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第1章:梟と鷹(3)

 ――――薬草屋【ノート】の朝は早い。


 早朝六時には起床し、直後に商品在庫の整理と点検を始め、昨日売れた商品の補充を行い、同時に人気のある品とそうでない品をチェックしてリストアップして在庫の数と照らし合わせ、収穫目標と仕入れの為の注文書を作成する。


 薬草の入手方法は、大きく分けて三つ。

 自分で収穫するか、卸売業者から仕入れるか、薬草園から分けて貰うか。


 収穫する場合は、山なり野原なりに出かけ、自分の手で集める事になる。

 費用は掛からないが、時間と手間が掛かるし、自分の希望する種類と量の薬草が手に入る保証はない。


 卸売業者は、世界に流通網がある為その国には本来生出しない薬草も入手できるが、新鮮度は期待出来ず、値段も高い。


 そして、薬草園からの入手は――――教会が管轄するその地域の施療院が独占する事も多く、中々目当ての物を得られないケースが多い。

 優先順位が低いのは致し方ないが、卸売業者から仕入れるよりは価格は控えめという特徴がある。


 それぞれに一長一短ある為、必要な薬草によって入手方法を分けるのが一般的だ。

 ただ、薬草屋【ノート】は経営的にかなり厳しい状況である為、卸売業者から仕入れる分は最小限に抑え、可能な限り自身で収穫するようにしている。


 スタッフはフェイル一名。

 その為、収穫する間は店を閉めなくてはならない。

 早朝や夕方だけの短い間で集められる筈もない為、場所によっては丸一日が潰れる。


 尤も――――余り売れていないという事実は、同時に補充すべき商品も少ない事を意味する。

 よって、収穫に要する日数は一月の間でも一回程度しかない。


 実際、この日の要補充リストに名前の載った薬草は一つもなかった。一つも。一つも。


 一方、追加希望リストには数種類の薬草が載っている。

 主に料理用のハーブだ。


 薬草は主に治療に使われると思われがちだが、滋養料理用の物も多い。

 また、香草としての役割を担う草も多く、結果的には料理に使う草が多数を占める。

 料理用の薬草は間口も広く、観光客や周囲の民間人も定期的に買い求める物なので、出来れば潤沢な品揃えにしておきたいのだが――――人気商品と言えど自然物である以上は数に限りがあり、大量に仕入れる事はできない。


 わかっていても出来ない――――

 その理不尽さは世界の誰もが経験し、そしていつか忘れていく。

 風が攫った砂は、二度と同じ場所に戻る事はない。

 

「……今日はこんなとこ、かな」


 注文書を書き終え、フェイルは一息吐いた。


 この後にもやる事は多い。


 例えば、市場調査。

 他の店へ出向き、その動向、特に商品の仕入れ具合などを確認する。

 それによって現在の流行を掴む事も出来る。


 大手の薬草店で、とある香草が大量に仕入れられていたとしよう。

 その場合、該当する香草が頻繁に使用される料理――――冷製スープやオックステイルのスープなど、スープの人気に火が点いていると推測できる。

 ならスープに用いられる香草を多めに仕入れておき、種類を揃えた上でスープ特集でも組めば、十分な求心力が期待出来るだろう。


 薬草店で扱われる品種は多い。

 だが、その全ては草であり、用途も限られているため、商品としての幅は狭い。

 よって、関連付けは常に必要となってくる。


 ただし、この日は他にする事があった為、フェイルは店に残っていた。


 それは――――掃除だ。


 早朝の内に店内、倉庫、店の周りを丹念に綺麗にする。

 薬草店に限らず、商店にとって衛生を保つのは当然の事。

 不潔な店舗に好んで足を運ぶ客など、どの世界にも存在しないだろう。


 清潔さは勿論、店舗全体のレイアウトも重要だ。

 特に、薬草店のような地味な商品群を扱う店の場合、どのように華やかに見せるかが最重要課題となる。


 薬草屋【ノート】は客の目を惹く為、入り口の前に『ペニーロイヤル』『ディオスコリデス』『レモンバーム』などの控えめながら綺麗な花を咲かせる薬草を植木に植えて並べている。

 その為、客層は女性が中心だ。


 元々、治療用の薬草は傭兵ギルド等の負傷機会が多い連中が隊単位、或いはギルド単位で購入するケースが多かったのだが、大規模な戦争がなくなり戦闘機会が減った今の時代、一般人からの需要がないとやりくり出来ない。


「ふぅ……良し。完璧」


 心中で満足げに呟きつつ自身の店を見渡し、フェイルは雑巾を所定の位置に戻した。


 掃除が終われば、次は朝食。

 黒パンに柑橘をすり潰して作ったジャムを塗り、一枚だけ食べる。


 健康を維持するには朝に豪勢な食事を取るのが良いという説があるが、そんな余裕は当然ない。

 よって、朝食は平均一分弱で終了となる。

 それでも十分満足だった。


「ごちそうさまでした」


 誰が用意してくれた訳でもない、誰に食べさせている訳でもないが、それでも食事の挨拶は言葉にする。

 特に意味はないが、ある種の儀式だった。


食事を終えると、いよいよ開店――――と行きたいところだが、平日の朝早くに店を開けたところで、直ぐに客が訪れるなどという希望的観測は所詮夢物語。

 それをオープンから十日程度で思い知ったフェイルは、開店時間を遅らせてランニングを日課に入れた。

 筋力と持久力と健康の維持は元より、一日中店内に居なければならない職業性による精神的な鬱屈を少しでも軽減する為のものだ。


 しかしこれが、いざ始めてみると別の付加価値もあった。

 薬草店【ノート】は、ヴァレロンの新市街地最大の商店街であるレカルテ商店街に隣接する地域に立地している為、周囲を走っていると商売人と顔を合わせる機会が多い。

 幸か不幸か、薬草を売っている店は近隣にはなく、フェイルを商売敵と見なす人達は今のところ存在しない為、愛想の良い面々がこぞって声を掛けてくれたりする。

 今では殆ど挨拶回りがメインになっていた。


 という訳で――――いつものコースを巡回しようと走り出す。


「よう。精が出るじゃねーか」


 その刹那、早くも呼び止められた。

 フェイルは早速立ち止まり、挨拶の為の顔を作る。


「おはようございます……って、何ですかコレ」


 毎日のように話しかけられる武器屋【サドンデス】の店主・ウェズ=ブラウンの奇妙な行動と店の外装に、フェイルは思わず目を丸くした。


 元傭兵で非常に締まった身体のウェズは、その外見と経歴通りに豪快で屈託のない男――――なのだが。

 そんな強面の男が色紙やリボンなどを用い、自身の店をチマチマと飾り付けなどしている。


「あぁ? このバカ野郎! そりゃお前、アレに決まってんだろ。アレだよアレ。アレだ」


 戦場を己の住処としてきた人間故に、その後遺症は語彙に多少現れているのかもしれない。


「……あ、これですか?」


 そんな失礼な事は喉元で唾液と共に胃へ落とし、フェイルは店の前で最も目を引く物体に視線を向けた。


 昨日までは荒々しい字で『斬・殴・裂』などと記されていた広告看板が隅の方に追いやられ、代わりに『勇者ご一行様 超絶大歓迎』と丸字でカラフルに描かれた物質が設置されている。


「勇者?」


 フェイルは首を傾げつつ、その文字を目でなぞった。


「おうよ。勇者。知らねえ訳ねえよな?」


「ええ、そりゃまあ」


 勇者――――勇ましき者の称号。

 そして同時に、このエチェベリア国における、民間人に与えられる最高の栄誉でもある。


 通常、王家が称号を授ける場合、戦火の中で多大な成果を残した者が対象となる。

 その戦火とは、国とその威信を守る為の闘いだ。


 なら当然、貰える者は騎士や兵士に限られる。

 厳密には騎士に限定されると言っても良いだろう。

 義勇軍のような、民間の人間が志願して結成した軍隊は、例えどれだけ戦果をあげたとしても対象とならない。


 当然、民間人の不満は募り、反発の声が上がる。

『騎士は金で称号を買っている』とさえ言われた事もあった。


 噴出する不満の声に、時の王ヴァジーハ一世が下した政策は――――民間人を対象とした称号の設置。

 それが『勇者』だ。


 特別な権限が与えられる訳ではないが、一般人の間では英雄と祭り上げられ、王から認められた存在として貴族や騎士からも一目置かれるようになる。

 吟遊詩人が綴るサーガには度々登場し、未来永劫その存在は神格化される。

 隣国の魔術国家デ・ラ・ペーニャには『賢聖』という称号が存在するが、それに近いものだ。


 ただ、勇者は賢聖とは違い、国家の象徴とはならない。

 あくまでも民間人の救済措置だからだ。

 言うなれば『庶民の神様』といったところか。


 そんな勇者が、街にやって来る。

 それが事実ならば間違いなく一大事だ。


「……でも、今この国に勇者っていましたっけ?」


 フェイルは記憶の糸を辿り、首を捻る。

 戦乱の世から平和の世に移り変わり、勇者もまた現れ難くなった今、その存在が確認されたという報はフェイルの周囲には聞こえて来てはいなかった。


「さぁな。噂ってぇ言えばそれまでのこった。まぁ、来なきゃ無駄骨で済むけどよ、もし来ちまったらって事考えたらよぉ、動かねえ訳にゃ行かねえって。早急に仕上げんとな」


 ウェズは鼻頭を親指で弾く仕草を見せ 鼻息荒く断言した。

 厳つい男のその背後には、カラフルなリボンや子供が描いたような子供の絵。

 無骨で硬派な印象だった筈の武器屋は、非常にカジュアルでポップな様相を呈していた。


 一言で言うなら、不気味。

 これに尽きる。


 フェイルは軽い目眩を覚え、思わずこめかみを押さえた。


「あの……ここまでするものなんですか? 幾ら勇者が来るからって……」


「ああん!? 何だテメェこのボケナスが! わかってんのか? わかってんのか!? 勇者だぞ!? あの勇者だぞ!? 勇者の振った剣! 勇者の突いた槍! 勇者の担いだマサカリ! これみーんな、それまでの数倍、いや数十倍の売上げになるんだよこの野郎!」


「は、はあ」


 元傭兵の凄まじい剣幕に押され、フェイルは弱々しく後退る。


「お前も戦が関与する商品を扱う商売人の端くれならわかってんだろ? 今武器屋がどんだけヤバいか。この機会を逃したらなぁ……店の七割がサビになるんだよ! 右見てもサビ、左見てもサビ! サビ臭くて鼻毛伸び放題だわボケ!」 


「はぁ」 


「お前もとっとと店に戻ってお迎えの準備でもするんだなバカ野郎。このかき入れ時を見逃す商売人なんぞオッペケペーだぞこのロクでなしが」


「あー……はい、そうします」


 まだ早朝だというのに、武器屋【サドンデス】からは殺気にも似た気迫が漲っていた。

 起きがてら獣肉を食わされた心持ちで、フェイルは言われた通り去ろうとして――――


「おっと、ちょいと待て。お前に一つ聞きたい事があるんだこの野郎」


 首だけを動かし振り向く。


「『サドン★デス』と『サドン♪デス』どっちが親しみやすいと思う? 俺としてはハートマークも捨て難いと……おいコラ、バカ野郎! 無視して走り去るなっ!」


 その後も走りながら商店街を観察して行くと、至る所に『勇者様』だの『熱烈歓迎』だのといった文字の記された張り紙や、装飾用の植物、紙で作った飾り物、アクセサリーなどが見受けられた。

 まるで王国騎士団の凱旋パレードでもやるかのような騒ぎだ。


「当然だッッッ! いいか、勇者は世界中を旅するのだ。それはもう、数え切れないほどの街を、村を、城を渡り歩くのだ。仮にだ、そんな中で後に作られるであろうサーガや伝記の一説に我が道具屋【ユーティリティ】が大きく取り上げられた日にはッッッ! 子孫代々、未来永劫、永久に大繁盛間違いなしなのだぞッッッ!」


「はあ」


 ランニング中、通りかかった道具屋の前で巨大な招き猫を担いでいた店主ギャレス=サウスゲイトの血管を浮かび上がらせながらの力説に、フェイルは生返事を返す。


「勇者の使った薬草ッッッ、勇者の飲んだポーションッッッ、勇者の読んだ魔導書ッッッ! これら全てそれまでの数倍、数十倍の売上げになるのだッッッ!」


「知ってます」


「ならば直ぐに店に戻って宣伝グッズの一つでも作れッッッ! 早くしろッッッ!」


 元騎士団の剣幕に押され、フェイルは急いでその場を離れた。


 その後も、勇者に関するコメントは聞きもしないのに次々と飛び込んで来る。


 曰く――――


「勇者様はとにかく凄いんですよ。なにせ世界の勇者です。こんな壮大な存在は他にありません。勇者とはすなわち概念なのです」


 曰く――――


「勇者ってぇ、魔王とか笑顔でブッ殺すんだよねぇ? それエモくない?」


 曰く――――


「うむ。勇者とは実に崇高で、それでいて荘厳で、しかも聡明で、されど幻想的で、故に清廉潔白で、ともすれば質実剛健で……」


 通り掛かる先々でこのような抽象的且つ断片的な発言が鼓膜を乱雑に揺らしていた。


「……精神的に疲れた」


 そして、脚や肺以上に耳が疲労感を覚える奇妙なランニングが終わり、フェイルは薬草店【ノート】の店の前に辿り着く。

 幾度となく聞かされた勇者に関する話は、気が付けば殆どが頭の中から消えていた。


 嘆息と苦笑を交えつつ、店の鍵を開ける。

 そして『準備中』の札をひっくり返し、『営業中』に変更。


 本日の開店準備――――以上。


 少し強めの風が吹き、火照ったフェイルの身体を程よく冷やす。


 軽く胸を張り、深呼吸一つ。

 上空は青くもあり白くもあり、僅かに灰色も含まれている。

 午後には天気が崩れそうな兆候が見えた。


「雨、降らないといいけど」


 そう独りごち、店主は自営する店舗の中へ運命を引きずるようにして入って行った。



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