3話 覚醒
「……」
「絵描きでーす。十サントもらえば似顔絵描きまーす」
俺は道ゆく人々に声をかけるが、まるで聞こえていないかのように無視されていく。
「はあ」
溜息を吐いて、ゴミ捨て場から拾ってきた空箱に座る。
ここ一週間こうして商売をしようとしているが、誰ひとりとして買ってくれることはなかった。
なにが悪いかはだいたい察しがついているのだが、それをするにもお金が足りない。
お金を稼ぎたいのに、お金が必要という事態はいったいどういうことなのか?
うなだれたまま答えのない問答で頭を埋めるが、いくら考えようが空き缶に金貨が入ってくるなんて幸運が起こることはなかった。
「絵師さん絵師さん。ちょっといいですか?」
「うわぁ!」
「わあ。ビックリされ過ぎて、こっちもビックリしちゃった」
幸運発生した。お金ではないが、それと同じくらいすごいもの。
声をかけてきてくれたのは美少女。
赤ずきんの下にある瞳は、子犬のようにつぶらで愛くるしい。小麦色の肌には目立たないそばかすも浮いているが逆にそれがキュートに感じられる。服装は最近の若者で流行っているチェック柄のショールだった。
「ど、どうもリディさん」
知り合いだったので名前で呼ぶと、彼女は微笑んでくれた。
社交辞令なのだろうが、とても嬉しかった。
「こんにちはピガロさん。買い出しの帰りなんだけど、目に入ったから声かけちゃった」
「それはどうも。てっきり俺のことなんて覚えてないかと思っていまして」
「んもう。覚えてるに決まってるでしょ」
えっ?
とんでもないことを彼女は言ってきた。
小さなお店だが看板娘で、狙っている男も多数いるリディさん。告白もかなりの頻度でされるらしい。そんなモテモテのいわゆるリア充な女性が、俺のことを記憶していたなんて。
ま、まさかもしかしてこの人は俺のことが。
恋の予感に胸膨れる俺へ、リディさんは呆れるように肩をすくめた。
「だってあなたくらいよ。なにも買わずに無料でパンの耳をもらっていく人なんて」
はい違った。
どうやら俺はかなり失礼な客として彼女に覚えられていた。
リディさんはパン屋の一人娘。
パンの耳は消しゴムとして便利なため、おれはよく彼女の家へもらいにいっていた。確かに食事としても重宝させてもらっているため、乞食呼ばわりは仕方のないことでもあった。
プフー
勝手に期待して勝手に落ちこむ俺を見て、リディさんは吹き出した。
「なに気を沈ませてるの。ただなにもしない人じゃなくて、ちゃんとこうして頑張っているのは知っているわよ」
「ありがとうございます」
感涙で視界が滲む。努力を評価されたのは初めてだった。
「絵のことは全然知らないから、下手か上手いかどうかは分からないけど」
ズデーン
いらない一言を足されてズッコケる。いやまあ分かってましたけどね、そんなことだろうなって。
「はあ。初めての客になってくれるかもしれないと思ったのに。このままじゃあと少しで飢え死にしちまうよ」
「この前死んじゃって蘇生費用かかったんだっけ?」
「はい。ほとんど金を持ってかれました」
学校外での蘇生は、基本的に教会でなされるため金を払わねばならない。
昔はダンジョンの罠や魔物の攻撃に掠ってうっかりくらってしまっても、ウルナに蘇生してもらえたからよかったな。
もう戻れない仲間との日々をこんな形で惜しむとは思わなかった。
時間も経ったので、パパに怒られるからと店に帰っていくリディさん。
あの店主は俺なんかの厚かましさにも対応してくれるいい人だが、元傭兵で怒ったら怖いと評判だった。
「似顔絵描きます。どんな注文だろうが、一時間以内に済ませてみせます」
美少女との邂逅で元気が取り戻せたので宣伝を再開する。
相変わらずどんな内容でも、振り返ってもらえない。
と思いきや、ふたりほど俺のほうへ足先を向けて止まった。そしてそのまま進んでくる。
「おい兄ちゃん。ちょっといいかい?」
うげっ。
俺の前にきたのはガラの悪いふたり。顔中が傷だらけで、殺傷性の高そうな武器を背負っていた。いくらこの世界が武器を普段から所持していいとはいえ、いくらなんでも刃剥き出しは凶暴さを感じてしまう。
ヤ〇ザみたいな彼らは、怯えているおれを放って自分たちで会話する。
「待て。絵描きとはいえ、いくらなんでもこいつはないだろ」
「どうしてだ?」
「身なりが汚すぎる。乞食かなんかが気まぐれにやっているだけだ」
いくら無名とはいえ、イタズラ半分でさえ人が寄りつかない理由はそれだった。
だけどもう洗濯できないほど絵の具などの汚れは染みついちゃっているし、新しい服を買えるお金もない。当然そうなると尽きた画材も補給できないため、サンプルとして置いてある絵もどうして人目をつかないしょぼいものになってしまっていた。
だからこそ、向こうから話しかけてくれたリディさんは天使に見えたものだった
「おい兄ちゃん。そこに隠してある絵を見せろ」
「こ、これのことでしょうか。で、でも」
「うんちくはいい。早く晒して、おまえの腕がどれほどのものか教えてくれ」
最初、俺に声をかけてきた若いほうが荒い語気で詰まってきた。
どうやらこの人たちも絵に詳しくはないらしい。多少なりとも知識があれば、ある程度の技量は線画だけでも把握できるはずだった。
鑑定眼の有無で、客に対して分別を付ける気は元々ない。
でもこの絵については売るどころか、人に見せようとする気すらなかった。万が一もないように固く縛った布を確かめる。
「すみません。これだけは無理なんです」
「ちっ。どうせ自信がないかなんだろうが、もったいぶりやがって。こうなったら強引にでも――」
「昼間から町で問題は起こすなよ。どうもおまえは頭に血がのぼりやすいんだ」
「分かりやした先輩……じゃあ兄ちゃん質問だけ答えてもらうぜ。一年ほど前、王国の噴水近くで絵を売っていた人物を知らないか?」
ずいぶんとおぼろげな話だった。
同じ絵売りとはいえ、普通だったらその程度の情報で分かるはずなんてない。
だがなぜか俺はその場所や時間に懐かしさを覚えた。
「どうなんだ? 知ってるか?」
「すみません。分かりません」
「ちっ。使えねえやつだ。時間だけとらせやがって」
考えこむが、結局、はっきりとしたことは思い出せなかった。
俺の答えを聞いて、またしても舌打ちする若いほう。先輩と呼んでいた仲間にさっさと行くぞと促されて、ふたりともどっかへ去っていった。
このあとも日が落ちるまで営業を続けたが、客は誰ひとりとしてこなかった。
なので本日も売り上げは無し。
腹を空かせながら、リディさんちのパン屋を目指す。
「今日はどれくらい耳あるかな。あそこは耳だけでもおいしいからな」
栄養が足りなくて頭が回らなくなったせいで、つい独り言を吐いてしまう
こんなガラガラ声だと、たぶん聞かれていたら不審者として自警団に通報されていたかも。
よかった。周りに誰もいなくて。
くだらないことに一喜一憂しながら、パン屋の前に立ち止まった。
誰の声だ?
店内はどたばたしているらしく、複数の足音や大声が鳴っている。そのまま入るか待っているか悩んでいると、内側からドアが思いっきり開いた。
「うわぁ!」
「大丈夫か?」
「ちっ。このおっさん無駄に強え」
「あんたたちは昼間の!」
さっき別れたはずの野蛮そうな男ふたり組が、武器を手に握ったまま店から出てきた。彼らに対して、怯えているリディさんを後ろにしている店主が剣を構えて言い放つ。
「娘に汚い手で触れおって。盗賊ども」
「はあん? ちょっと口説いただけだろうが」
「嫌がっている娘に強引に迫り、手まで出そうとしおって。ついでに貴様らがどれほどのものだろうが、決して盗みに使われる金なぞ渡すものか!」
「くそっ」
ガキィン
防御に回る盗賊たちを、店主は【戦士】のスキルである《切裂》の一撃でなぎ倒す。
噂通り一介のパン屋を越えた強さだった。
「若造どもが、これに懲りたらさっさと猿山の大将のところへ帰って世界の広さを伝えることだ」
「ここは一旦退くしかないようだな」
「……舐めてんじゃねえぞ」
若いほうがナイフのように目つきを尖らせると、小型の金属筒を懐から取り出した。
開くと、充満する禍々しい紫の煙。
風が吹いて晴れた先には、細長い竜がいた。
「あれはワイバーン! ただの盗賊ごときがなぜこんな怪物を!」
「Bランクとはいえドラゴンの一種だ。多少、腕に覚えのあるようだがひとりじゃ太刀打ちできねえよ」
星空を覆う巨大な翼。
大剣のような三本の爪。
人どころか魔物グリズリー種を同時に呑みこめそうな凶悪な顎。
まさしく今、天に羽ばたいているのは最強種族のドラゴンであった。
「緊急事態用だっていうのに、キレてこんなところで使いやがって。下手したら今晩の間に町が滅ぶぞ」
想定外のことに頭を抱える盗賊の片方。
ワイバーンを前にして、店主は剣を両手で持ち直す。
「おれが足止めする。リディは裏口から逃げろ」
「そんないやよパパ! あたしもここに残る!」
死を覚悟して、娘だけでも逃がそうとする。だけどリディさんはそんな自分を大切にしてくれる父をひとりにはできないとグズる。
「死んじまえ!」
盗賊の命令によって、ワイバーンは急降下してその巨体をぶつけようとした。
「――目を閉じていてください」
「き、きみは」
目の前に割りこんできた俺を見て、リディさんたちは驚く。
本当は使いたくなかった。
だけど罪もない人の命が失われるっていうのを見過ごせるか。
決意した俺は背負っている風呂敷を解き、隠していた絵を白日の下に晒す。
《地獄の釜》
描かれているのは深淵からの炎。
夥しい紅蓮の蛇は万物を灰燼と化すまで燃やし尽くしてしまう。
「ぐわぁあああ!」
三つの悲鳴が同時にあがると、ワイバーンは地面へ墜落してそのまま力尽きた。
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