第1章:梟と鷹(5)
「……今まで何度も言って来たけどよ、今日もしつこく言うぜ。お前って奴はとことん商人に向いてねーな。なんで商売が絡んだ途端アホになるんだ?」
嘆息交じりに呟くハルの言葉には、コケが生えているかのようなジメジメした響きがあった。
「わかってるよ、商才がない事くらい。でも現状を打破するには人と違う事しないと……」
「いやな、それが迷走っつーんだよ。大体、訳のわかんねー事しでかす前に売れ筋の薬草を揃えて売りゃ良いんじゃねーのか?」
「それが、そう簡単にはいかなくてね……」
確実に需要のある物――――既に実績があり人気の高い商品は、どの業界でも大手の量販店が大量に仕入れる。
その為、まだ歴史も浅く規模も小さく後ろ盾もない小売店が一定量を仕入れるのは難しい。
しかも、売れ筋の商品を仕入れる場合、付属として全く売れず在庫処理に困るようなシロモノもセットで仕入れなければならないのが、この業界のセオリーだ。
要するに、いいとこ取りは出来ないシステムとなっている。
「ほーほー。商売って面倒臭ぇな。俺の性分には到底合いそうもねーや」
大した関心もなさそうな口調で、ハルは感心を示した。
この男、最近は暇さえあればこの薬草屋【ノート】に足を運び、冷やかし行為に精を出している。
それはフェイルにとって息抜きの時間となっていたが、この日は余り会話を弾ませる気にはなれず、軟体動物のようにカウンターに突っ伏して時の経過に身を委ねていた。
「でな、フェイル。お前のこのどうにも冴えない、いつ見てもつまらねーヘボい店の事はこの辺で置いといてだ」
「死人に塩塗るのは止めて……」
「まー冗談だからそろそろ生き返れって。んで、ちょっと耳寄りな情報があんだよ。聞きたいか? 聞きたいよな。聞けよ」
ハルの構って欲しくて堪らないという不気味極まりない視線が、少しずつフェイルに近付いて行く。
どうせ耳を塞いでも強引に指の隙間から声を捻じ込んで来るのは明らかなので、フェイルは顔を上げて聞く体勢を作った。
「驚くなよ~、いや驚け。そして情報提供者様に感謝の一礼だ。なんと! 勇者ご一行様がこの街に来るんだってよ! やったなオイ!」
「……」
期待など微塵もしていなかったが、それでも既聴の情報をさも得意げに語られるのは面白くないもので、フェイルは思わず嘆息した。
「なんだよ反応薄ぇーな。知り合いのダチにもお前と同世代でリアクションが枯れ腐った魔術士がいるんだけどよ、最近の若い奴らってそのスタンスがカッコ良いと思ってんのか? 俺に言わせればゴミみてーな人生だぞ」
「知らないよ。それで、勇者様は今何処にいるの?」
「確か三日前にコスタに付いたっつってたから、もう直ぐ到着の筈だ。なあオイ、これ最後のチャンスなんじゃねーの?」
「チャンス……?」
「商売繁盛の、に決まってんだろ。知らねーの? この国ではな、勇者の訪れた店、勇者の購入した商品、勇者の宿泊した宿……これみーんなそれまでの数倍、数十倍の売上げになるらしいぜ?」
朝に何度も聞かされた眉唾ものの言葉がここでも飛んで来る。
当然、フェイルの眉間には更に深く皺が刻まれ、怪訝の色彩が色濃く自己主張を始めた。
「なるの! なるんだよ! いいか良く聞け。この特徴も取り柄も色気もない、ギルドの窓際で管理職やってる中年の成れの果てみてーな店がメジャーになれる最初で最後のチャンスなんだぞ? それをボケ~~~っと眺めてるだけなんて、お前が許しても俺が許さねーぞ!」
「許すも許さないも、ここ僕の店」
「まずは商品の強化だな。それから外装もこんなんじゃダメだ。もっと派手派手って感じにしねーと。後、呼び込みと掃除と女っ気も……チッ、結構な人員がいるな。元手幾らだ?」
「いや、あの……」
「ヘッ、燃えてきやがった。ここまで気分が煮え滾るのは三年振りだぜ。この俺をここまで熱くさせるなんてよ……うっしゃ、今日一日で全部やってやろうじゃねーか! ひやっはーっ!」
「……はぁ」
フェイルはカウンター内で身を屈め、紫と緑のまだら模様の葉っぱを取り出し、それをハルの口に放った。
「ひぎゅうううええいいああおおううききゅえええぎょわわぺぺぺおぼおおお」
それを噛んだ瞬間に不気味な悲鳴を上げ、ハルは一秒間に二十回くらいの頻度で顔を左右に振り始めた。
俗に言う錯乱状態だ。
「カラフルな色合いが特徴の薬草『プワゾン』。その葉汁には口の中を綺麗にする成分が含まれているので、食後にお一つどうぞ」
「おほ……おほぉ……」
最後まで何を言っているか不明瞭な中、ハルは清涼感溢れる香りを口から吐きつつ気絶した。
ちなみに、プワゾンにはかつて緊急用の麻酔代用に使われていた実績がある。
その苦味だけで人の意識を安全に奪えるからだ。
当然、売り物に出来る草ではなく、主に防犯用として置いてある。
床に転がったハルを端っこに寝かせたフェイルは本日のこれ以上の客足を絶望視し、入り口の扉にぶら下げた札を『準備中』にした。
「……勇者か」
そして再び中に入り、熟考に入る。
現状を考えると、周囲の声を信じる以外に道はなかった。
数少ない固定客すら本日失ってしまった可能性のあるこの状態を打破するには、勇者の知名度を最大限利用するしかない。
薬草は本来、旅人が道中の怪我に応急処置を施したり、動物や虫から受けた毒を中和したりする為に携帯しておく薬代わりの物。
もし勇者が購入したとあれば、その効果に対して期待を寄せ、買って行く旅人は確かに増えるだろう。
治安が良くなったここ数年、世界を駆け回る旅人の数は増加傾向にある。
それは観光目的の旅行者であっても、放浪の為に漫然と世界を巡っている冒険者であっても同じで、全体的に人の循環が活性化しているらしい。
「確かに、これが最後の好機なのかもしれない」
フェイルは決心した。
この薬草店に勇者が来て貰えるよう、最大限の努力をすると。
そして、早速その為の第一歩を踏み出した。
「んふっ!? うー……あれ? 俺なんでこんなトコで寝てるんだ?」
取り敢えず、寝ていた友人を踏み起こす。
一見乱雑な扱いに見えるが、勢いで店を乗っ取ろうとした友達に対する待遇としては寧ろ優しい方だ。
何より、ハルという人物にはぞんざいに扱う方が結果的に輝くという奇妙な性質があり、この一年でフェイルはそれを直感的に把握していた。
「ハル、勇者の事について詳しく……」
「貴様コラァァ! このドゲスがァァァッ!!」
「わっ、そこまで怒らなくても」
「……いや、俺じゃねーって」
声の判別が付き難い、耳を劈くようながなり声だった為フェイルは気付かなかったが、それはハルの声ではなかった。
彼の後方――――扉の開いた出入り口付近に、巨大な筋肉の塊が一つ。
それが声の発生源だ。
「フッフッフ……つゥいに見つけたぞゥお、悪の化身ハルゥゥゥ」
のっしのっしと、床を苛めつつ近付いて来たのは――――その身体付きによく似合ったスキンヘッド&ヒゲのゴツい強面。
明らかに一般人の形相ではない。
「ここで会ったが百年目ッッ! いや百億年目! 殺す、殺さあ、殺せすとォォ!」
「……えらく知性のない殺意を向けられてるけど、何やったの」
「チッ、上手く撒いたと思ったのに」
フェイルは、明らかに危機を迎えているにも拘らず全く動じた様子のない友人に対し、何となく嫌な予感を覚えた。
「まあ落ち着け、えっと……バケモノ君だっけ」
「誰がバケモノだゥあ! 俺の名前はバモケノ=ソラスだッッ!」
バモケノと名乗る化物は鼻息荒く凄むが、ハルの様子に変化はない。
ますますフェイルは嫌な予感を深めた。
「ああ、そうそうバモケノ君。いやね、君が怒るのは実に尤もだ。けど、世の中にはだ、どーーーっしても仕方がねー事もある。どうだ、ここは一つ笑って許してくれねーか?」
「はっはっはァ! 許さねすとォォ!」
丸太のような腕を振り回す化物に、フェイルは困惑を禁じ得ずにいた。
店内での騒動は商品及び建物の破損に繋がる恐れがある。
そしてここは薬草店なので、落ちれば割れる植木鉢が山ほど陳列されている。
導き出された答えは――――
「あの。すいませんが店内での営業妨害行為はご遠慮ください」
制止。
つまりは介入だ。
「あァん?」
「そうだぞ! ここはな、このフェイル=ノートの経営する店の中だ。こんなトコで暴れて何か壊したらお前、器物破損で慰謝料ぶんだくられっぞ?」
フェイルの懇願と、ここぞとばかりに彼を巻き込もうと試みるハルの補足に対し――――
「そんな事知るかよォ! この店ともどもキサマを潰してやるさァ!」
バモケノの返答は、脳が筋肉によって侵食されている部類の生物特有の何ら思考の形跡がない反射的な結論を大声で叫んだ。
「やれやれ。しゃーねーな」
「勘弁してよ……また店の評判が落ちる……」
嫌な予感は、誰しもがよく当てる事が出来る。
何故なら、生物は本能的に危機察知能力を備えているからだ。
しかし、それが防衛手段として成り立つか否かは時と場合のよりけり。
結局、今回はそれに該当しない事をフェイルは自覚し、頭を抱えた。
「ま、心配すんなよ。出来れば商品が壊れないよう努力すっから」
「前後の文脈が合ってるようで合ってない……」
不安しか顔にないフェイルに苦笑しつつ、同時に何処か楽しげに、ハルは背中に固定していた剣の柄を握り、鞘ごと手に取る。
その言葉と様子に、フェイルは思わず目を丸くする。
「え? ちょっと待ってよ。ここで本格的に戦り合う気? 外に連れ出してよ! それが努力なんじゃないの!?」
「仕方ねーじゃん。あいつデケェから、すり抜けて扉の方まで回るにはせめて一接触は必要だしな」
「嘘でしょ……」
「死ねすとおおォォォ!!」
絶望を囁く――――と同時に、バモケノの豪腕が唸りを上げる。
その右フックは豪快に、しかし正確にハルの左頭部のこめかみに照準が向けられていた。
意外な事に、ただ腕力にモノを言わせたフックではなく、つま先から腰、腰から肩に力が伝導された正しい打ち方。
明らかに単なるゴロツキではなく、何かしらの格闘技を身に着けている人間の拳だ。
それに対し、ハルは特に防御態勢は取らず、その代わりに何気ない所作で剣を振った。
まるで、近くに飛んで来た虫を払うように。
或いは、頭を掻いた手を下ろすように。
そんな日常の中で行われるような、緊張感の欠片もないその行動が、この攻防の全てとなった。
「……?」
空気を抉る豪快な音は、バモケノの拳がもたらしたもの。
本来、ハルのこめかみを貫く筈だったその手の甲は、遥か上部を空振りし――――そのまま仰向けに倒れた。
床が強烈な振動に見舞われる。
筋肉の塊は、既に意識を失っていた。
「いや、見事なお手前」
商品に被害が無かった事に安堵し、フェイルは思わず手を叩く。
ハルの攻撃は単純だった。
柄の先で敵の顎先を掠める。
それだけの事。
しかし、それを敵の攻撃より後に出し、被弾するより遥か前に達成するのは通常、困難を極める。
ましてそれなりに重量のある剣入りの鞘で行うのであれば尚更。
神業と呼んでも差し支えない剣技だ。
「悪いな。昼間、あのバケモノがおちょぼ口で頬赤らめて女口説いてたのを酒場で見てさ、つい大笑いしちまって」
「最低だ……」
重い吐息を落とし睨みつける店主に対し、ハルは肩を竦め笑顔を作る。
笑われたからといって暴力に訴えるのは良くない行為だが、それを問答無用で返り討ちにしてしまうハルも人道的には余り褒められたものではない。
とはいえ、ハルの顔に罪悪感はない。
一応、友人の店を巻き込もうとした事に対する防衛――――そんな免罪符があるからだ。
それを全てわかった上で、フェイルは首を左右に振った。
「んじゃま、こいつをゴミ捨て場にでも連れて行ってやるとすっか。またな」
「もう来なくていいよ。お客様の邪魔になるし」
「いやいや、客なんて存在しないって。お前、俺が来ないと退屈で死ぬだろ?」
「いたよ! 今日までは! 今日までは確実にいたんだ……」
再び頭を抱えてしまったフェイルに引きつった笑みを浮かべ、ハルは逃げるように自身の倍はあると思われる体重の男を引きずって店から出て行った。
その体勢を変える必要性がないまま、日が暮れていく。
嵐のような一日が終わり、いつもの通り一人の夜を向かえた店主は、諦めたように顔を上げ、あらためて店内を見渡した。
普段通りの風景。
ただ――――その中にはいつも欠けている物があった。
それは欠品ではないし、在庫補充の必要もない。
フェイルの中で欠落しているもの。
正確には、余分なものだった。
薬草店を構えていれば、いつかそれを取り除く為の物が手に入るのでは、と言う微かな期待をフェイルは常に抱いている。
その余分な物は、フェイルの全てを奪った。
しかし、今は逆にそれが命綱でもあった。
除くべきか、このままでいるべきか。
その答えは、毎日変わっていた。
「……勇者、か」
心中でもう一度そう呟き、店主の玉座である木製の揺り椅子に腰を下ろす。
勇者――――それがフェイルにとって、薬草屋【ノート】にとって、一体何をもたらしてくれるのか。
その期待感で胸を膨らませ、暫し椅子の傾く音に耳の奥を揺らしていた。




