第2章:遠隔の地(2)
王の間の赤絨毯を踏みしめる音に、感情が乗る事はない。
淡々と――――それすらなく、ただ布と靴が擦れ合う一定間隔の感触だけを残し、デュランダルは王座へと歩み寄る。
エチェベリア現国王、ヴァジーハ8世。
玉座の肘掛に右腕を乗せ、少し身体を傾けた態勢で、彼はその接近を待っている。
周囲に人の気配はない。
本来なら四六時中そこにいるべき大臣の姿さえも。
「只今戻りました」
王と一対一で対峙するデュランダルに緊張の色はなく、その精悍な顔付きをそのままに、膝を突いて忠誠の態勢を整えた。
「うむ。では首尾を問おう」
世界にその名を響かせる騎士が、自身に跪くその光景に満足し、王は一層態勢を崩す。
玉座と言えば聞こえは良いが、見栄えばかりを重視したこの椅子は、実は長時間の安座には向いていない。
「全て順調です。予定通り、エル・バタラの開催に合わせ各々の配置が行われています」
「そうか。ならば何も言う事はない。ご苦労だった」
王直々の慰労。
それでも銀仮面の異名を持つ王宮騎士団の副師団長に変化はない。
「各ギルドの長にも話は通しています。返答は後日との事ですが、概ね現在の条件で問題ないと思われます」
「当然だ。駆け引きに時間を割く必要がないよう、破格の条件を提示したのだからな」
王の言葉にデュランダルは深々と頷く。
実際には――――指示された条件以上を要求されていたが、デュランダルの独断によってその条件に引き上げていた。
内容は、待遇に対する幾つかの陳情と金銭問題。
いずれも副師団長の権力で十分対応可能なものだったので、支障はなかった。
「この計画は、我々ヴァジーハ王家の悲願と言っても過言ではない。父は下手を打ったが、この私の代で達成する事が父への餞にもなろう」
「御意」
「お前には期待しているぞ、デュランダル。決して失敗は許されない。だからこそのお前だ。今回も如何なくその手腕を発揮するが良い。我ら王家の為に」
最上級の賛辞を含む王の言葉にデュランダルは畏まり、視線を落とす。
ただ――――それにはもう一つ理由があった。
「もう良いぞ。下がれ」
王の許可を得て、デュランダルは膝を床から離し、騎士の所作で礼をする。
そして、緩やかな速度で王の間を後にした。
本来なら――――その絶対的な権力に包まれた空間は開かれるべき場所。
しかしそこにあるのは、余りにも閉塞的で、それでいて蒙昧な小世界。
扉を潜ったデュランダルは虚無感を抱き、それでも引きずる事なく前へと進んだ。
王の言う『悲願』は、そう呼ぶに相応しい内容とは程遠い。
君主制の矜持を全否定するようなものだった。
例えそうであろうと、このエチェベリアの歴史に多大な爪痕を残すであろう一大計画なのは事実。
王の言うように、失敗は許されない。
もし万が一、計画の主柱となる"目的の先にあるもの"が他国に漏洩した場合、下手すればこの国が消し飛ぶ。
現在、エチェベリアという国には冠がない。
他国に誇るべき産業も歴史も何もない。
実際には意図的に隠蔽されている。
この隠蔽が問題だった。
広大過ぎる故、最早隠蔽自体が一つの国家機密となっている、この国の暗部。
その暗部を全て収納している、一部の者だけが知る空間。
そして――――全ての情報を封印し続けている少女の存在。
デュランダルにとって、必ずしも主戦場とは言えない今回の任務は課題が山積みだった。
それでも責任を負うのは、彼がエチェベリア王宮騎士団【銀朱】副師団長のデュランダル=カレイラだからに他ならない。
この国における最強の剣士の称号【剣聖】を持つ男――――エチェベリア王宮騎士団【銀朱】師団長ガラティーン=ヴォルスではなく、彼だけが王の選択たり得る。
そしてデュランダルもまた、その自覚はあった。
決して本意ではない。
懸念材料も少なくない。
その一つに、彼は信頼を置ける私兵団を持っていない事が挙げられる。
今回の任務は国家主導だが、決して公にされるものではない。
ならば暗躍が必須。
少なくとも銀朱の部下を表立って動かす訳にはいかない。
本来、私兵団とは個人が自己利益を目的に養成する集団だが、こういった暗躍前提の任務であっても活用出来る柔軟性もメリットの一つ。
例えば任務の裏で何を行うにしても小回りが利く。
全ての行動が王に筒抜けとなる王宮管轄の特殊部隊とは、その点で大きく意味合いが異なる。
デュランダルには後悔があった。
本来なら、自身の理想とする私兵団を作れる確かな機会があったからだ。
十分な戦闘力を有した人材を確保するのは、そう難しくはない。
だが、暗躍に必要な技能を身に付けさせるのは容易ではないし、まして絶対的な信頼を寄せられる人間性を持っているかどうかは、育成ではどうにもならない。
人格も立派な才能の一つだ。
「……」
城内の長い長い廊下を歩きながら、デュランダルは思い返す。
自身がかつて目をかけた少年の姿を。
初めて対峙した瞬間から、自身の右腕となり得る人材だと確信した、その才能溢れる若者を。
その残影が、心残りが、デュランダルに私兵団の結成を許さなかった。
もしかしたら、何時の日か――――そう期待させてしまった。
だが、もう時は流れ過ぎた。
計画は既に動き出している。
後は自分がその中に加わるだけ。
出来る事は決して多くはなく、その範囲の中ですべき事をするだけ。
それでも――――デュランダルは後悔していた。
少年との別れを。




