自由と義務
Michael Kiwanuka - Cold Little Heart
を 愛猫のモモと聴きながら(猫って三歳児程の知能を持っているって本当の話かしら)
””
自由と義務って何だろうなと思います
結局は、……罪の意識でさえ、そういったものに裏打ちされていて
与えられたもの、それに対して、そこには期待に応じたものを、求められているということと同義で
そんな風に思えてしまえば
立場が人をつくるのか、立場に人が染まるのか
なりたいものになりたいって そう思いたくとも
本当にそれが私がなりたいものの姿だって、芯から解る方なんてどれだけいるのだろう
植え付けられたものではないって、誰がそう判断できるのかしら
””
……私は、結局は、まだ、私を知らなくて
……知らないっていうのは大袈裟だ
私は、まだ、受け入れていなくて……という
言葉の方が、より、簡潔に言い表している言葉なのかもしれない
私が、私を受け入れるならば、私は、どんな私になろうが、拒否反応など起こるはずがないのだから
……よく、自分を自分が嫌いだ、という歪曲化した言い方で、自己を表現される方がいらっしゃるけれど、(私もその口だ)
この言葉は、私は、受け入れることが出来ない部分がある自分が嫌いだ、という言葉を省略したものなのではないかと、思えてしまう、(だから、私はそのように思いながら使っています)
自分を、真正面から受け入れられないでいる、私はそれを、私の弱さだと思っているし……
……だからこそ、まだ私は、自律出来ていないって、そう思考する度に再確認を繰り返す
……きっと、本当の自由を主張できる方は、自分を芯から受け入れる自律出来ている方なのだろうと
私は思う
……それは、そう思いたいから、であるのかもしれないけれど
(モモが、ありえない格好で足をぐーっと前足でひきつけて身体を伸ばしているのですけれど、そうしてときおりぴくっと足と耳を動かした後、漫画みたいな目(目を閉じて線みたいになってるあれ)になってるのですけれど……めっちゃ面白……かわいい)
←耳ぴくっ
笑




