第4章:間引き(9)
明らかにフランベルジュは追い込まれていた。
事情を既に知っているからこそ把握出来た訳ではない。
フェイルの目に映る彼女の姿は、一見すると普段の好戦的な表情ではあるが、未だにフェイルと視線を合わせようとしない。
否――――合わせられない。
彼女の精神状態を推し量るのは、余りに容易だった。
「……僕を倒しても、自信回復には繋がらないよ」
だから、突き放す。
今のフランベルジュの思考は、安易と言わざるを得ない。
身近にいる、『元』とはいえそれなりの肩書きのある人間に勝利して、屈辱を緩和しようとしているとフェイルは判断した。
「今、あんたが抱えている問題は自分自身で乗り越えないといけない。僕を踏み台にしても意味がない」
「……何処で聞いたの?」
フェイルの発言から、自分の今日の行動が筒抜けであると理解し、フランベルジュは険しい顔でようやく視線を絡ませた。
恥じ入るような表情ではない。
ただ、口惜しさだけが色濃く滲んでいる。
「ウォレスの前で噂になってたよ。なんでいきなり副隊長なんか指名したの」
「……居心地が悪かったからよ」
ふて腐れたような声。
フェイルは半ば呆れつつ、黙って続きを待った。
「あの連中、剣を持った女が自分達と同じ空間にいるってだけで不愉快になるみたい。だから、その場にいる一番偉い男と戦って……」
「空気を変えたかった」
フランベルジュの言葉を先取りしたフェイルに、否定や訂正は入らない。
悪い事はしていないと訴える子供のように、悔しさとしおらしさが喧々諤々としたような顔。
フェイルは思わず苦笑してしまった。
「今更、そんなの気にしても仕方ないんじゃない? これまでもずっと、同じような経験はして来たんだよね?」
「ええ。そして、それを変える為に私はここにいるの。だから無視は出来ない。例えそれで大恥をかいても。でも……正直、わからないのよ」
「何が?」
訝しがるフェイルに対し、フランベルジュは徐に剣を抜いた。
「自分がどの程度、弱いのかが」
そして、その細身の剣を眺めながら、這いずるように吐露する。
ずっと抱えている、心の膿を。
「……あの副隊長の身のこなしを見た時、正直言って『勝てる、悪くても互角には戦える』って思ったのよ。だから挑んだ。虚勢じゃなくて、自分なりに考えて、比較して、勝算があるって判断したから指名したの。それなのに、結果は惨敗。寸止めされる屈辱的大敗。もう、自分の腕がどの程度なのかもわからなくなっているのかもしれない」
その独白に、フェイルは少し納得した。
フランベルジュは決して弱くはない。
少なくとも二流三流の傭兵や、並の兵士などよりは遥かに腕は立つ。
ウォレスがこのヴァレロン新市街地の二強ギルドの一つである事を最大限考慮しても、副隊長程度の相手なら、例え負けるにしても惜敗が妥当――――そう見做していた。
それだけに、ギルド員の話の内容は腑に落ちなかった。
もし、そこに明確な原因が存在するのであれば、エル・バタラに参加する上で致命傷になりかねない。
彼女が焦っている理由も、そこにある。
そこまで考えて、フェイルはようやくフランベルジュの真意を理解した。
彼女の性格上、『相談に乗って』と言える筈もない。
闘いの中で診断してくれ――――そう懇願しているのだと。
なら断る理由はない。
「わかった、相手するよ。ただし条件がある」
「何? 負けたら店を手伝えとか?」
「それも悪くないけど、別のお願い。今後、あんたの事を『フラン』って呼ばせて貰おうかな」
フェイルが出し抜けに言い放った奇っ怪な要求に、フランベルジュは――――凍った。
「……誤解ないようにね。僕の意思じゃない」
「リオの差し金? あの子、ちょくちょくこんな仕込みしてくるのよね……」
実際には勇者ではなく魔術士の発案だったが、否定する必要性は特になかったので、フェイルは黙っていた。
「構わないけど、あくまでも貴方が勝ったらね。幾らなんでも、弓使いに負ける覚悟で臨む気はないから。幾ら王宮お抱えでもね」
「その肩書きに最早意味はないよ。今の僕は薬草士だから」
「なら尚更、剣士として負ける訳にはいかないじゃない」
そのフランベルジュの言葉に笑みを浮かべ――――フェイルは斜に構え戦闘態勢を整える。
両者の距離、およそ5メロ。
だが、距離以前に――――
「何やってんのよ。貴方今、丸腰じゃないの。とっとと弓矢取って来なさいよ」
「やっぱり、わかってないね」
以前、この場所で告げた言葉を、再びフェイルは同じ相手に向けて発した。
その声にフランベルジュは露骨に顔色を変える。
当時はその挑発的、そして上からの言葉に少なからず不快感を示した女性剣士は、今回更なる激昂で身体が震えていた。
「……何が言いたいの?」
「あんたは、街中や家の中で突然襲われた時に『今武器持ってないから、取って来るまで待ってて』とでも言うの? 随分と長閑だね」
挑発的ではなく、露骨な挑発だった。
そして当然、そこには明確な意図がある。
フランベルジュは――――思惑通り感情を爆発させた。
「フザけないでよ! 弓のない弓使いなんて、何処に戦う意味があるっていうのよ!」
「意味はあるよ、多分」
挑発は続く。
右手人差し指で、ちょいちょいっと招きつつ――――微笑。
「どうせなら、今日一日で墜ちる所まで墜ちちゃえば良い」
「……私は、丸腰の貴方よりも弱いって言いたいの?」
「試してみればわかるよ」
その言葉が、正式な戦闘開始の合図となった。
「上……等。切り刻んであげる」
フランベルジュの我慢が限界に達したと同時に、その細い足が跳ねる。
それでも、フェイルに向けられているのは――――峰。
当然ではあるが、本気で切り刻む気はない。
フェイルはその接近に対し、全く身動きせず、距離が詰まるのをそのままの体勢で待った。
かつて散々研究し、訓練を重ねた接近戦。
徒手空拳の技能は一切持ち合わせていないが、身のこなしに関しては、今も一定以上の水準を保っている。
弓兵を引退してからも身体作りは欠かしていないが、流石に実戦となると以前のようにはいかない。
フェイル自身、少し前まではそう思っていた。
だが、カバジェロやバルムンクとの戦闘を通し、感覚が衰えていない事を自覚した。
誰かに指導されたのではなく、自分で試行錯誤しながら覚えた事は、多少のブランクがあっても忘れないらしい。
だからこそ――――フェイルは躊躇した。
『どの辺りまで傷付けられるのか』
知り合って一月と経たない女性を、どこまで痛めつけても良いものなのか。
それだけが、気がかりだった。
剣圧は、徐々に肩口に近付いてくる。
それでもフェイルは動かない。
0.5メロ。
0.4メロ。
0.3メロ――――
ここでようやく前に出した左足で地面を蹴り、真っ正直に振り下ろされた剣を躱す。
「……!?」
標的を失った剣が虚空を裂く。
だが、重要なのはここから。
一撃目を外しても挽回の方法は幾らでもあるし、その空振りを次の動きに繋げる事で相手の虚を突く方法だって、ある程度の手練れならば即座に思いつく。
にも拘らず――――フランベルジュは、剣をそのまま地面に叩き付けてしまった。
「っ……!」
避けられる事を全く想定していなかった迂闊さ。
避けられた後の反応の鈍さ。
判断力のなさ。
何より――――精神的脆さ。
たったこれだけの攻防で、欠点は多数露呈した。
そしてそれは、フランベルジュにも直ぐに伝わる。
表情に自嘲が加わった。
その目は、後方に跳び距離をとったフェイルへと向けられる。
「王宮ってとこは……弓兵にそんな避け方まで教えるの?」
「自前だよ。場所なんて大した意味はないから」
それもまた、挑発。
ギルドと言う『場所』に負けたフランベルジュの心を抉る。
「う……うるさいっ!」
戦いの最中だというのに、精神は完全に乱れてしまった。
立て直しが不可能なほど。
ここまで――――そう判断し、同時に甘い線引きだと心中で苦笑しつつ、フェイルは体勢を整えようとしているフランベルジュに対し、真っ正面から突っ込む。
決して驚くべき速度ではないが、この動きを想定していなかったフランベルジュは反応が大きく遅れる。
そして、意識がフェイルの上半身に向けていたところで――――
「……うぁっ!?」
足を払われる。
例え徒手空拳を習った事がない者でも、大抵は身に付けている基本技。
殴り掛かったり、飛び掛ったりするより、よほど合理的に相手の戦闘力を奪える。
戦場において最も重要なのは、倒れない事。
剣の殺傷力なら地面に横たわった状態でも敵を殺せるが、攻撃範囲はかなり限定される為、よほど油断していない限り致命傷を与えるのは難しい。
逆に、倒せばほぼ確実に勝てる。
接近戦において足払いは最も有効な攻撃の一つであり、フェイルも早い段階で身に付けていた。
コツは、相手の意識が足にない時を狙う事。
特に両足が揃っている場合は、かなりの確率で成功する。
払い方は思い切り蹴る訳ではなく、『そこに置く』が基本。
足払いは、実は相手の上半身こそが重要で、上半身と下半身のバランスを狂わせる技術。
上半身が動いているか、動いているならどの方向に動いているかを見定め、その方向と逆に下半身が流れるように仕掛ける。
それだけで、人間は簡単に倒せる。
余裕があるなら、上半身を押す事で更に効果は増す。
今回はその必要すらなく、フランベルジュが地面に叩き付けた剣を戻そうとする動きに合わせ、フェイルは足を払っていた。
「……」
そして、倒れ込んだフランベルジュを睨むように見下ろす。
決着は――――そこで着いた。
「これで良い? フラン」
「……ええ。吹っ切れた」
フェイルが思っていた以上に、フランベルジュは冷静だった。
先程の形相とはまるで違う、言葉通り憑き物が落ちたような表情で、仰向けになって地面に横たわっている。
吹っ切れた――――この言葉の意味を、フェイルは『大会参加の見送り』だと思った。
既にハルからも指摘されているだけに。
だが、ゆっくり起き上がるフランベルジュに、その選択を窺わせる無念さや悲壮感はない。
本当に、墜ちる所まで墜ちてしまったのか。
傷つけ過ぎて、誇りが崩壊してしまったのか――――
「フェイル=ノート」
心中で慌てふためいていたフェイルに、フランベルジュは突然、畏まったようにフルネームで呼びかけた。
そして。
実際それが畏まっていた事をフェイルが知ったのは、その次の瞬間だった。
「私を弟子にして」




