2話 1度見たら死ぬ画像を見たら本当に死んでしまいました
小鳥のさえずり。子供たちの愉快な遊び声。奥様たちの井戸端会議。
昼間の平和なラグーンタウンの公園に、ピガロこと俺は来ていた。
チョンチョン
利き手である左で握った筆を、パレットへ絞った絵の具に浸す。イーゼルに設置したキャンバスの上へ赤を伸ばす。
色というものはとても大事だ。
線や構造がいくら優れていようが、色が駄目だと絵というものは全てが拙く見えてしまう。
気をつけながら目の前の白を染めていく内に、つい先日のことが頭の端で思い出されていく。
『停学ですって!?』
『そうだ。一か月、寮からも離れて謹慎しろ』
俺に対してそう冷たく言い放ったのは、担任のザガート先生だった。
『俺は決して自分から火事なんて起こしていませんよ』
『あの建物の管理下はおまえにある。たとえ故意でなかったとしても、学園の器物を損害した責任はおまえが背負うんだ』
『そもそもアトリエはそっちから押し付けてきたんじゃないですか。俺自身、生徒たったひとりで管理なんてできるか不安だって言ったのに』
『だけどあそこは一時的にはおまえのものだった。書類上にもそう記載されている』
ザガート先生は今までもこうやって俺を突き放してきた。
他の生徒からは冷たいようで実は色々と面倒をみてくれる評判のいい教師であるが、この人はいつ俺にだけはなにもしてくれず、ずっと放置し続けた。
もちろんザガートのジョブを考えると、【絵師】の俺へなにかを教えられると思わないが、それでも差別されているようで一緒にいると心苦しくなる存在だった。
『まあ一度死んで今月のダンジョン授業にも出られないし、ちょうどいいだろう』
『出られないんですか!? もうポイントほとんどないのに!』
『当たり前だろ。死んだ生徒はどんな理由であれ反省させるために外部授業には出席できない。そのルールはしっかり入学式の時に伝えたはずだ』
『ならせめてこの折った腕の治療くらいは』
『駄目だ。おまえがいたのは休日の学校で、その時にした怪我は自前でなんとかしろ』
『でもこれじゃ……』
『諦めるならさっさと自分から退学届けを出してくれ。停学中でも持ってくれば受け取ろう』
また遠回しに促される退学。
ここまでくるともう直接命令されているようなもので無性に腹がたったが、向こうは教師で大人であるため分が悪く感じてなにも言い返せなかった。
こうして俺は腕を折ったまま学園を出て、山ふたつほど離れたこの町にしばらくいることとなった。故郷に帰っても両親はこの世にはもういないし、住居なんかも冒険者になる費用を稼ぐために売り払ってしまった。
残っているものはその金で買った画材とあとは怪我だけだ。
「クソ!」
夕焼けが落ち始めて公園内の人もほとんど出払った頃、俺は書いていた絵をクシャクシャに丸めてぶん投げた。
あの絵が――あの画像が再現できない!
前世の死因となった画像。
大量に画像が並べられて面白がられてるようなオカルトの類ではない本当に一度見ただけで俺の命を奪った画像。忌々しい存在でありながら、俺の奥底にまでこびりついて離れない存在。
「ひっ!」
俺を見た散歩中のカップルが、怯えて逃げていく。
当然だ。睡眠も食事も削って、俺はずっと描き続けている。昼も夜も全ての時間を、あの画像の再現に費やしていた。
そのせいで、俺の今の姿は幽鬼のようになっていた。下手をすれば魔物と勘違いされて、殺されてしまうかもしれないな。
でもなぜ、俺はここまで描くことに集中しているのか。
かつての仲間たちへの恨み。裏切られたことによる悲しみ。退学へのプレッシャー。なにもしてくれない教師たちの態度に募る寂しさ。
それらを考えたら復讐のひとつやふたつくらい模索してもよかったのに、全て吹っ飛んでただひたすら絵の再現に務めていた。
なぜだろう?
いくら頭の片隅で思考しようが答えは決して出ることなく、俺は筆を動かすことだけに夢中になった。
「これも駄目だ! あの窯の中に閉じこめられて煮えたぎられるような一枚には及ばない!」
描き続けたことで上達し、俺の中でも最上の一枚が完成した。
だけどこれはあの絵じゃないんだ。
配色も構造も陰影も輪郭も完璧だ。だけどなにかが違う。
俺の怒りはついに失敗作ではなく、自分自身に向かった。
ガツン、と近くの木へ額を思いっきり打ちつけた。
「頭の中にはあるんだ! もう筆なんか通さず出てこいよ! 出てこい! 出てこい!!」
他人から見るとよほど狂っていたらしく、わずかに残っていた大人も子供たちも顔をこわばらせながら公園から去っていった。
しーん、と静まった空間内で、俺は目の前をじっと見つめるようにして立ちつくす。
俺はさっきまで自分の頭が触れていた個所へ触れた。
「……これだ」
指との間にネバっと伸びる血。
決して絵の具では再現できなかった抵抗感を覚える赤黒さ。この色こそが俺の脳内にある画像を構成していた色だった。
割れた額に、俺は筆を浸した。
夕日でオレンジに輝くキャンパスへ、濡れた筆先を走らせる。
左手を動かすごとに、俺が待ち望んでいたあの画像ができあがっていく。
このひと塗りでついに――
筆を離すと、そこには俺の頭の中にあった通りの絵があった。
これが一度見ただけで死ぬ画像。
「うぐっ」
胸辺りに突然発生する激痛。抑えてみると、心臓の鼓動が停止していた。
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