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第1章:梟と鷹(1)

「ねえ、フェイル兄様フェイル兄様」


 冠なき国家――――エチェベリア。

 北部は海に面し貿易も盛んに行われている為、農業、工業など数多くの産業が発達し、加工業で生計を立てる家庭が多い一方で、そのどれもが世界に誇れるほどではない。

 多くの自然、地下資源に恵まれ、造船業もかなり盛んではあるが、それでもこの国には魔術国家デ・ラ・ペーニャのような看板となる分野は存在せず、かつて『学術国家』と呼ばれた名残も今は殆ど残されていない。


「この葉っぱは何? 食べられる?」


 そのエチェベリアの最北に位置する港町コスタの遥か南南西にある、大規模都市【ヴァレロン】。

 歴史は古く、かつては王国の中心地でもあった。

 現在はその立ち位置ではなくなったものの、東西貿易の中継地として発展した北部を新市街地と呼び、依然として国家経済の一翼を担っている。


「あー……これはね、ユーって名前の草なんだ。針葉樹で、咳を止める薬に使われるんだよ。食べられない訳じゃないけど、おやつ向きの味じゃないね」


 ここは、その新市街地にある薬草屋【ノート】。

 

 由緒ある――――と言うには程遠い、築四~五年のまだ新しい店舗は、窓周りの装飾を流行の様式にしてみたり、古臭いランプを照明に使ってみたり、意識高そうな紋様のタペストリーを掛けたりと、それなりに工夫の形跡は見られるものの、雰囲気作りに成功しているとはとても言い難い、なんとも微妙な内装が施されている。


 そして、今しがた幼女に対して薬草の解説を行っていたのが――――店主であり唯一の店員でもあるフェイル=ノートという名の青年だ。


 年齢は十八。

 エチェベリアにおいては成人男性として扱われ、店舗を構えるのに保護者の捺印は必要ないため、彼が店の顔である事に然したる特異性はない。

 柔和な顔は職業病の一種で、普段から誰に対しても同じように接する。


 幼女だから笑みを浮かべている訳では断じてない。


 うなじの辺りで結っている髪は、解けば肩を覆うくらいの長さ。

 長髪にしている事に深い意味はないが、近所の住民にはいつも『鬱陶しいから早く切れ』と謂れのない圧力を受けている。


 人柄は――――表情通り至って温厚。

 その点においては店の評判とは関係なく、周囲の人々にも認められている。

 まだ年端も行かない女の子が遊びに行く事に対し、誰も咎めない程度には。


「『ゆー』? 短い名前ー」


「そうだね。覚えやすくて良いよね」


 説明した効能には全く食い付いて貰えなかったものの、フェイルは苦笑すら交えず、至って朗らかに少女と接していた。


 無論、この少女は客ではない。

 寧ろ他の客を入り難くさせてしまう存在とすら言える。

 常連ならともかく、一見さんにとっては店員が子供の相手をしている状況が好ましいとは到底言えない。

 

 それでもフェイルは嫌な顔一つせず、少女の相手をしていた。

 そして、そんな店主だからと言うのもあり――――この薬草屋【ノート】、決して店として繁盛しているとは言い難い。

 割と経営危機に近い状況だった。


 そもそも『薬草屋』と言う形態自体、既に時代遅れとなりつつある。

 戦乱の世ならまだしも、もう十年以上も戦争がなく平和な世界となった今、薬草単独で商売が成り立つのは夢物語に等しい。


 薬草の役割は主に傷の治りを早める、激痛を和らげる、毒を打ち消す……等だが、日常生活の中で薬草を使う機会は決して多くはない。

 軽い怪我なら自然治癒に任せるし、重い怪我なら診療所や施療院へ駆け込むのが普通だ。


 毒に関しても同様。

 教会に行けば無料(ただし寄付推奨の圧力的笑顔アリ)で治療して貰える。


 薬草の大きな魅力はその携帯性にこそあるのだが、如何せん家庭では殆ど必要ない恩恵。

 せいぜい遠足に行く際に持って行く程度だ。


 よって薬草店がこの町で、或いは世界全体において既に流行らない店となってしまったのは、無理からぬ話である。

 薬草という商品には今、明らかに勢いはなかった。


「ねえ、フェイル兄様」


「何?」


「お客さん、全っ然来ないねー。ひまひまー」


 当然そんな事情など知る由もなく、また自身が枷となっている可能性など考える筈もなく、少女は呟く。

 それでも尚、フェイルは苦味一つない笑顔で、静かに首肯した。


「そうだね。来てくれると良いね」


「うん。でも、来なくてもいいかなー」


「そう? どうして?」


 フェイルの言葉に、少女は首を傾け『えへへー』と笑う。

 肩まで伸びた髪が微かにサラサラと音を立て、開けっ放しになっている入口と風の到来を知らせた。


 将来、相当な美貌を備えると予想されるその少女。

 あどけなさばかりの笑顔は、初めて芽生えた独占欲をとてもしおらしく表現していた。


 お客様は来なくとも、その笑顔で十分満たされる――――等と言う事は無論、ない。

 店を持ち商売をしている以上、それでは生活が成り立たないのだから。


 それでも、フェイルは穏やかに微笑む。

 少女の健気さに癒されたのが、半分の理由。

 そしてもう半分の理由は――――少なくとも『生きて行く』と言う上では、まだ幾ばくかの猶予があるからに他ならなかった。


 猶予とは、すなわち経済力だ。


 薬草店【ノート】は一切繁盛していない。

 薬草店そのものの将来性も絶望的。

 それでも、フェイルの懐に絶対的な危機感はない。


 何故なら。

 もう一つ、別の収入源があるからだ。


「あ、鳥さんだ」


 少女が窓の方を指差す。

 ガラスもない、木製の扉窓の桟の部分に、真っ白な鳥が降り立つ。

 その嘴には、草が咥えられていた。


「……」


 フェイルが近付くと、その白い鳥は草を扉窓の真下に落とし、再び飛翔する。

 草を拾い一瞥した後、フェイルはそれをカウンター内の下に置いてある箱の中に入れた。


「鳥さんのプレゼント?」


「うん。よく運んで来てくれるんだ」


「へー。偉いね」


 少女は笑う。

 何も知らない、何も知るべきではない純粋な笑顔を向けて。


「そうだね」


 フェイルも笑う。

 決して、同じ種類ではないその笑顔を向けて。





 日が暮れ、少女が帰った後、やはり客足は鈍いまま夜を迎える。

 薬草店【ノート】はひっそりと閉店時間が迎え、本日の役割を終えた。


 だが、フェイルは休息もそこそこに、店から出て歩き始める。

 街路灯のない路地裏を通り、明らかに真っ当でない商売をしていると思われる女性と二言三言挨拶を交わし、そのまま一時間ほど歩き続け――――辿り着いたのは一つの家。


 家といっても、その構えは館そのもの。

 この新市街地を統括するビューグラス=シュロスベリーの屋敷だ。

 ヴァレロンの新市街地には数多の巨大建築物があるが、中でもこの館は際立って敷地が広く、一際目立った存在となっている。


 最大の特徴は――――庭園。

 屋敷の周囲には巨大な薬草園がある。


 薬草園は通常、教会や修道院が管轄するものであって、個人で所持するケースは決して多くはない。

 施療院や診療所も教会の薬草を分けて貰ったり、特定の薬草士と契約して定期的に届けて貰ったりするのが通例だ。


 そして、仮に潤沢な土地を持つ医者が自分の診療所の為に薬草園を構えたとしても、せいぜい数種類の薬草を育てる程度。

 しかしこの屋敷の周囲にある薬草園は、実に三十四種類もの薬草の種や苗を植えており、中には一年草もある為、屋敷の周りから緑が消える事はない。


 夜であっても生い茂るハーブの香りが薬草園の存在を主張して止まないその場所に、フェイルは足を踏み入れていた。


 もう何度目か数える事も出来ないくらいの訪問数。

 それでも、この数多の薬草の匂いがブレンドされて生まれる複雑で芳醇な香りは、フェイルに自身の在りし日を思い起こさせていた。


 初めてこの屋敷を踏み入れたのは十年以上前。 

 その時は、大きな不安と一抹の純粋な好奇心がその足を突き動かしていた。

 今は――――それとは対極の動機が燃料となって、フェイルの内部で燻っている。


 その行き先は、屋敷の中のある一室。

 勝手知ったる屋敷内部を、使用人の視線を無視して直進する。

 部屋の数は一階だけで二十を越える館内を、フェイルは一切迷わずに最短距離で目的地へ向かった。


 そして、とある部屋の前で立ち止まり、ノックを六回。


「失礼します」


 数瞬の間の後、その重厚な扉を開く。

 その部屋は――――屋敷の主、ビューグラス=シュロスベリーが生活の基盤としている空間だった。


 部屋の三分の一は詰まれた書物でスペースを失い、非常に情報量の多いその場所で、ビューグラスはまるで玉座のような椅子に腰掛けている。

 それは、権力の象徴。

 表現方法は数多くあるが、椅子でそれを表す人間は、金よりも権力に傾倒している傾向が強い。


「済まないな。いつも」


 しわがれた声で、謝罪の言葉を述べる。


 ビューグラスと言う人物を、この界隈で知らない者はいない。

 ここ三十年の間、薬草学の担い手を務めて来た学者だ。

 既に自らは教育の場を退き、今は学校の経営と病院の顧問、そしてこの館内での薬草の研究に従事している。


 生涯の殆どを薬草に捧げてきた男。

 その為、子を儲けたのもかなり遅い。


 そんなビューグラスの一般人が持つイメージは専ら『厳格』の一言。

 もし館の人間を除いたこの町の誰かが、彼の口から発せられた愁傷な謝罪の言葉を耳にしたら、間違いなく自分の聴覚を疑うだろう。


「……いえ。こちらとしても、ありがたい事ですから」

 

 そう答えるフェイルの顔は――――昼間とは別の種類のものだった。


 目に光は無く、表情には何ら感情が宿っていない。

 まるで別人。 

 そう言われても不思議ではない程の変化だ。


 ただ、フェイル自身にとっては当然の事だった。

 この部屋に入った瞬間から仕事は始まっている。

 その仕事の為には、表情は邪魔になる。 


「今回は、少しばかり厄介かもしれん」


「大物ですか?」


 ビューグラスの言葉に、フェイルは無表情のまま問う。

 対照的に、その声には幾ばくかの感情が浮かんでいた。


「標的はキースリング=カメイン」


 そして、それ以上に大きな感情の波を乗せ、ビューグラスは告げた。


 キースリング=カメイン。

 ヴァレロンの新市街地において、ビューグラス以上の財を成している宝石商だ。

 この周辺を領地とする貴族、スコールズ家の寵愛を受け、経済力だけでなく市政にまで口を挟む事を許された権力者でもある。


「必要束縛期間は、今日から五日後、そこからの二週間。出来るか?」


「はい。問題ありません」


 即答。

 その返答を受け、ビューグラスの強張った顔が若干和らぐ。


「そうか……ならば宜しく頼む。お前にしか頼めない。"死なれては困る"からな」


「了解しました。では、失礼します」


 雑談一つ交わす事なく、フェイルは部屋を後にした。

 そして、その重厚な扉が閉まると同時に――――大きく息を吸い込み、吐いた。


 既に表情は元に戻っている。

 正確には正しくない表現だが――――"今は"と条件を追加すれば、それもまた正解だった。


 フェイル=ノートには、二つの顔がある。


 一つは、薬草店【ノート】の店主。


 そしてもう一つは――――


「あら? フェイル。来てたの」


 突然の女声。

 首を緩やかに傾けると、その声の主が視界に入ってくる。


 アニス=シュロスベリー。

 ビューグラスの一人娘であり、フェイルの幼馴染でもあるその女性は、たおやかな笑みを携えて小走りに近付いて来た。

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