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第1章:梟と鷹(4)

 ――――薬草屋【ノート】の午前中は、基本的には穏やかで静かな時間が流れる。


 静寂にはそれ自体に力があり、破壊や創造と同様に時として神話のモチーフともなり、象徴としての神を宿す宗教やサーガが存在するようだが、少なくとも店を構えている商売人にとっては忌々しいものとしか思えないのが実情だ。


 実際、薬草を専門とした商売は限界に近付いている。

 多くの既存の薬草店は、既に商品枠を拡大させ、花や果物を置いて植物全般を扱う店にしたり、香水や化粧品を置いて女性にアピールする美容のお店にしたりと、時代のニーズに合わせようと様々な試みを行っているようだ。

 この業界、そして現代においては専門店は余り流行らないらしく、複合化の流れは薬草に限らずあらゆる種類の商売における共通の変化となっていた。


 そんな由々しき状況下において、この薬草屋【ノート】の店主であるフェイルも、流石に今のままでは未来がないと感じていた。

 別口に収入源がある事が、かえって危機感を喪失させていた節もある。

 時代に乗り遅れた感は否めない。


 薬草に思い入れはあり、そしてそれ以上に薬草を仕入れる必要性を明確に持っているのだが――――薬草を売る事だけに拘り続ける理由はない。

 フェイルは全く開く気配のない入口の扉をじっと睨みながら、打開策をひたすらに考えていた。


 現在、この薬草屋【ノート】の経営状況は、一言で言えば『壊滅寸前』である。

 人件費は必要なく、土地を借りている訳でもないので、基本的に出費は然程多くなく、レカルテ商店街の治安維持と流通管理を一手に担っている商人ギルド【ボナン】への月会費や商品の仕入れ代、店の維持費、そして生活費程度に収まっている。


 とはいえ、それ以上に収入が少ない。


 ある程度高価な治療用の物であっても、鶏卵二個分の重さに該当する一〇〇gでせいぜい五ユロー程度。

 ルンメニゲ大陸の共同通貨なので、どの国でも同じ事だが、一人暮らし一日の食費が約十ユローなのを考慮するまでもなく、薬草の単価は決して高くはない。


 薬草店では通常、植木鉢に植えた苗ごと売り場に置く事はせず、細かく刻んだり、粉末状にして携帯性を高めたりした物を商品として並べる。

 この薬草屋【ノート】では、一つ一つの棚にその薬草の本来の姿を植木鉢に植えた状態で展示しており、購入時には在庫として倉庫に保管している加工物を提供するようにしている。

 ほぼ自己満足だが、視覚的にも薬草に馴染みを持って欲しい――――そんな願望を込めて。


 値段はg単位で、カウンターには重さを量る天秤が常に置かれている。

 無論、錘が錆びないようピンセットや蝋紙も常備。

 幾ら貧乏でも商品周りに手を抜く事はない。


 ここで問題となるのは、その売り方――――ではなく、客単価だ。


 薬草屋【ノート】の主な客層は、商店街に構えた多くの薬草店がそうであるように、料理に使用する主婦達。

 当然、一度に買う量は非常に少ない。

 平均してもせいぜい十g程度だ。


 そんな彼女達が一日十人くらい訪れるので、落ちるお金は五ユロー程度。

 殆どあってないような収入だ。


 稀に現れる観光客は、お土産にと変わった形状の薬草や香りの良い薬草を結構多めに買ってくれるが、そんな上客はせいぜい三日に一人くらいの割合。

 結論を言えば、一月当たりの売り上げは五〇〇ユローくらいしかない。

 本業では生活費すら賄えていないのが実情だ。


 これを改善する方法を、フェイルはずっと考えていた。

 特に寝る時は毎日それを考えている。

 考え事をすると非常に寝つきがいいもので、皮肉にもフェイルは毎日快眠だった――――が、良いアイディアが浮かんだ試しはない。


 実際、色々試してはみた。

 例えば、単なる加工品ではなくもっと手を加え、薬にしてから置こうと考えた事もある。


 ただ、医師の資格を持たない者が薬を売るのは面倒な手続きが要る為、中々現実的ではない。

 数種類程度ならそれでも問題はないが、本格的に薬屋になるのなら資格だって必要だ。

 ごく僅かの薬を置いたところで、そんな中途半端な品揃えでは求心力には繋がらず、寧ろ悪あがき感が鮮明になってしまう。


 他に薬草で作れるものとしては、ハーブワインなどに代表される薬膳酒がある。

 しかし、いざ業者に製造を依頼すると非情な額を請求され、案はその日の内に消し炭と化した。


 着想は他にもある。

 香草の豊かな匂いを売りにしてみようと、『匂い袋』というアイテムを作成してみたりした。

 単純に、小さい袋の中に香草を敷き詰めただけの産物だ。


 実はこれ、売り出した当初は非常に評判がよく、特に観光客に人気を集めた。

 だが、大手の店が類似品を出した途端、手作り感溢れる薬草屋【ノート】の匂い袋はあっと言う間に見向きもされなくなった。

 売る前に特許申請を念頭に置かなかった自身の失態ではあるが、世知辛い世の中だ。


 更には、稀有な種類の薬草を売れば――――と思い至り、一月かけてレア薬草収集の旅に出た事もあった。

 が、その間に唯でさえ少ない固定客が半数いなくなる泥沼の展開に心が折れ、一回きりの挑戦で終わった。

 しかも大した薬草は採れず骨折り損どころか全身骨折損となり、三日ほど放心状態の日々を過ごしたフェイルを誰も責められはしないだろう。


 そんな訳で、悉く失敗に終わってきた改革だが、このまま現状維持でもいずれ薬草屋としての存在意義が失われるのは明白。

 攻めるしかない。


「季節は夏」


 フェイルはこの暑さに着目した。


 エチェベリアの気候は大陸性と海洋性に分かれており、このヴァレロンは前者に該当するので、一年間における気温の差は著しく、四季がはっきりしているのが特徴となっている。

 よって、夏には結構な暑さが続く。

 当然、一般市民は涼しさに飢えている事だろう。


 人が涼しい思いをするのは、どのような時か?


 水に浸かった時。

 風を受けた時。

 これらは薬草とはなんら関係はない。


 だが、薬草で人を涼しくする方法は――――存在する。


「そうだ……僕はまだ戦える。まだ何も終わってないしそもそも始まってもいない。薬草店ノートの躍進はこれからなんだ!」


 静かに心の炎を灯し、フェイルは早速その為の準備を始めた。





 二時間後――――


「フェイル兄様ー」


「うなー」


 売上的な貢献はないものの常連の近所に住む少女と、その飼い猫が薬草屋【ノート】の扉を開けた。


 飼い猫はクルルという名前で、とても品の良い顔をしており、青い毛並みの可愛らしい子猫だ。

 少女も猫もフェイルに良く懐いており、この日も客としてではなく遊び相手として訪れた模様。

 そんな少女と猫が、首をクリクリ動かして店主を探していると――――


「ふえっ!?」


「ふぎゃーっ!」


 同時にある一点に視点が収まり、同時に悲鳴を上げる。

 カウンターの上にある植木鉢から、見るもおぞましい草が生えていた為だ。


 噴水を思わせる、中央から全ての方角に放物線を描いたその葉は、いずれの先端にも血走った目玉のような謎の物体が付いていて、植木鉢の周囲に何個もぶら下がっている。

 しかもその感情などある筈もない物体は、何処か切なげだった。


「ふかーっ! ふかーっ!」


「ふえーん! 怖いよー!」


 普段は大人しいクルルが何度も何度も威嚇を繰り返し、少女は全身を泡立たせて大泣きする。

 簡素な地獄絵図だった。


「あ、ノノちゃん。来てたんだ」


「フェイル兄様のばかー! きらい! わーん!」


「ふかーっ!」


「あ……」


 そして、フェイルが現れると同時に、逃げるように走り去っていく。

 ちなみに、フェイルは同じような種類の草が生えた植木鉢を抱えていた。


 こちらは先端に節足動物の脚に似た朱色の何かが夥しい数付いている。

 いずれも高価な食虫植物の一種だ。


 これを見れば、おぞましさで身の毛がよだち、背筋が凍る事は間違いない。

 近所の少女に嫌われてしまったのは好ましい事態ではないが、効果覿面である事は実証されたので、フェイルは確かな手応えを感じていた。


 倉庫で健気に害虫を食べてくれていた食虫植物が、この夏ヴァレロンを震撼させると。


 フェイルは決して頭が悪い訳ではない。

 瞬間的な判断力と洞察に関しては高い評価を得ているし、標準以上の分析力も備えている。

 そうでなければ弓兵は務まらないからだ。


 ただ、商才は枯れて数百年経った朽木よりもスカスカだった。

 やる事成す事上手くいかない為、迷走中でもあった。


「犠牲は大きかったけど……これが当たって店が繁盛したらきっと戻ってくるよね」


 心で泣きつつ謎の遠い目をしながら、フェイルは店頭に淡々と食虫植物を並べる。

 通行人の引きつった顔を背に。



 そして、その日の午後――――


「すいません、いつものを……ひぃいぃいぃいぃいぃい! 何!? 何なのそれ!? いやっ……おぞましい! おぞましいわっ!」


「フェイルちゃん、こんにちはぁ。いつもの頂戴……ぎゃあああああ!? ンだテメェやんのかコラ死ねクソボケカス死ね二度と来るか死ね!」


「どうもー。あの、いつものを下さおんっ」


 常連客の悲鳴、罵倒、卒倒により床を身体に投げ打つ音が、延々と店内に鳴り響いた。





 ――――薬草屋【ノート】の夕方は、朝同様に静かだ。


 基本、料理に使用するハーブを買いに来る主婦達は昼間に訪れる為、この時間帯は再び客足が途切れる。

 特に憂う必要もない、自然の摂理だ。


 ただこの日は、空と店だけでなく店主も黄昏ていた。


 この夏を盛り上げる予定だった食虫植物達は、たった一日で大半の固定客を恐怖と戦慄の渦に巻き込み、ある意味では伝説を作った。


 皆、今頃は家で寒いくらいにガタガタ震えているだろう。

 狙い通りではあった。

 収益面での結果が一つも伴わなかった上、店の評判が失墜した事実を除けば。


「どうして……こうなった……」


 フェイルはカウンターに突っ伏し、真面目に頭を抱えている。


 決してフザていた訳ではない。

 食虫植物の奇抜な姿は人の目を惹く為、地域によっては人気商品になっているし、全くの的外れでもない。

 視覚的に訴える物が少ない薬草店において、効果的な何かを生み出すという点においては、最もポテンシャルを秘めている商品だ。


 ただ、それまでごく普通に営まれていた薬草店の店頭にある日突然ズラッと異形の者達が並べば、そこに生まれるのは納涼ではなく混沌。

 人間は突然の変化にどうしても戸惑いを覚えるものだ。

 欠片も、粉ほども、微塵も商才がない上に迷走中のフェイルは、そんな当たり前の観点を見失っていた。


「よーっす……って、うぉい! なんじゃこりゃ!? なんちゅーモン置いてんだよ!」


 そしてまた、食虫植物のおぞましさに悲鳴を上げる客が一人――――


「俺とした事が思わずビビっちまったよ。なんだここ……人類未到の密林か? 客に逃げられても知らねーぞ」


「出来れば、朝に来て言って欲しかったよ……」


 もとい。

 客ではなく来訪者が一人。

 フェイルの友人、ハルだ。


 フェイルとハルが実際に知り合ったのは、つい一年ほど前の事。

 傭兵ギルド【ウォレス】に所属している剣士のハルが、この薬草屋【ノート】を訪れた事がきっかけで、以降は特に用もないのにフラッと立ち寄るようになり、自然と友人関係になった。


 剣の腕と泥臭い戦い振り、特に対魔術士の戦闘技術には定評があり、総合的な戦闘力はギルドでも指折りとされる一方、隊長職には興味がないらしく、単身での護衛や賞金稼ぎを主に生業としている。

 ただし性格は一匹狼とは無縁で妙に人懐っこく、構われないと怒り出す面倒臭い一面を持っている。


「……で、何があったんだよ?」


 そんなハルに、フェイルは今日の出来事を愚痴交じりに語った。


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