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第1章:梟と鷹(7)

「……」


 無言で何度も見返すメモ帳には、大凡の損害額が粗雑な字で計算されている。

 店の存続を揺るがすような大損害――――とまではいかないものの、薄利経営の薬草店【ノート】にとっては、取り戻すのにかなり長い期間を要する金額だ


 まして、食虫植物の件で固定客を失った直後の出来事。

 しかもその解決の為に最初の一歩として半日かけて描いた子猫の絵も、今や引き裂かれて地獄絵図と化している。

 尤も、店内の地獄っぷりに比べたら可愛いものだが。


「ええと、取り敢えず故意による器物破損って訳ではないですし……大事にするつもりはありませんので、お顔を上げて下さい」


 最早嘆き方すらわからない現状では他にどうする事も出来ず、フェイルは温情豊かな台詞を勇者とやらにかけてみた。


「う~あ~」


 円らな瞳から、滝のような涙が流れる。

 半ベソから本泣きに移行したようだ。

 どう考えても泣きたいのはこっちなのに――――という言葉が白々しく心の空洞に響き渡る。


「こちらと致しましては、慰謝料や迷惑料を要求する気はないので……損害分だけ支払って頂ければ」


「損害分……お幾らですか~?」


「こちらになります」


 メモ帳数ページに渡る計算の結果を勇者に見せる。


「……きゅう」


 まるで現実から眼を背けるように、一瞬で卒倒した。


「気絶……!?」


「彼、精神が弱いの。刺激の強いものを見ると、脳の自己防衛が働いて気を失う癖があるから」


「刺激物扱いされる程の金額でもないと思うんですが……いや、僕にとっては大金ですけど」


 失神した勇者をジト目で眺めていたフェイルだったが、暫く復帰の見込みがないと悟り、対話の相手を女性二名へと切り替える事にした。

 

「えーと……申し訳ありませんが、身元を証明出来る物を何か所持していませんか?」


「彼が勇者だなんて信用出来ない?」


 剣士のその問いにフェイルは思わず首肯しそうになったが、寸前で踏み止まる。

 接客業に従事する者は、常に謙虚でなければならない。

 鉄則だ。


「いや、そういう事ではなくて……このような問題が起こった場合はまず、身元確認を行うのが世の常なのではないかと」


「ふーん……ファル、何か持ってたっけ?」


 女性剣士は少々憮然としているような面持ちで、隣にいる魔術士の女性に問い掛ける。

 返答の言葉はなく、代わりに勇者の背負う――――というより勇者を潰しているリュックに手を伸ばし、中から四画状の薄いケースを取り出し、無言でフェイルに手渡した。

 ケースは黒光りしており、見るからに高級品だ。


「これは?」


「勇者証明書です。国王のサインが入っています」


 言葉の通り、中には『勇者証明書』と記された一枚のパーチメントが入っていた。


 高級感溢れるカラフルな色彩とデザイン以上に目を引くのが、左上の一角を占める、二冊の本の影が交差したようなデザインの紋章。

 複製すれば十年以上の禁固刑と法律で定められている、エチェベリア国家の国章に他ならない。

 右下辺りにある国王のサインと思しき落書きとは比較にならない説得力だ。


「成程……本物みたいですね」


 フェイルはそう呟きつつ、本文の方に目を向ける。

 内容は取るに足らないものだが、確認の意味合いで完読する必要があった。


『――――リオグランテ・ラ・デル・レイ・フライブール・クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン=レイネル(以下乙)を勇者と証明する――――』


 途中、その中の一文に目が留まる。

 呪文か、或いは何かの暗号か――――


「それが彼の名前です」


 思考を読みきった魔術士のフォローに、フェイルの顔が思わず歪む。

 接客業を営む人間にあるまじき思考であろうと、この名前は仮に覚えられなくても一切非はないと自分を納得させる自信があった。

 

『尚、乙とその帯同者フランベルジュ=ルーメイア、ファルシオン=レブロフの二名をここに【勇者とゆかいな仲間たち】と称する――――』


「……」


「言っておくけれど、私はそんな呼称絶対に認めていないから」


 無言で女性剣士の方に視線を向けると、そんな答えが返ってくる。

 露骨に顔をしかめてはいたが、微妙に赤面している辺り、命名にあたって全くの無関係ではないらしい。


「勇者一行では子供に親しみを持たれないという事で、公募した結果その名前になった……事になっています」


「えっと、それって真相聞かないと駄目ですか? 正直その表向きの理由で納得したいんですけど」


「ならそれでお願いします。私としてもその方がありがたいです」


 顔色一つ変えず、魔術士は補足を終えた。

 実際には公募ではなく国王の独断と偏見、若しくは勇者の発案である事は想像に難くないが、仮にどちらであっても何の得にもならない真相だ。


「改めまして、私はファルシオン=レブロフ。魔術士です。そっちの彼女は――――」


「フランベルジュ=ルーメイア。見ての通り剣士よ。出来ればさっき見たのは忘れて欲しいのだけれど」


「了解しました。勇者一行様」


「様、は不要よ。で……そこに転がってるのは説明不用ね。十くらい区切りがあったと思うけど、どこを切り取って呼んでも構わないから」


「普通にリオグランテで」


 それ以下の文字列は覚える気すらしなかった。

 そんなフェイルの返答に面白みを感じなかったからか、或いは厄介事を起こした仲間への呆れからか、それとも生まれつきか――――剣士フランベルジュの目は冷たい。


 実のところ、剣士にはこのような目の人物が多い。

 フェイルはそれを知っていた。


 余り良い意味ではないのだが、それはそれとして――――


「取り敢えず、貴方がたの身元は確認しました。先程も申しました通り、損害分さえ支払って頂ければそれで結構なんで、お願い出来ますでしょうか?」


 どのような人物であろうと、弁償してくれれば問題ない。

 その為なら低姿勢を貫くのみ。

 そんな心持ちでそう問いかけたフェイルに対する二人の女性の反応は、この上なく薄かった。


「ええと、無理」


 バツの悪そうな表情で、しかし若干居丈高な態度で、フランベルジュは拒否の姿勢を示した。

 まさに不遜。

 フェイルの顔が瞬時に青ざめる。


「ちょ……! そ、それは流石に困りますよ!」


「そうでしょうね。結構な量を破壊したみたいだし」


「私が見立てた損失額と、店主さんが計算した額とでは、誤差は殆どありません。極めて誠実な対応であると判断しています」


 ファルシオンと紹介された魔術士の女性は、友好的な言葉とは裏腹に無表情のまま割り込んで来る。

 感情がない訳ではないが、努めて表情には出さないようにするタイプだとフェイルは直感した。


 そして、この手のタイプは往々にして、手強い。


「しかし、無い袖は振れないという事です」


「要はお金持ってないのよ、私達。全然」


 案の定、別の意味で手強かった。

 絶大な経済効果を期待されていた勇者一行、まさかの文無し発言。


「……は?」


 多少接客業にあるまじき響きを含んだ聞き返しとなったが、フェイルに後悔の念はなかった。

 ただし、返って来たのは仏頂面だけだったが。


「堂々と誇れる事じゃないけれど……勇者一行だからといって、必ず路銀が豊富とは限らないのよ。会った事もない他人が自分の家の財産を寄付してくれる訳でもないし、洞窟や町の片隅に都合よく財宝の入った宝箱が置かれてもいない。まして人を襲う動物が何故かがお金を隠し持っている筈もない。資金調達にはそれなりに苦慮しているの」


 フランベルジュの発言は半分くらい意味不明だったが、妙に実感がこもってはいた。

 

「いや、でも勇者って常に大手の武器防具屋とかがスポンサーが付いてて、功労金だの義援金だので基本的に懐は暖かい、と聞いてますけど」


「女性は色々お金がかかるのよ。確かに幾らかの義援金は頂いたけど、全部使ったの」


「野宿する訳にもいきませんし、それに……」


 二人の視線が勇者リオグランテへと向けられる。

 こんな厄介事を頻繁に起こして、その都度弁償金が消費された――――と目で語っていた。


「でも、路銀がないんだったら今日の宿はどうする予定だったんですか……? 野宿は出来ないんですよね」


「良い事を教えてあげる」


 怪訝さを最早隠そうともしないフェイルに、フランベルジュは不敵な笑みを漏らす。


「大抵、勇者って名乗れば只で泊めて貰えるものなのよ」


「……さもしい」


「う、うるさいっ! 仕方ないじゃない! 好きで無一文に なった訳じゃないんだから!」


 一応後ろめたさが多大にあったらしく、フランベルジュは顔を真っ赤にして叫んだ。

 最低限の矜持は持ち合わせているらしい。


「補足しますと、基本的にフランはそのような狡猾な行為を嫌悪する性格なのですが……どうしても野宿は出来ない事情があるんです。責めないであげてください」


「余計な事は言わなくても良いの」


「……」


 フォローしてあげたにも関わらず余計な事と言われてしまったファルシオンは、表情を変えずその身に纏った空気で拗ねている事を表現している。

 彼女も最低限の人間味は持ち合わせているとわかり、フェイルはこっそり安堵した。


「事情って一体何が?」


「貴方に話す必要は……あっ!」


 突然、フランベルジュが叫ぶ。


 同時に――――


「キサマラぁぁぁ! つぅいにっ見つけたわょおぉぉぉ!!」


 カエルが潰された際に発する断末魔の叫びのような声が、大音量で店全体を震わせた。


 三者揃って出入り口の方に視線を向けると、そこには――――フェイルにも覚えのある顔が憤怒の表情で立っている。


「あれ……?」


 つい先日、同じ情景を見かけたばかりの店主が首を傾げるのは、当然の事だった。


 目鼻立ちには見覚えがある。

 しかし風貌が一致しない。


 フェイルの記憶にある造形は、ブ厚い筋肉で覆われた身体とスキンヘッド、そして付けヒゲのようなヒゲが特徴的なヒゲハゲマッチョだったのだが、眼前の男には髪がある。

 おかっぱだった。


 そして、口元にはヒゲこそあるものの、形状が異なる。

 こちらは上流階級の男性によく見られる、両端がはね上がったヒゲだ。


 しかし他は殆ど同じで、凶悪な面構えや肉ダルマのような身体付きは完全に合致する。


「ウフフフフ……つぅいに見つけたわょお、リオグランテ・ラ・デル・レイ・フライブール・クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン=レイネルとその仲間達ぃ」


 しかし中身は別物だった。

 というか、口調が完全にオネエだった。

 しかも勇者の名前を一語一句違わず覚えている程の怨念を携えていた。


「ちょ、ちょっと待て下さい。取り敢えず待って下さい」


「何よアンタ。アタシの邪魔する気ぃ?」


「……」


 フェイルは激しい頭痛に襲われ、眉間に深いシワを作る。

 そのままの顔で、この意味不明な生命体を呼び込んだ原因であろう二人に目をやると、完全に明後日の方を向いていた。


「……こんな狭隘な空間で他人のフリされても困ります」


「私達は何も知らない」


「他人のフリではありません。他人なのです」


 断固として係わり合いを拒否する二人を見て、フェイルは確信する。

 疫病神と名乗る神様の存在を。


「いや、明らかに勇者の名前と思しき文字列を口走ってましたし……」


 だが意地でも抵抗を試みる。

 すると、流石にこれ以上すっとぼけるのは時間の無駄と察してか、剣士フランベルジュは奇妙な生物の前にスタスタと歩き出した。


「……チッ」


 露骨な舌打ちが聞こえたが、フェイルは聞かなかった事にした。


「ええと……妖怪君だったかしら」


「誰が妖怪ですってぇぇ! アタシの名前はヨカーイ=ソラスよっっ!」


 ほぼ妖怪のその生命体は鼻息荒く凄んだが、フランベルジュは澄ました様子で聞き流している。

 まるで、四足歩行の虫を見下ろすかのように。


「あのね。貴方ごときが私達にちょっかい出したところで、どうなるものでもないの。これ以上付け狙うのはやめて」


「もしかして、野宿出来ない事情……?」


「まあ、その一つではあります」


 ファルシオンは冷めた目でフェイルの指の先を眺め、嘆息交じりに吐露した。


「そんな事知らないわよぉ! この店ともどもアンタラをイワせてやるわぁ!」


「そう。これだけ言ってもわからないのであれば、私もこれ以上話すつもりはない」


「……えっ?」 


 そして、フェイルが気を抜いていた一瞬の間に臨戦態勢へ発展。

 フランベルジュは剣を抜き、ほぼ妖怪の生き物は拳と拳を合わせて筋肉を膨張させていた。


「ちょ、ちょっと待った!」


 その後の顛末が絵に描いたように浮かんで、止めようと一歩踏み込む――――


 が、到底間に合うタイミングではない。


「死になさいやぁぁぁ!!」


「遅い」


 フランベルジュの回避とほぼ同時に床から生じる破壊音。


「あああっ!?」


 フェイルの悲鳴と重なるように、複数の箇所から発声する壊裂の音。


「うわああああっ!?」


 フェイルの悲鳴に呼応するように、陳列棚から次々と生まれる粉砕音。


「あっそれ一番高いや……あああああああああああああ!」


 妖怪の繰り出す拳は、全て正確に店内展示商品を捕らえ、破壊し、破壊し、破壊し尽くした。


 散乱する植木鉢の破片を前に、フェイルは自分が殴られているかのような悲鳴を幾度となく上げるが、戦闘中の二人は意にも介さず続行中。

 フランベルジュは華麗に敵の拳を交わし、その度に花瓶や植木鉢が粉々になって行く。


「推定損失額九〇〇〇ユローを突破しました。あ、一〇〇〇〇突破。大台です」


「……ははは」


 冷静に被害状況を実況するファルシオンを尻目に、フェイルはただただ空笑いするしかなかった。



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