23話 淀みの沼の主の脅威
ヒュンヒュンヒュン
一度その広い背中から打ち上げられた棘は、加速を伴って空から落ちてくる。
「ピガロ様こちらへ!」
リリヤは俺を抱きしめると、目に見えない速度で移動した。
《冥途忍法・空蝉の術》
一瞬、身を隠すのに使われたエプロンドレスが串刺しになる。棘はなんらかの毒を持っているのか、ジュゥウウと地面ごと溶けていく。
危なかった。俺だけだったら避けきれずに死んでいた。
助けてくれたメイドにお礼を言おうとしたところで、
モミッ
お尻を掴んでいたことに気づいた。デカッ! ロングスカートだから目立たなかったけどすごい大きさと弾力だ。
「す、すみません」
「この煩悩野郎。自分は真剣だったのに、ずいぶんと余裕がありましたね」
「偶然です!」
PUL!
言い合っている内に攻撃が再開される。今度はバジリスクだけじゃなく、従っている魔物たちも含めた全方位からの襲撃だった。
こればかりはリリヤさんのスピードでも避けられない。俺はなにかいい手はないかと慌てる。
《女神聖天守護壁》
ふいに女神が姿を現し、俺たちを包んでくれた。
「ドレイク!」
「熟睡中だったっていうのに、よくきく目覚ましだよ。起きてみたらいきなりこんなことになっていやがったけど、いったいどうなってやがる?」
「おそらくだが、火を目印にされたのかもしれない」
【魔物使い】のグリニアが言った。
「どういうことです? 普通、魔物は火を避けると学園では教わりましたが」
「冒険者手引きの端のほうに書いてあったんだが、ファイアーラビットやフレイムアントなどのむしろ火を好んだりする例外もいるそうだ」
「それは知っています。しかしそういう魔物たちはちゃんと注意書きされています」
「うむ。バジリスクのデータも載っていたが、決してそういう生態ではなかったはずなんだが」
考えれば考えるほど、この状況が分からなくなった。
「学習しているんだよ」
そう言ったドレイクを見ると、額に脂汗を垂らしていた。
いつまでもやまない波状攻撃を防ぎ続けるため、最大スキルを維持し続けている。その疲労は想像を絶するものだった。
早くなんとかしなければと焦って周囲を探る。ふと、魔物たちの一角が目についた。
「おいみんな。あそこだけ、魔物が弱くないか?」
「本当だ。DやE級の魔物が固まっている」
「あそこからなら、この集団から抜けられるかもしれません」
唯一の突破口を発見した。
ドレイクに、タイミングを見てスキルを解くことを頼む。その時、全員で力を合わせればいけるはずだ。
「アホ! 見え見えの罠に引っかかんな!」
「えっ?」
大声で拒絶したドレイク。
力が抜けてきたのに我慢しているせいで、サーベルを握る手が震えている。
「たとえあそこから脱出できたとしても、その先は川だ。水に浸かって足が鈍くなったところを仕留めにくるぞ」
「だとしても、魔物たちも分かっていなければそこに行くまでになんとかできるはずだ」
「いや。あのナマズ野郎はわざわざ夜中の内に、静かに囲んできたように狙ってきていやがるぞ」
「魔物だぞ!? そんな知能あるわけがない!」
「おっさん。あるんだよ残念ながら……魔物ってのは習性で動くものだと思われている。だけど戦い合ってみれば分かるが、それなりの知能はあるやつもいるんだよ。弱い魔物だとすぐ狩られて死ぬからまんま本能で動いちゃいるが、強い魔物は生き残って学習するんだ」
「じゃああのバジリスクは完全にこの状況を自分から作って」
「そうだろうな。しかし火を逆利用する魔物なんざ、俺様も初めて見たよ。まさかなにも分からないこんな場所で遭遇するなんて運の悪い」
ドレイクはそう言うが、もしバジリスクが考えたうえで行動しているのだったらホームグラウンドに居続けてそこにきた獲物を狩るという生存競争で勝ち残るには最良の方法を取っているのではないか。
だとしたらあのバジリスクという魔物は力だけじゃなく、かなりの策士でもあった。
「だったら!」
俺は《地獄の釜》をバジリスクがいる方向に広げた。
恐ろしいのが一体だけなら、そいつさえ潰せば群れは瓦解するはずだ。バジリスクが死んで烏合の衆になる魔物たちという未来を見る。
しかし――
「なんだと……?」
周辺の魔物は力尽きたが、バジリスクだけは生き残った。
あいつまさか目が見えてないのか?
分かった時には、魔物たちの死体が宙を飛んできた。
バゴーン!
「クソッ! 重い!」
「仲間だった魔物を武器の重りにしてやがる」
ベロで魔物の死体を掴むと背中の棘に刺して、そのまま放ってきた。重量が加算されたことで一発一発の威力が高まる。
仲間でも使えないと判断したら利用する。
冷酷だが、実に計算高い魔物だった。
ビチャアン、と水風船が割れたように頭上で肉と内臓が飛び散る。
「ピガロ。悪いが、手を出さないでくれ。こっちのほうがキツさが上だ」
「わ、分かった」
「だったら自分があいつを倒してきます」
デビルパールの時のように単独でリリヤはバジリスクを撃退しようとする。
覚悟を決める彼女だが、正直、俺からしても分の悪い賭けだった。だが、それしかもう手が無いのも事実だ。
せめてサポートできるよう準備する。
「……動くな。氷女」
リリヤを止めたのは、ずっと喧嘩をしてきたはずのドレイクだった。
ギュッ、とリリヤは手持ちの武器を握りしめる。
「なぜですドレイク様? 貴方様ももう限界でしょう」
「まだだ。これくらいでヘバる俺様じゃねえ」
「強がりはおよしください」
ドレイクの顔はもはや土気色となり、尋常でない汗の量をかいていた。
誰からどう見ても疲労困憊の状態で、彼女は決して自分のスキルを止めようとしなかった。
「じゃあ訊くが、どれくらいの見込みであいつを潰せる?」
「一万分の一の確率。そのあと他の魔物に襲われることを考えると、生存率はもっと低いでしょうね」
「くくくっ。俺様の想定とはちょっと違うな」
「……」
「〇%。絶対におまえだけじゃあいつに勝てない。それが分かったら、おとなしくここにいやがれ」
「ですがこれしか――」
「――生き残る方法はまだある!」
ドレイクはバジリスクを見据えた。
かすんだ視界の中でも目を離さないようにしながら、吠えるように言う。
「俺様はピガロの盾――そしてアトリエ迷宮の盾だ! 仲間は誰ひとりとして死なせはしねえ!」
ドレイクは耐久戦を仕掛けた。
相手の体力が失われるまで、自分ひとりで持ちこたえるつもりなのだ。
無理だそんなの。
だが諦めさせようにも、ドレイクが許さないかぎりは聖なる女神の盾に全てを遮断されて敵も味方も手出しはできない。
俺たちはただ彼女の背を見続けることしかできなかった。
そのまま三十分が経過した。
だが魔物たちは一方的に攻撃をやめない。
一時間が経過した。
わずかに魔物たちに疲れが見えてきた。だがドレイクは爪から出血するようになり、足元もフラフラだった。
俺たちはいつでもドレイクが休んでもいいよう身構えておく。
そして三時間後――
「ハア……ハア……」
限界を迎えたドレイク。
彼女の前では、バジリスクとその部下たちが背中を向けて去っていくのが見える。
勝ったのだ。たったひとりで俺の大切な仲間は勝利を掴んだのだ。
歯がゆい思いもあるが、今は祝福すべきだと倒れこもうとするドレイクを支えようとする。
「――ちっ。あのナマズ頭」
《清光羽衣》
ドレイクがサーベルを振るうと、彼女を除いた全員にしばらく状態異常を無効化する魔法がかかった。
いったいどうしてそんなことをと思った直後、ドレイクの口から血が噴き出た。
「ドレイク! どうした大丈夫か!? すぐに医者の元へ連れていくからな!」
「いや俺様はいい。ここに置きざりにして、他の連中と一緒に山を下りてくれ」
「なんでだよ!? そんなことできるわけあるか!」
「ナマズ頭……バジリスクが残した毒を吸っちまった。もうろくに動けない」
バジリスクが自らの棘と放ったはずの魔物の死体。腐敗したそこには毒が染みていて、ガスとなって漏れていた。
そうか。
だから俺たちに魔法をかけて。
「あいつが後退したのは、あくまで一時のことだ。疲労を回復したら毒で弱っている俺様を狙ってくる。だからそれまでに逃げてくれ」
ドレイクは最後までその身を呈して俺たちを守ってくれた。
本当になにからなにまで世話になって。
そんな彼女に対してなにもしてやれなかったことに情けなくなっていると、ドレイクは罰の悪い顔をした。
「悪いな。使えない盾で」
「――」
「せっかくあんな大見得切ったのに、たった一回きりでもう不良品になっちまうとはな……ごめんなピガロ。おまえをずっと守るって言ったのに……」
目を瞑るドレイク。
次第に冷たくなっていく彼女の身体を、俺はそっと地面に置いた。
「ど、どうする? 逃げるしかないのか?」
「グリニアさんとリリヤさんは、ドレイクを連れてそうしてください」
「坊主はどうする? まさか――」
「――あいつを殺してきます」
怒りではない。
恨みではない。
復讐ではない。
ドレイクがそうしてくれたように、みんなで生き残るため、俺はバジリスクを討つことに決めた。
俺がふたりから離れようとすると、
「自分も同行させてください」
リリヤが俺を追ってきた。
「いいのか?」
「はい」
「分かった。じゃあすみませんけど、グリニアさんはひとりでドレイクを」
「な、なんでだよ。オイラも……」
先を言おうとしても、続けられないグリニア。
分かっていた。
彼はそもそも俺たちとの関係が薄く、守るべき息子さんがいるのだから。
元々、無理強いするつもりはない。
それに黒いスライムのようにバジリスクと敵対している魔物も山の中にいるのだから、まだ棺桶に入っていないドレイクを守る人物はひとりは欲しかった。
そのことを伝えると、俺は志願者を連れてバジリスクが立ち去った方向へ急いだ。
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