第1章:梟と鷹(9)
薬草の市場は通常の商品とは違い、やや特殊な部類に入ると言われている。
民間人より専門家の需要が圧倒的多数を占める武器や防具、逆に一般人がシェアの殆どを占める衣服類や靴、食料全般等と比較すると、薬草は専門家と一般人の購入比率の割合が拮抗しているからだ。
『薬草』という名称から、治療に使用する印象が先行されがちだが、実際には香りを楽しんで精神を落ち着かせたり、料理に使用したりする事も多く、当然一般人の需要も高い。
ただし生活必需品ではなく嗜好品としての割合が多数を占める為、購入数および客単価は決して多くはない。
一方、治療用として使用される薬草は、施療院、診療所などから大量に定期購入される。
しかしながら、戦争がなくなって長い年月が経つこのご時勢、怪我人の数は激減し、以前ほど多くの薬草は必要なくなっている。
教会でも応急処置や毒の治療などを行っているが、そこで使用される薬草は敷地内の薬草園で育てた物を使用する為、薬草市場との接点は薄い。
以上の理由から、薬草業界は深刻な不況に突入している。
そんな中で淘汰されていくのは、人件費や維持費の掛かる中堅店と、資本力が弱くちょっと強い風が吹けば簡単に飛ばされる弱小店舗。
従業員一名の薬草店【ノート】がどれに該当するかは、指摘するまでもないだろう。
では、そんな弱小店舗が生き延びるには、どうすれば良いか。
当然、出費を極限にまで減らし、細く長く生きていくしかない。
既に人件費も限界まで減らしている【ノート】が次に削る場所となると――――仕入れ。
即ち、店で売る商品を購入する費用だ。
仕入れを安く済ませれば、その分選択肢は広がる。
市場価格と同等の値段設定にしてその分単価を稼ぐか、安い値段設定にして他の店よりお客に魅力的に感じて貰えるようにするか。
いずれを選んでも、好転する事は間違いない。
仕入れをどれだけ抑えられるかは、商売を営む者にとっての永遠の課題でもある。
「すいません、いつも無理言って」
そして、フェイルが商品の補填を行う上で最も重宝している仕入先は――――教会だった。
正式名称は『アランテス教会ヴァレロン支部』。
魔術国家デ・ラ・ペーニャが誇る世界最大の宗教であり、魔術の存在意義を説く為のアランテス教を普及させる施設だ。
この世に現存する魔術士は全て――――ではないが、大多数がアランテス教徒としてその教えを受け、世に広めている。
フェイルは魔術士ではないし無神論者なので信者ではなく、あくまでも『良き隣人』の立場だ。
「いえいえ。こちらとしても余剰在庫になる所を助けて頂いていますから」
この支部はかなり小さい教会で、司祭のハイト=トマーシュ以外にはシスターが一人いるだけ。
零細的な部分が【ノート】と共通しているよしみもあって、ハイトの厚意に甘える形で余った分の薬草を譲り受けている。
決して高品質、稀品種ではないが、十分売り物として出せる薬草を無料で入手できるのだから、こんなありがたい事はない。
「そう言えば、もう直ぐこの土地に勇者一行が立ち寄るかも知れない、との噂が流れていますね。フェイルさんもご存知でしょうか?」
「あ……は、はい。周囲のお店はその話題で持ち切りみたいです」
フェイルにとっては大恩人のハイト。
しかしそれでも、『実は既に対面しており、しかも本日から従業員として雇う予定』と本当の事を言うのは難しかった。
「楽しみですね。一行の中には魔術士もおられるようで……この教会にも足を運んでくれると良いのですが」
同郷の魔術士に思いを馳せ、ハイトは遠い目で微笑む。
司祭というある程度上位の役職に就いているものの、その容姿はかなり若々しく、二〇代と言っても何ら違和感なく通るくらい、その姿は瑞々しい。
実際の年齢も若いのか、俗的な話をする事も少なくないが、言葉遣いの丁寧さとたおやかな姿勢からか、下品さは微塵も見られない。
聖職に就く者としては、実は意外と珍しい部類の人間だった。
「えっと……余り期待しない方が良いかも」
そんなハイトに対し、フェイルは回答に困りつつ、明後日の方を見て頬を掻く。
あの連中が勇者一行(しかも正確には候補)との事実を、眼前の純真な男性に伝えるのは余りに残酷だと感じていた。
「そうですね。このような小さな教会、勇者一行が立ち寄る筈は……」
「ああっ、そんな意味で言ったんじゃなくて! すいません! すいません!」
顔に影を作って落ち込むハイトに、フェイルが慌ててフォローを入れようとしたその時――――二人の背後から足音が聞こえて来た。
「失礼。この教会の代表の方はどちらだい?」
やけにフランクな話し方だが、声色は妙に暖かい。
フェイルは振り向き、その人物に視線を送る。
そこには――――見覚えのない男の姿があった。
まだ二〇代中盤と思われるその男は、無精髭を生やし、表情も弛緩させており、一見だらしないように感じられる双眸だった。
纏っている白衣も着崩しており、態度も何処か気だるげ。
教会に縁のある人間には見えない。
「私です。ご用件を伺いましょう」
「ああ。この教会の管轄してる施療院を知りたいんだが……」
そう問う白衣の男に向かってハイトはにっこりと微笑んで、白衣の男の方へ歩み寄る。
来客の手前、これ以上の長居は迷惑と考え、フェイルは一言礼を言い、祭壇に背を向けた。
「ビューグラスさんに宜しくお伝え下さい」
ハイトのその声に振り向き、笑顔で頷く。
この街における統括者ビューグラス=シュロスベリーが、アランテス教会ヴァレロン支部に多額の寄付金を寄贈しているのは、既に周知の事実となっていた。
これもまた、弱小教会の生きる術だ。
「……」
微笑んだままのハイトの隣で、白衣の男は若干眉を上げ、フェイルの方に視線を送っている。
そっちにも会釈し、再び踵を返した。
そして、早朝ランニングの再開。
相当量の薬草を背嚢に入れ、街中を走る。
水分を余り含まない薬草は基本的に量を詰めても軽い為、適度な負荷となった。
途中、勇者一行お出迎えの煌びやかな看板を潜り、勇者一行を呼び込む為の様々な趣向や試行錯誤の後が見受けられる飾り付けや『大特価』『大安売り』『本日特売日』などの看板を横目に、フェイルの足は自身の店へと辿り着いた。
「随分ゆったりとした朝なのね。薬草店って」
そんなフェイルを待ち受けていたのは、女剣士フランベルジュの不機嫌な顔。
寝不足なのか、目の下には薄っすらと隈が見える。
美人が台無しだった。
「朝一で薬草を買いに来るお客さんなんて、そうそういないんだ」
「つまりそれも改善しないと弁償額には到底及ばないって訳ね」
「……」
皮肉のようにも聞こえる言葉だが、フランベルジュの表情は真面目そのもの。
昨日店で暴れた人物とは到底思えなかった為――――
「店の外で戦うって選択肢はなかったの?」
フェイルは思わずそう聞いていた。
少なくとも非常識な人物には見えないと判断して。
「それは……私が剣士だからよ」
「答えになってない気がするけど」
「殺気を向けて来る相手には背中を見せない。油断しない。戦う事を躊躇しない。それが私の信念だからよ」
やはり答えにはなっていなかったが――――フェイルはあっさりと納得した。
あの筋肉オネエ以外に店内にいたのは四人。
その内、リオグランテは勝手に転倒して勝手に失神していた。
となると、薬草士のフェイルと魔術士のファルシオンを守れるのは、このフランベルジュしかいない。
万が一、あの筋肉オネエが手練れだった場合、彼女が油断すれば最悪の事態になりかねない。
『ここでは迷惑がかかるから、外でやり合いましょう』と言い残し移動している最中に、他の二人が攻撃されては取り返しの付かない事になる。
「それと、濡れるのも嫌いなの」
「……あっそ」
フェイルは悪癖である――――ある意味弓使いの悪癖でもある――――『考え過ぎ』を悔やみつつ、鍵を取り出し店の扉を開けた。
「他の二人は?」
「もう直ぐ来るんじゃない? 私が早めに来たのは、貴方に言っておきたい事があったからよ」
そのフェイルの背中を追うように、フランベルジュも室内へ入って来た。
軽やかな足取りとは対照的に、その語調はやや暗い。
「……私の失態は認めるし、ここで働く事に異論はないけど。私、お店で働いた経験がないから何をして良いのかサッパリわからないの」
「はあ。まあ、剣士だから当然だと思うけど……」
『それが何か?』と聞こうとした刹那、フランベルジュは爪先で床をコツコツ叩きながら、意を決したように声の音量を上げた。
「具体的に何をすれば良いか、今の内に教えておいて」
「……今の内?」
当然、感じるのは違和感。
他の二人にしても、薬草店で働いた経験があるとは思えないのだから、まとめて説明した方が明らかに効率は良いし、実際フェイルはそのつもりでいた。
先だって教えを請う事に、どんなメリットがあるのか――――
「だっ、だって……このままだと、またファルに冷たい目で見られるから……」
その回答は、意外と単純だった。
要するに、今回の件で仲間に対して与えたマイナスイメージを払拭すべく、予習をしておきたいらしい。
まるで教師や親に怒られた子供のような理論だった。
先日の大立ち回りといい、この件といい、可憐さより精悍さが前に立つ容姿とは裏腹に、精神年齢は余り高くない印象を受け、フェイルは思わず苦笑した。
「な、何よ」
「いや、ごめんなさい。別に悪気があって笑ったんじゃないんだ」
知り合いの女性に似ているから――――
その本音は漏らさず、口元を手で覆う。
店をメチャクチャにされた張本人を相手に和んでしまうのは、本来余り取るべき態度ではないのだろうが、フェイルの勇者一行に対する印象は若干変化した。
「ま、でも少し遅かったみたいだね」
まだ少し笑顔の残滓がある口元を引き締め、そう唱える。
刹那――――
「あのー、ごめんくださーい……」
「失礼します」
残りの二人が扉を開く。
フランベルジュはその事実に暫し驚き、フェイルの方にその丸い目を向けた。
「……どうしてわかったの?」
「勘かな。職業柄、店の前に人の気配があると、なんとなくわかるんだ」
「へえ……そういうものなの。一つ勉強になったかも」
何故か、フランベルジュはいたく感心した様子でメモをし出した。
羊皮紙を小さめに切り、紐で留めているそのメモ帳は、既に半分以上が使用済。
真面目なだけでなく、かなり勤勉な性格らしい。
「それじゃ、集まった所で説明を始めよっか。この薬草店【ノート】で、何をして貰うか――――」
「その件に関しまして、私なりに見解があります。説明は不要です」
薬草と薬草店に関する基本的な説明をしようと昨夜から入念に準備してきたフェイルは、ファルシオンの暴論に思わず絶句した。
「ファル……悪気がないのは知ってるけど、そうやって直ぐ相手の心を折るのは貴女の悪い癖よ?」
「すいません、確かに配慮不足でした。自分の意見を言う事にばかり頭が行ってしまって」
「……いや、いいよ。薬草の説明なんて地味だしね。見解って何?」
投げやりではないものの、多少心を削られ回復待ちのフェイルは取り敢えず聞き手に回る選択をした。
「わかりました。私達としては一刻も早く弁償したい気持ちがありますし、店主さんもその方が好ましいかと」
「うん。っていうか僕の自己紹介まだだったっけ。フェイルって呼んで」
「では、フェイルさんで。フェイルさんはこのお店に何か特別な拘りがありますか? 薬草以外は売らないとか、何処とも提携しないとか」
これは何か期待が出来るかも――――そう直感し、フェイルは小さく首を横へ振る。
拘りは薬草を仕入れるという一点のみ。
それ以外には執心する余裕などない。
「なら、私に着想があります」
「え!? そうなんですか!?」
そう驚いていたのは、彼女の仲間であるリオグランテだった。
「意思の疎通……っていうか勇者ってそんな扱いでいいの? 昨日から迷惑行為と気絶と空気化の三択なんだけど」
「現状ではマスコットみたいなものですね。強くもありませんし」
「酷い! 僕だってやれば出来る子なんですよう!」
涙目で訴えるリオグランテだったが、元凶である彼に発言権はないらしく、女性二人にそっぽを向かれている。
本気で同情を誘う作戦かと疑うくらいの扱いだった。
「私なりに薬草の商品価値について考えてみたんです。やはり、一番の意義は負傷や病気を癒す……つまり回復効果にあると思います。これは戦争のない今の時代であっても例外ではありません」
ファルシオンのその発言は、薬草が単に薬の原料ではないと把握している事が前提の内容だった。
自分の用意した説明は本当に不要だったと知り、フェイルは思わず苦笑する。
例え誰が相手でも、どんな事態であっても――――薬草について知ろうとする人間がいるのを嬉しいと思わない筈がない。
それが薬草士の性だ。
「どうかしましたか?」
「いや、ごめん。続けて」
「では、ここまではいいですね? 回復効果、これが重要です。だとしたら、薬草の効果だけでなく総合的に回復力の高いお店を目指すべきではないでしょうか」
「ええっ!?」
驚愕の声をあげたのは、フェイルではなくまたリオグランテだった。
「それはちょっと酷くないですか? 幾ら拘りがないと言っても、薬草店を宿屋にするのは……」
「ちょっと待って。その解釈はおかしい」
「いえ」
「え? まさか合ってるの……?」
余りの超展開に、フェイルは真顔でファルシオンを見つめる。
ほぼ睨むと呼んでもいい目つきで。
「当然、宿屋にはしません。ですがそれに近い事を」
「まさか、いかがわしいマッサージをするお店にする気じゃないでしょうね」
全員の視線が、発言主のフランベルジュに向いた。
「……冗談だからファル、続けて」
赤面した顔で、誰とも目が合わない方にそっぽを向く。
真面目な性格の人間が冗談を言うと、大抵このような浮ついた雰囲気になる。
妙な空気にされてしまった事に遺憾の意を示す事もなく、ファルシオンは自身の案を堂々と告げた。
「入院施設のある所……病院と提携するんです」




