それはまるで瘡蓋みたいに
Michael Kiwanuka - Cold Little Heart
を 聴きながら
””
それは、まるで、瘡蓋みたい、と、思うのです
ふふ、瘡蓋みたいに、ちょっとくらい傷を負っても、修復できるって思い込んでるの
そうして、瘡蓋が傷の上に出来上がると、安心しちゃうんです
あ、これでもう治ったから、大丈夫、って
……そんなこと、無いのに
瘡蓋ってね、急にはがしちゃうと、もっとひどい傷跡になってしまったり、
また、傷が復活してしまったり、するでしょう……?
きちんと修復して再生されていない合間にそんなことしてしまったら、よっぽどひどいわ
””
そういうの、……そういう見極めって
、そういった目に見える傷さえ難しい
一度故障した身体とは一生つきあっていかなければならないし
病気をしたらしたで、失われたものは二度と戻らない
たとえ生身の身体を切って貼って
、取り替えたって、
同じ機能には及ばないし、
結局、失われたものは二度と戻らないの
””
それは、傷以外のものでも、
なんでも
……きっと
、なんでも同じだから
……だから、というのではないのだけれど、……知っていてください。
それは、瘡蓋のような一時しのぎのようなもので
たとえ、それが完全に治ったように見えても、見えていたとしても
それは、違うの
””
失われたものは、二度と戻らない
形を変えることはあったとしても
同じ形には、二度と戻らないの
だから、変えたものは代替え品とはならないし
それなりにしかならないの
””
私は、私なりに、私と向き合って
、一生をつきあっていかなければならない
それがどういったことだか解りますか
それは、あなたにも言えることで
……それは、世界中のだれかにも言えることで
全ての事象がそれなりにしかならない
それは、取り方によっては、ひどく差別的にも、ひどく消極的にも捉えられたり、聞こえたりする言い方なのかもしれないけれど
私は、それが、それこそが、希望だと思う
””
私は、私なりにしか生きられない
だからこそ、私は私を受け入れた先で、
そういった希望を持てるものだから そういったものだと
思うのです、
だから、私は、それが、それこそが、希望だと思う




