち遠しくしておれ」
腰から下が魚の姿に変わったアイニーはそのまま姿を消してしまった。
色々あったが、元気を取り戻した彼女の様子を見ると俺も喜ばしい気持ちになった。
「ということがあったんだけど貴様はどう思う?」
「貴様!?」
お昼、休み時間に俺はドレイクと一緒に購買へ食事を買いに行こうとしていた。
廊下を歩きながら朝の出来事を話した。
「下半身が魚の女。人魚か」
「そう人魚。実物を見るのは初めてだけど、とても幻想的な姿だったな。できることならもう一度会って、目に焼きつけておきたい」
あのあと、俺は意識を失って気づけば池の近くに寝転がっていた。鐘が鳴っていたため急いで教室に駆けつけると、全身ずぶ濡れてみんなに笑われた。
まるで夢を見たような気分で、正直、俺が池に落ちた時のショックで見た幻覚かと思っている。
ふと、ドレイクは立ち止まった。
「その人魚は青髪だったんだよな?」
「そうそう。沖縄の海のように透き通っていたな。いやこの例えじゃ分からないか」
「小さかったんだよな?」
「多分そう。俺のみぞくらいに頭がきてたはず」
「あいつじゃね?」
「でもあれ本当は夢かなんかだと……」
ドレイクの親指の先に、見知った青い髪の小柄な人魚がいた。
ビタンビタン
尾を地面に叩きつけながらジャンプし、顔面を水魔法で覆っているアイニー。まさかこの学園の生徒だったなんて。
再び目にした人魚の少女は同級生らしき女子生徒たちと会話している。
別れ際の心底から嬉しそうな表情と違って眉間に皺を寄せて怒っているようだった。
「それは妾のじゃ。返すのじゃ」
「なによ。落ちこぼれのあんたなんかにはいらないでしょ」
「悔しかったら、得意の魔法で取り返してみなさいよ」
アイニーは腕を伸ばすが、女子たちが挙げている杖に手が届かない。
あのふたり思い出した、たしかレンジとオーブン。この前、俺にA級の契約魔物を仕掛けてきた娘たちだ。
彼女らは必死に自分のものを取り返そうとするアイニーをからかい続ける。
「なにをやっても駄目駄目なアイニーちゃん」
「座学もビリ。実践もビリ。授業はいつも居残り」
「先生も怒りを通り越して憐れんでる」
「あんた。もしかしたら最速で退学処分になるかもね」
「わ、妾は……そんなことには……」
アイニーは水球の中で悲しそうな顔をする。分からないけど、もしかしたら水に混じって泣いているかもしれなかった。
レンジとオーブンはその姿を見下ろして、余計に楽しそうにする。
「なにが人魚よ。結局は足が魚だけの人でも魚でもない半端ものじゃない」
「黙れ! そこまで言ったなら学友とて容赦はせぬぞ!」
「……だったら黙らせてみなさいよ」
こうやってね。
《魔法無効》
彼女たちの指が触れた途端、水球が弾けた。アイニーは喉を抑えて、その場に倒れこむ。
「ゴホッゴホッ」
「あらごめんなさい。まさか魔法が消えるだけで呼吸できなくなるなんて知らなかったの」
「でもあんたも一応魔法科でしょ? ならすぐにかけ直せるわよね」
「……」
「あれまさかできないの? 学園に三か月もいてまさか初級魔法もろくに使えないの?」
「あははは。さっさと辞めたほうがいいんじゃない? この人未満」
床でもがくアイニーを愉快に罵詈雑言をかける。
チャキンッ
これまでは遠巻きに見ていたドレイクがサーベルを抜いた。
「ピガロ止めるなよ」
「まさか……ちょうど俺も行くところだ」
《地獄の釜》を懐へしまいなおす。ドレイクが戦っている間に、俺は再びアイニーを池へ連れていく。
それぞれの役割を決めたところで、俺とドレイクは同時に踏みこむ。
「アンタたち。それ以上はやめなさい!」
さすがに見かねたのか、他の人物も止めに入る。
一緒にこの事態を解決しようと思うが、協力者の姿を見た途端、俺とドレイクはその場で動けなくなってしまった。
「あ、あなたは……」
「すみません。これは断じていじめとかじゃなくて」
「言い訳無用よ! 他者を一方的に攻撃して、さらには持ち物を奪うなんて最低にもほどがあるわ! さっさと返してあげなさい!」
「はい……」
叱られたレンジとオーブンはシュンとして、杖を人物へ渡す。
彼女はそのままアイニーへ手を伸ばすと、水魔法をかけ直してくれた。
「はいこれ取り返してあげたわよ。大事になさい」
「ありがとうございます――レイお姉様」
アイニーを救ってくれたのは、俺の幼馴染のひとりであるレイだった。
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