18話 夢のはじまり
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目の端から端まで広がる草原。爽やかな風に運ばれて、青々しい匂いが鼻まで届く。
大地を蹴り、緑を駆け抜ける。
――待って。
前にいる人物を俺は追っている。四肢を伸ばしてもなお届かない距離にいるあいつに追いつこうとしている。
――待って。待って。
俺の声が聞こえないのか、あいつは楽しそうに前をずっと走っている。
――お願いだ待ってくれ。俺はもう一度きみに触れたいだけなんだ。
力抜けていく俺に構わず、あいつはただ遠ざかった距離を広げていく。
熱くなった体を、風は気持ちよく冷ましてくれた。
♢
「――はっ!」
バッと勢いよく起き上がる。
毛布の下の体へ意識をやると大量の汗をかいていた。
「起きたかピガロ」
「ドレイク……」
「うなされていたぞ。汗もすごいな。水、飲むか?」
「ありがとう」
ゴクゴクと放出した水分を取り戻すために受け取った水筒を大きく傾ける。
あの時から、たまにこういう夢を見る。
悪夢ではない。これは俺が昔――前世の頃に体験した過去が夢となって出てくるのだ。
理由は不明だが、原因はやはりあのアトリエが火事に巻きこまれた最中の記憶を取り戻したことだろう。
「ふぅ。落ち着いた」
とはいえ、別段困ったことでもない。
小学校の頃の担任をお母さんと呼んでしまったり、中学生の頃に包帯を巻きながら夜の徘徊をしていた記憶が垣間見えるだけだ。
精神的なダメージは高かったが、こうして肉体にまで影響があるのは初めてだった。
だからおそらく今回のことについてはただ寝床が悪かったせいだろう。
「クエスト中に気を抜いたせいですよ。情けない」
「馬車の中で仮眠をとるなんて冒険者にはよくあることだろ」
「じゃあよくあることもできないピガロ様が駄目駄目なんですよ」
「てめえ。二度と喋れないようその舌ちょん切ってやろうか!」
メイドキャップに白いエプロン。
さらには足首まで隠す黒いロングスカートというまさしくメイドといった格好のリリヤ。ここが貴族の住む豪邸ならばともかく、冒険の旅路の中では違和感しかない恰好だった。
そんな彼女をドレイクは怒鳴りつけた。
「待て待て。こんなところで喧嘩しないでくれ」
「喧嘩ではありません。さっきから一度も自分はこの方に話しかけていないのに、勝手に向こうから噛みついてくるんですもの。逆に困っています」
「別に俺様もおまえなんて眼中にねえよ。ただピガロに対して、いちいちつっかかっているのが気に食わねえ」
ふたりの間に火花がバチバチと起きる。
先日、マツリエから指示を渡されてからリリヤはずっと同じ調子で俺へキツく当たってきていた。
まあ急に自分抜きでよく知らない人物と一緒にいろと命令されて不機嫌なのはよく分かる。
マツリエはあのあと、募集をかけるためにまずなんらかの功績を残すべきだと言っていた。
実際、いくら引きつけられる方針や優秀な人材がいようと新入生でもないのになにも成していないパーティーに入るのは躊躇われる。
それに俺たちの場合は目的が目的だけに、余計に忌避されることになるだろう。
だからこちらとしても人数がふたりで心許なかったのは事実だし、俺が我慢をすればいいだけとリリヤについては諦めることにした。
「永遠に黙らせてやろうか氷女」
「できることならやってみてください」
と思っていたのだが、このふたりかなり相性が悪い。とりあえず大きなトラブルを起こすことなくこのクエストが平穏に終わることを願うしかなかった。
それから少しして、目的の村に到着した。半日かけての道だった。
送ってくれた馬車に礼をすると、明日の早朝には迎えにくると伝えられた。
「そうか。ちょっと残念だな」
「こんななにもなさそうな村を観光でもしたかったのか?」
「いや田舎は故郷だけで充分さ。ただこの近郊に虹の海という場所があるんだ」
特定条件下で複数の色に別れる海面。この世界における抽象画の第一人者ワイリーでさえ、その海は写実でそのまま描くのが一番だと言い残したほどだ。
とはいえその条件が判明してないため、ここ数十年はその光景を目にしたものはいないらしい。
「たとえ見れなくても、行ってみたかったんだけどね」
「ならとっとと終わらせて、余った時間で行けばいい。俺様とピガロ。ふたりならどんな相手だろうと楽勝さ」
「自分もいますが。しかしはたしてパーティー結成初のクエストでそんな上手くいくでしょうか? 正直、不安です」
「つまんねえこと言って水差してくるんじゃねえ」
「まあまあ」
ドレイクは怒るが、リリヤの心配も一理ある。あとのことなんて考えず、きっきりクエストを完遂することだけにまず集中する。
そのためには早速、依頼主を探すことにする。
「お待ちしていましたぞ。冒険者がた」
「あなたが村長さんですか?」
「その通りですじゃ。つい先日、そちらの学園に依頼届を出したしがない老いぼれですわい」
杖を持った長い髭の老人が話しかけてきた。
どうやら依頼主の村長のようで、時間をかけることもなく発見できた。
「依頼内容は、山にいるアッシュレオの討伐でいいんですよね?」
「そうですじゃ。山にいつ現れたのかは知りませんが、最近までここらへんでは見ない種でしたのじゃ。それが突然、麓まで下りてきて畑を荒らすようになって。この前、作物を守ろうとした農夫を怪我させたのじゃ」
「それはたしかに危険ですね。分かりました。パーティー『アトリエ迷宮』が今から山へ入って討伐いたします」
「ありがとうございますじゃ。しかし言葉遣いからよくできた若者で、こういう人が冒険者になると聞くとこの村の将来も安心できそうじゃ」
初対面の俺を丁寧に褒めてくれる村長。
村から伝わる素朴だが和やかな雰囲気と同じものを覚えて、この人がここ一帯を治めているんだなということが役職以上に感じられた。
山に入る前にきてほしいところがあると彼から言われ、老人のあとを俺たちはついていく。
狭い村なため、五分も経たずに端から端まで移動した。
湖の脇にある小屋。
そこの扉を開くと、中にはグーグーと寝ている中年男がいた。年相応に太った腹がだらしなく上着から出ている。
「こいつは?」
「この村の警備を務めている冒険者ですじゃ。起きてくだされグリニア殿」
「ふぁ~。なんだ爺さんか。酒でも持ってきてくれたのか?」
「違いますぞ。今日、トレジャー学園から生徒が来るのは事前に言っておきましたですじゃろ。このへんの山には不慣れなゆえ、引率をお願いすると」
「あー。そういえばそんな話あったな。すっかり忘れていた」
ふぁ~、とグリニアと呼ばれた中年男はもう一度あくびをして眠たそうにする。
二日酔いらしく、頭痛のする個所を抑えながらグリニアは俺たちへ話しかけてきた。
「よう、ひよっこども。トレジャーだかなんだか知らねえが、こちとらプロだ。足引っ張らねえように気をつけろよ」
「おっさんこそ。俺様たちの邪魔だけはしないでくれよ」
「けっ。舐めた口ききやがる。教育がなってねえな近頃の若者はよ……まあいい。それよりリーダーどいつだ?」
「はい。俺です」
「ふーん。小僧、ジョブは?」
「……【絵師】です」
ぷっ
俺が答えると、頬を膨らませながらグリニアは吹き出した。
「くくくっ。聞いたこともねえマイナージョブ。学生とはいえ、とんだ使えねやつがきちまったよ」
「てめえ。ピガロをそれ以上笑うんじゃねえ」
「笑うなって。いくらなんでも無理があるわこりゃ。むしろ貧乏くじ引かされて困るのはこっちだっつうのに」
「すみません。助かります」
「ピガロ!?」
頭を下げた俺を見て、驚くドレイク。
不愉快ではあるが、正直、もうこの手の反応は慣れている。今はさっさと場を治めて、クエスト開始を急いだほうがいい。それにこういう価値観を見直させるために、学園大会に参加するのだから上等だった。
一個ずつ訂正していったらキリがない。狙うは優勝だけだ。
「……」
俺の背中を、リリヤが沈黙したまま見下ろしていることをこの時の俺は知らなかった。
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