第93話 「あたし達の目的地がこの先にあるなら」
胸に去来する想いがある。
ようやく、元の世界に戻れる――その時が迫る事で沸き立つ大切な家族のみんなの顔、友達の顔。学校への通学路や、神社の境内、自分の部屋の机、イス、ベッド。
当たり前だったものが7ヶ月もの間失われて、帰路が明確に見えた今、あたしの心からそこに戻りたいって気持ちが溢れ出る。
そして――このファーレンガルドに連れてきてしまったあたしの願い。
それは当たり前じゃない事ではあるんだけど、あたしの心から望んだ事。
それをする勇気と魔王に立ち向かう勇気。
どっちが簡単な事なのかな、なんてちょっと思ってみたり。
そしてあたしは、7か月の時を共にしてきた仲間と一緒に魔王の城のゲートをくぐり、薄暗い、少し長めの通路を抜けたその先に――
「……あれ? 何、ここ?」
……あった扉を開いて、拍子抜けした。
歩き回るだけで体力を削られていくんじゃないかみたいな、瘴気の渦巻くような気配がしていた城のその入り口は、なんて言うか、想像してたよりもずっと小さい空間だった。
「劇場のロビー、みたいな?」
「そうね」
ランが頷く。
あたしの世界も、このファーレンガルドも、ちょっとクラシックな劇場ってものの構造はそう変わらなかった。だからこの辺は共通認識なんだけど、にしてもこの空間は明らかに違和感。
横に広い空間の、目の前はすぐに壁で、10数歩も歩けばその壁にタッチできそう。
そしてその壁には観音開きの扉が、少し離れて4つばかりついている。
いきなりドーンな広間に、ドーンな階段に、ドーンなシャンデリアとかぶら下がってる薄暗い空間とか期待(?)してたから、この城内は想像だにしてなかった。
「改築、されてるし……」
プルパが面白くもなさそうに口にする。
リロがポンと一つ手を打って。
「そっかぁ! プルパは昔、ここにいたんだもんねー!」
「うん……。でも、この入り口は……プルパの知ってる魔王城じゃないし……魔王様の城に何してくれてるんだし、今の魔王は……」
「なるほど……! 700年もあれば模様替えもしたくなるという事だな!」
「黙ってろと言いたいし……模様替えで済むレベルじゃないし……」
「いずれにせよ……のっけからコゲくせぇな、こいつは」
「コゲ……?」
ギルヴスが鼻を鳴らしながら、周囲を見回す。
「外見と構造の見合わない中身ってのは理由があるもんさ。魔王なんて忌まわしいモンの中身なら、およそロクな理由じゃねぇ」
「まぁ、そうだよね」
あたし達は、きょろきょろと周囲を見回しながら部屋の中を歩いていく。
当の魔王と言う存在は、あたし達に一度語り掛けてきたっきり、その後は特にメッセージを送ってこなかった。
変にエコーがかかったあの声――。
低い感じの声だったけど、なんか加工されたような声だったから、正直魔王って人の『人となり』みたいなのは良く分からなかった。
「まぁ、ここまで来たら立ち止まってる理由はないわね。魔王様もお待ちかねのようだから、罠を警戒しつつ、一気に行きたいところ……」
ぎぃぃぃぃ……!
「お、開いた」
見た目通りちょっと重いけど、観音開きの扉はあたしの手で難なく開き――
「……そこの天然勇者っ! 今罠を警戒するって話が出たとこだろうがっ!!」
「え? あ、ご、ごめんなさい……!」
ギルヴスに怒られて、思わず重い扉から手を放す。
劇場の扉と違うのは、手を放しても閉まらないところ、かな……。
……なんてのはどうでもよくて、ラン、ギルヴス、ジルバが絶句したようにあたしを見ていた。
「はぁ……まぁ……何もなくてよかったけどね」
ランの苦笑い。
そしてみんながあたしの開いた扉へとやってきた。
「……」
「……な、何、ラン?」
ランがじっとあたしを見つめてたけど。
「大丈夫そうね。じゃあここから気を付けて進みましょうか」
「……?」
なんか含んだような言葉が気になるも、あたし達はそのまま全員で扉の中をのぞき込む。
……すると。
「ぬ、ぬぅぅ……! なんだこの部屋は……!?」
再び絶句するしかないあたし達。
そのまんま劇場にでもなってるかと思いきや、扉の向こうは綺麗な石造りの、立方体の部屋だった。
一辺は5mぐらい、だろうか。もうこれは『正立方体』と言っていいだろう。
正面の壁の真ん中、そして左右の壁の真ん中に、それぞれ出入口らしきものが口を開けている。
3か所……今こうして覗き込んでるここを入れれば、4か所かな。薄暗くなってて、その先は何があるのか良く分かんないけど。
「ケッ……いかにも、って感じだな」
「遊ばれてるのかしらね。待ちわびた、とか言ってた割に回りくどい事してくれるわ」
「だよね。ああいう『待ってたぞ』とか言っちゃう人たちって、近くまで来たの分かってんなら、なんでそっちから来ないのかって思うよね」
「回りくどいってのはそう言う事じゃないんだけど……」
呆れられた。
「プルパ、魔王様の城って、ずっとこんな感じなのかなーっ?」
「もうここはプルパの知らない人んちだし。何だったら火とかかけちゃっていいし」
「うぅむ! しかしこの石造りの城を火事にするには相当な労力がかかろうな!」
「それ以前に、ここにあるゲートが心配なんでやめてください!」
労力はかかっても、出来ちゃう人たちがそろってるからな……。
「ラン、危険感知のスキルは?」
「もう使ってるわ。この部屋は大丈夫そう」
レンジャー系の危険感知のスキルは、周囲数mの危険な気配を察知できる。
第弐雄志級の、ありふれたスキルだけど、練度によって差が出るので、ランほどの冒険者なら相当感覚が研ぎ澄まされるものになり、効果も半径20m近くに及ぶ。
「だけど、もうあちこちから危険な気配を感じるわ。しかもそれがはっきり目立たないように処理されてるから、完全にかわし切れるかは分からないわね」
「……なら、注意して進むしかない、よね」
「イツカ……」
「行こう。あたし達の目的地がこの先にあるなら、もう躊躇なんかいらない。魔王を倒して、ファーレンガルドの人たちが安心して暮らせる世界を作るんだ」
あたし達はゆっくりと中へと入って、更に詳しく部屋を調べる。
「何もねぇ部屋なら、特に変わったものはないみてぇだな。ただの石造りの部屋だ」
「あっ! ねぇねぇ! こっちは!?」
リロが正面の出入り口を指さす。
「……そっちには罠はないようね」
「なんか……ここと同じような部屋なんだし……」
「ん?」
あたしもプルパの頭越しに先の部屋を見ると、確かにこの部屋と全く同じような構造の立方体の部屋があった。……いや。
「同じようなって言うか、コレ全く同じ部屋じゃないの?」
飾り気のない、こちらも完全に正立方体の部屋。
出入口も正面、左右の3か所にある。
「ううむ、そうなのか! どうやらこちらにも、同じ部屋があるぞ!」
そう口にするジルバは、左の部屋をのぞき込んでいた。
「危険感知が反応してる部屋よ。顔を出して、すぱっと首から斬り落とされたりしないように……」
「ぬっ!? アレはっ!?」
と、ジルバの声が気色ばむと、あたし達は一斉にその部屋の入り口に駆け寄って……!
「……召喚魔方陣!」
10ばかりの魔方陣が光を放ち、眞性異形たちが形を成していく。
「アレが、罠なのかなっ!?」
「分からない。まだ危険感知の反応は続いてるけど……!」
でも、そこに現れたのは……。
「GeGyaGya!!」
「GyaGuA!!」
「……ケッ、小鬼級じゃ、オードブルにもなりゃしねぇが?」
そうギルヴスが呟くと、ゴブリンたちがぐるりとあたし達の方へ向き直る。
そして一気に迫ってくるのを応戦すべく、各々が武器を構えた時。
「……えっ……?」
ひゅおおおっ! とその部屋から一陣の風が吹いた気がした。
そしてその直後……。
「――」
眞性異形たちがこちらに迫りながら、全員の全身が一斉に正面に崩れ落ちる。
その崩れ落ち方が……!
「っ!!?」
重なっている大きなハムが倒れたよう。数十枚の、横切りの肉塊。
病院のMRI検査機のレントゲン写真の様に、輪切りになった眞性異形は、そのままバラバラになって倒れ、瞬時に絶命する。
硬いゼノグリッターも易々と切り刻まれたらしく、現れたばかりの小鬼級達はそのまま霧になって消えた……。
「あやや……」
「……こっちが、ここに仕掛けられた罠か……!」
「悪趣味ね。自分の駒を使って見せつけてくれるなんて」
「でも、これで分かっちまったな」
「ええ。かかったら、助からない。今の仕掛けだって、私たちが気付いた時には終わってた」
魔王からの、警告ともいうべき物。
全員がごくりと喉を鳴らす。……リロだけくるくる回ってる。
「ラン……危険感知、お願いね」
必然、声が低くなる。
「ええ。……気付けなかったら、アウトね」
「とりあえずどうするんだし……?」
「とりあえず、どこ行ったらいいか分かんないから、まっすぐ進んで。そんで罠が歩く先に出てきたら左右に曲がる感じでどうかな」
「暫定の指針としては悪くないわ。今はそっちの右の部屋も罠があるようだから、正面をまっすぐに行ってみましょうか」
「さんせー!」
元気よく手を上げるリロに全員で頷く。
あたし達の魔王城探索は、こうしてあまりにも危険な状況から幕を開ける。
果たしてこの危険な罠の部屋の先に、あたしの目指す魔王と言う存在がいるんだろうか……?