21話 大切なあなたはどこにいる
♢
――捕まえた。
ダッシュしてあいつの前に回りこむ。するとあいつは嬉しそうに俺の元に飛びこんできた。
一緒に草の上を転がる。
春のポカポカとした心地よい爽やかな空気にふたりとも寝ながら包まれる。
――ああ楽しかった。
隣を見ると、あいつも笑っている。どうやら俺たちは同じ気持ちのようだ。
――やっぱり俺たちは最高の兄弟だな。弟よ。
そう言うと。あいつ――弟は俺の頭を優しく撫でてくれた。
♢
バチッ
深い眠りについて重くなっていた瞼を開く。すると目の前が夜の湖になっていた。
溺れているのか?
崖から落下した俺の体はボロボロで、助けを呼ぼうにもろくに声を出せず意識が途絶えてしまい、さっきまで夢を見ていた。おそらく馬車にいる時と同じ前世の俺の過去。だが不思議なことがひとつある。
俺に、弟なんていなかったはずだ。
考えようとするが、所詮、夢は夢。おそらく過去ではなく、ただの幻覚かなにかだったのだろう。
今はそれよりも、自分がおかれている状況について考えるべきだ。
近くにあった川にでも落ちて、そのまま時間が経過したのか? いや、川はたしか離れた場所にあってとても気絶した状態で無意識にいける距離ではなかった。
いくら考えても現状が掴めない。
とりあえず水中を脱出しようともがく。だがいくら泳いでも水面が見えてこない。おかしいな泳ぎはそんな下手なはずじゃなかったんだが。
ボシャン
足のほうに風を感じる。なんでだ、俺の上にはまだ暗くなった水があるのに。しかしやはりバタ足を続けると、足を後ろに動かした時だけ慣れ親しんだ空気の存在に触れられる。
まさか?
俺は半身半疑で、背後へ向かって泳いだ。
バシャアン
地面へ体がぶつかる。どうやら陸は上にあったわけじゃなく、俺の後ろにあったようだ。
どうなっているんだと周囲を探ろうとすると、目の端のほうで自然に混じる異物が捉えられたため首をそちらへ回す。
黒いスライムが、俺の目の前に現れた。
「くっ!」
急いで距離をとる。
こいつはあのバジリスクと正面からやり合った魔物。俺の実力じゃ逆立ちだって勝てはしない。
だけどそれでも勝機はある。
懐に忍ばせた《地獄の釜》を見せようとする。たとえどんな魔物でも、これが目に入りさえすれば。
俺は液体を含んでグチョグチョになっている絵を取り出した。
「あっ」
「――」
どうやら絵として成り立っていなければ、その効果を発揮することは不可能だったようだ。
迎撃のために立ち止まってしまった俺を黒いスライムは呑みこむ。
やばい。あの魔物たちみたいに溶かされる!
爪や触手が原型を保っていなかった光景を思い出す。あれより脆い俺じゃ、秒も経たないうちに全身が消えちまうのがオチだ。なんとかして脱出しようと暴れるものの、空を切るばかりだ。
心のどこかで死を覚悟したその時、手足がまだ動いていることに気づいた。
光届かない水中のような景色。そういえば俺はさっきまでここにいた。中から出た時は、まだ夕日が残っていて夜ではなかった。
ひとつ理解するとたちまちに分かっていなかったことが分かるようになる。
助けを呼ぶ暇もないほど消耗した体が元気になっている。なんなら落ちる前より体力が漲っているくらいだ。
状態を確かめていると、やがてペッと吐き出された。
赤くなった太陽をバッグに黒いスライムは俺を見下ろしていた。
「ええと、ありがとう」
「……」
礼を言うが、スライムはなんの反応も示さずに突っ立っているだけだ。
いったい彼はどういう目的で俺を回復なんてさせてくれたのだろうか。心中を探るため顔色を伺う。
……
黙ったままこっちを見続けてくる。いやそもそも目も顔もないんだから本当に俺へ視線を向けているなんて分からないんだが。
そのまま向かい続けている内に、ハッ、と俺の頭に案が思いつく。
まさか食うためか。
魔物の一種には、こうやって餌を元気にしてから食する種類がいるとも聞いたことがある。
不安になった俺は、思わず顔を真っ青にして後退した。
その直後だった。
「■■■■―!」
奇怪な鳴き声。まるで金管楽器の帝王チューバを引き裂いたような叫び声に、周囲の木々が枯れて石にヒビが入っていく。
殺される。
今度こそ助からないと諦める俺。
すると黒いスライムは猛速度で飛ぶ。
やつは俺がいるところとは逆方向に去っていった。
「な、なんだったんだ……」
結果的に俺を治療しただけで、なんの対価もなくいなくなってしまった黒いスライム。
体は傷ひとつすらなくなったはずなのに、ドッと疲れてしまった。
「いたぞー! ピガロだー!」
聞き覚えのある声が耳に入る。
振り返ると、今回のクエストにおいて組んだ三人がこちらへ走ってきていた。
「無事だったか絵師」
「はい。なんとか」
「馬鹿野郎!」
「おぶっ」
答えていると、脇からビンタが飛んできた。
グリニアから視線を外すと、ドレイクが左目を吊り上がらせていた。
「なんであんなことをした!?」
「仲間が死にかけたんなら、身体張っても守るのがリーダーの役目でしょ?」
「まずリーダーなら適切な判断をしろ! 俺様だったら自分が無事なまま引き上げられた!」
「ごめん、咄嗟のことで」
俺が謝ると、彼女は掌を掲げる。
またはたかれると身構えると、そのまま抱きついてきた。
表情は分からないが、涙声が耳元で響く。
「馬鹿野郎馬鹿野郎馬鹿野郎! この大馬鹿野郎! どれだけ心配したと思ってんだよー! 俺様はおまえの盾なんだぞ。もっと頼りにしてくれよ! おまえがいなくなることなんて、今の俺様にはとうてい考えられないんだよこの馬鹿野郎ー!」
「悪い」
本当に心の底からそう思った。
実はリリヤを助ける時、マリオなら俺がこうなった時にどうしたのかと考えが浮かんだ。ずっと信じていた幼馴染たちに裏切られたことで、自棄になっていたところがあったのだろう。だけどまだこんなにも自分を大切に思っていてくれる人がいたなんて。
見えない古傷が癒されていく。
彼女のためにもう少し自分のことを大事にしようかと考えた。
むぎゅ
落ち着くと、ドレイクの大きな胸が俺の頭を挟んでいることを認識した。
あれ変だな……このままいい話で終わるはずだったのな……
だが悲しいか俺も男。
おっぱいの魅力には抗えず、さっきまでの感動が吹っ飛んでそれを味わうことに集中してしまう。
ほんとデカいなこれ。なんというか癒される。
性欲とは別のところでプラスの感情が湧いてしまう。ある種これは赤子が母の乳房を求めるように原始的な本能なのかもしれなかった。
「こほん。ドレイク様、あまり年頃の男女でそういうことはよしたほうがいいかと」
「てめえ。こうなった原因のクセになんだその生意気な……」
言われて、ドレイクも勘づいたらしい。
腕で胸元を隠しながら俺から離れると、羞恥で顔を真っ赤にしながら言ってくる。
「ぴ、ピガロごめんな。こんなもの押し付けちまって」
「いやそんなことないというか、とてもよかったというか」
「よ、よかった!?」
素っ頓狂な声をあげるドレイク。
対して、俺はそれ以上はなにも答えられず黙ってしまう。
よかった……よかった……とうわ言のような呟きが山の中で静かに聞こえ続けた。
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