22話 ミッドメイドナイト
パチパチ
ようやく熱の安定した焚火が下から酸素を含んで薪を燃やす。
俺たちは山の中で一夜を過ごすことにした。事件の解決を目指すのなら、未だ不明の原因を捜索すべきなのだが、バジリスクが出たとなるとさすがに俺たちだけでは不可能と判断して山を下りることにしたのだ。今すぐにではないのは、俺の捜索に時間がかかってしまったせいらしい。足を引っ張ってしまって申し訳ないものだ。
せめて取り返そうと回復した体力を酷使して野宿の準備を頑張った。
パラッ……パラッ……
水を汲んでくると、ベースキャンプでグリニアが本を読んでいた。
冒険者手引き。ギルド協会から配布されている書物で、トレジャー学園においても教科書になっている。
ページをめくる際に俺へ気づいたらしく、彼から声をかけてきた。
「おつかれ。もうテントの調整もしたし、休んでいいぞ」
「早いですね」
「もう手慣れたもんさ。坊主も学生にしては、かなりできていたな」
「いやー。前のパーティーではひとりでずっとやらされていましたからね」
「はっ。ひでーやつら。それならおまえがいなくなったら、そいつら困ってるだろうな」
「いやどうでしょう? 天才って言われてる連中ばっかりだったし、俺と違ってすぐに覚えてたんじゃないですかね」
パタン
俺がそう言うと、グリニアはどこか寂しい顔をしながら本を閉じた。
どうやら会話を続ける気らしいので、気になったことを口にしてみることにする。
「その本、ずいぶん年季入ってますよね」
「そりゃそうよ。オイラが地方の冒険者学校に入った時にもらって、それから肌身離さず今まで持っていたものだもの。来る日も来る日も開いて、一日たりとも欠かさず繰り返し読み続けてきた」
「勤勉だったんですね」
「ある意味じゃそうかもしれないけど、ちょっと違くもあるな。トレジャー学園なんかと違って、小さな冒険者学校だとろくになにも教えてくれないんだ。それでもめちゃくちゃすごいやつはすぐに実戦で結果出して、ギルドにもスカウトされたりするんだけど、オイラはそういんじゃなかったからさ。だからたった一冊だけもらったこれを読んで、技術と知識を身に付けた」
「俺は充分すごいと思います」
「ううん全然。農民出身で学がなかったから最初の一年は文字の意味をろくに理解しちゃいなかった。運良く生き残って得た金でなんとか覚えて、ようやく理解しはじめた。まあこんな一歩進んで一歩下がるみたいなペースのせいで、ギルドからは追い出され、嫁にも愛想つかされて出ていかれちまったけどな」
「えっ? 結婚してたんですか」
失礼だが、一番驚いてしまった話題だった。
ガルル!
傍にいたワイルドウルフのガルーが怒ってきた。グリニアは自らの契約魔物をなだめながら話を続ける。
「これでも若い頃はそこそこモテたんだぜ? まあ今じゃ見る影もないが。だが魔法が解けてこんな腹になってしまったオイラにも、まだ守りたいものが残っていてな」
「守りたいもの……」
「息子がいるんだ。嫁は別の男と暮らすらしくて、邪魔だって置いていきやがった。自分の腹痛めて産んだのにひでーもんだろ? でもあいつには邪魔でも、オイラにとっちゃ大切な家族だ。だから厳しい生活送りながらも、なんとか世話してきた」
「……」
「だけどギルドに入ってない冒険者ってのはどうしても難しくてな。その内、受けられる仕事がなくなっちまった。そんな時どうしたもんだと困っていたら、村に自警団として来ないかと誘われたんだよ。あの時はあの人が、神様に見えたもんだぜ」
村長の容姿を思い出す。
たしかに後光でもさせば、仙人ぽくて神様に見えなくもなかった。
俺が空想していると、
「すまなかったな坊主」
急にしょぼくれた顔になったグリニアが謝ってきた。
「えっ? なにがです?」
「最初にジョブを聞いただけでおまえを嘲笑して、そのあともいびってたことさ。本心ではさ、自分が情けなくてしかたなかったんだ。だってガルーとオイラじゃ、アッシュレオは無理だからおまえたち学生に依頼を出したんだ。そんなもの自分でも分かっていたんだけどよ、オイラとは違うエリートに頼るなんてつい恨めしくて。【絵師】を笑ったこともさ、この本にないってだけで頭でっかちになっていた。オイラおまえらの倍以上冒険者やってる先輩なのに、そんなのめちゃくちゃ恥ずかしいよ」
落ちこむグリニア。
もうこちらとっくに気にしていないのに。
どうやら見た目と違って、そこまで図太くないようだった。
俺は話も長くなってきたので、地面に座ることにする。
ガル! ガル!
途端に騒ぎ出すガルー。さっきまで飼い主に同調するように沈んでいたのに。
俺は、そっ、と鼻先に掌を伸ばしてやることにする。
スンスン、と俺の匂いを嗅いで覚える。
やがて頬に手を添えると、気持ちよさそうに目を細めた。
「へー。ガルーが懐くなんて珍しいな。坊主、おまえもなにか契約していたのか?」
「いや俺はそういうことは。ただずっと昔、犬を飼っていたことがありまして」
「犬? アイスドッグとかか?」
「ところで、息子さんは今どうしてるんです?」
「あいつなら今は村長夫妻に預かってもらってる。いや将来のために教育もしてくれるって話で、あいつは絶対にオイラより大物になるぞ」
息子の話題にすり替えると、嬉しそうに語ってくれるグリニア。
別に触れられたくない悲惨な過去とかではないのだが、こちらの世界のことではないので説明がとてもめんどくさかった。
楽しい会話は続く。冒険者同士、一度打ち解け合えば決して話せない人種でなかった。
打ち解け合えれば……
「……」
深夜。
あれから食事と明日の準備を済ませた俺たちは寝ることにした。とはいえ、寝るといっても全員でぐっすりとベッドで横になるというわけじゃなく交替で見張りにつきながらするものだ。
今回の場合だと、見張りにつくのはふたりずつ。
戦力比を考えて俺とドレイク、グリニアとリリヤで分かれるはずだったのだが――
「真っ暗ですね」
「……」
なぜか俺と一緒にいるのはリリヤだった。
正直、かなり気まずい。
旅の始まりから明確な理由もなしに散々口悪く言われて、今でもなにを考えているのか分からない。
再開してからも特に喋ることもなく、今だってお互いにずっと沈黙状態だ。
すごい緊張する。こんなにも重圧感覚えるの小学生の時に俺をいじめていた女子と隣の席になった時以来だ。なにが逆鱗に触れるのか分からず、絶対に当たらないよう教室の壁にベッタリ体をくっつけてしまう。
というかなんでほんとリリヤなんだ? ドレイクになにかあったのか?
心配にかこつけて場から逃げようとする。
「ちょっと俺、ドレイクの様子見てくる」
「ドレイク様なら健康そのものです。自分からどうしてもと交代を申し出ました」
リリヤから?
なんで俺を心底嫌っているこのメイドがそんなことをしたのか。そもそもドレイクが彼女の頼みを了承したのも意外だった。
とはいえ、彼女の口からそう伝えられた以上は嘘ではないだろう。毒舌だが、くだらないことで騙す人間ではない。
俺は見張りに戻り、火の気が弱くなった焚火に新しい薪を投入する。
通常ならば、自然への引火を考えて消すべきだろう。だが魔物は火を恐れるため、こうして番につきながら絶やさないようにしている。
火を挟んで、俺とリリヤは向き合う。
銀の髪が鍛造中の刀のように燃えて見える。不安定だが、身を溶かすまでの灼熱と鍛えられてどう変化するかという不思議でミステリアスな魅力がそこにあった。顔の造形は目だけは猫のようにパッチリしているが、ともかく細く鋭く、まるで繊細な切り絵細工のようだった。
無意識の内に見惚れてしまうと、リリヤは薄いピンク色の唇を開いた。
「なにか?」
「あっ、いやなんでも」
「自分の顔になにかありましたか? 気になるので答えてください」
「えーと……素敵だなって」
「そうですか」
勇気を出したのに真顔で流された。
そうだよな。いきなりあんなこと言われたら気持ち悪かったよな。
死にてえ。
今とてつもなく自分の絵を自分に見せてえ。
とてつもない自己嫌悪に陥った俺は、ゴソゴソとここらへんにあったよな《地獄の釜》と探すことにする。
「ところで、なんで自分をあの時助けたのですか?」
「あの時? ああ崖から落ちたことか。あれならドレイクに言った通り、俺このパーティーのリーダーだから」
「勘違いしないでください自分は違いますよ」
「そうですね……」
「勘違いで助けたのですか? あんなにもピガロ様を罵っていた自分を?」
「いえ。そういうわけでは」
「曖昧にせずはっきり答えてください」
さっきからグイグイくるよー怖いよー。
心臓がバクバク鳴っているのが耳元で聞こえる。とりあえず頭だけは落ち着かせながら、思いついたことをそのまま喋る。
「俺だったらそうしてもらえたら嬉しいかなって」
「どういうことでしょうか?」
「聞いたことあると思うんですけど、俺、前のパーティーを追放されたんですよね。その時にあったあれこれで、もしかして俺が同じ状態になったら見捨てられるだろうなって考えが浮かびました」
「……」
「実際にされるかどうかはともかく、そうされたら本当に嫌だなって。だから絶対に他の人にも同じ思いはさせたくないなって」
「命をかけてでも?」
「そのことは本当に失敗したなって。ドレイクに言われた通り、もっと仲間を信じるべきでした」
言葉にすると、客観的に自分のことが理解できてくる。
ようするに俺はまた仲間に裏切られることが怖かったのだ。だからどこかで一線引いてしまっていた。
……そうか。だから俺はこの人のことも分かっていなかったのか。
咄嗟に閃いた俺は、リリヤと目を合わせた。とても美しいサファイアだった。
「あの、ありがとうございました!」
「ピガロ様がそんなこと言う必要は」
「いや実はグリニアさんに聞いたんです。リリヤさんが必死になって俺を探してくれたこと」
エプロンで隠しているがスカートは何か所も破れていて、靴に至っては泥だらけだった。
俺はリリヤと信じあうため、一歩踏みこんだ。
たとえ一回だけのゲストだろうが仲間は仲間だ。危険な時には助け合わなければ。
俺の言葉を真正面から受け止めたリリヤは、眉を曲げながら顔を反らした。
「勘違いくださいね蝋燭男。自分はただお嬢様の命に忠実なだけですから」
「まあそれはそうですよね」
「……ですが、そのあなたに助けられたこと自体は……その……」
「その?」
「……感謝しています……ありがとうございました」
ここからではどんな顔色をしているのは分からなかったが、それでも冗談かなにかを言っている様子ではなかった。
「晴れてきましたね」
森の上から太陽の端っこが浮かんでくる。
ようやく仲良くなれたのに、もうお別れだと思うと少々名残惜しかった。だが俺たちは仮にも冒険者、まずはみんなの命を救うため応援を呼ぶべきだ。さすがにバジリスクともならば間違いなく国も見過ごせない危機だった。
「――えっ?」
朝日が周囲を照らす。
バジリスクを筆頭に、魔物の軍勢が俺たちを囲んでいた。
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