第91話 涙の数だけ
「聞いて、みんな」
ふと、そこでランが口を開く。
「なんだい、旅団長?」
「うん。……オビアス村の聖謐巫女マキュリはユスティツア教団の遺術にかかり、眞化人になってしまった。そしてその意識は失われてしまったわ。でも……王国の魔道アカデミーはその術が根絶できていない以上、眞化人の研究を続けているの」
「……うん」
「で――まだ、分からない。分からないけど――マキュリちゃんの状態を聞いて、アカデミーの研究者が、もしかしたら元に戻せるかもしれないって研究を進めてる」
「っ……!?」
ランの言葉に、あたしは思わず膝立ちになり、オビアス村の3人は色めき立つ。
それを抑えるようにランの口調が一瞬だけ厳しいものになって。
「期待しすぎないで。残念ながらまだ研究段階に過ぎない。そしてもしかしたら、その元に戻すという行為は人体実験にも等しい事をしなければならないの」
「……ああ、そう、か」
「ただ、伝えてほしいと言われてる。マキュリちゃんをどうするかはオビアス村の全面的な意見で決めてほしいけど、可能性があり、その可能性を探るために、マキュリちゃんをアカデミーに預ける気はないか。……そんな事を考えてるって、さっき帰ってきた伝書精霊に、私の友人の研究者からメッセージがあったの。あの術にかかって意識のなかったはずのゴルト副団長が、自分の意志でサット君からジルバを守った――あの事も、私は大きな可能性に繋がるんじゃないかって思ってるわ」
「……」
パルティス達は、顔を見合わせた。
そしてほぼ三人同時にあたしを見る。
その視線には、『どうする?』という問いかけを感じた。
もちろんそれはあたしの勝手な解釈であり、どうするもこうするも、村の外の人間であるあたしが決めていい内容じゃない。
ただ、その3人の表情は明らかに変わっていた。
それを見て、あたしは少しおずおずとではあるけど、しっかりと頷く。
3人の心がどういう方向性に決まったか、それを何となく把握した上で、『決めて』と促したんだ。
パルティスも頷いて、ランに言う。
「旅団長、それは一度、持ち帰らせてもらう。だが俺は可能性があるなら……賭けてみたいとは思うけどな」
「あ……お、俺も……!」
「私もです。ただ……これって多分、おばーちゃん次第です。おばーちゃんにその気がないというのも……村の意志だと思ってもらえれば……」
「ええ、大丈夫よ。ただ、アカデミーが来る前に、先に話しておくのはいいかもしれないと思って伝えさせてもらったの。もちろん明日までなんて言わないわ。ゆっくり考えてみて」
「ありがとよ」
あたしは少し混乱していた。胸が早鐘を打ち始める。
マキュリが……元に戻るかもしれない? 戻らないかもしれない? 戻すには人体実験になる? ネイプさんがどう決めるか分からない? でも一番いい結果になるなら、帰ってきたら……またマキュリと会えるかもしれないって……本当に……? けど、甘い期待はまた……。
「で、勇者様よ」
「え?」
そんな色んな事が駆け巡ってドキドキと胸が高鳴っている中で、パルティスが声をかけてくる。
「勇者様は、結局馬は、一人で乗れないのかい?」
「え!」
不意を突かれた問いかけに、あたしは間抜けな声を出してしまうが。
「あ……うん、ランと一緒に乗せてもらってる感じで……。でも、今回の事で、一人でも乗れるようになっといたほうがいいかなって思ってるけど」
そう、結構真剣に考えてること。
頭のどこかで、最初にだらしなくても印象を変えていけばいいと思ってたあたしだけど、村で過ごしてる間に、これからは第一印象も大事になってくるんだろうなと感じてた。
「そうか」
パルティスは静かに微笑んで頷いた。
「なら、もしよかったら、こいつを連れて行ってくれないか? ……マール」
「うん」
と、マールが、繋がれている馬の一頭を連れてきて。
「え……その子、エートース……だよね?」
そう。
マキュリと初めて会った時に、マキュリが乗っていた馬。あたしを見るように目を向けてきて、ぶるるっと雄々しく首を振る。
見事な白の体だけど、たてがみがとても赤いという、あたしの世界では見られない珍しい色合いだ。
そして、素人のあたしが見ても、立派と呼べる逞しさを湛えている。
「軍馬には負けるかもしれねぇけど、オビアスがどこに出しても恥ずかしくない、相当な名馬だ。足手まといにはならねぇ。……ネイプばーちゃんからの贈り物だ」
「……ネイプさんが!?」
高鳴っていた胸に、どきっと刺さる何かがあった。
「出る間際に見つかっちまってよ。怒鳴りつけられるかなって思ったんだけど、ばーちゃんが言うんだ。
『主を失った村で農耕馬として一生を終えるよりも、マキュリの世界平和の願いを、勇者様に一緒に連れて行ってもらってほしい』
……ってな。見た事ないぐらい、静かな表情だったよ」
「ぁ……」
ネイプ……さん……。
『ちょっと怖いですけど、そんなお婆様を私は尊敬してるんですよ』
『その約束が、あなた様の力になるのであれば、ワシも頷かぬわけには参りませぬ。どうか……ご武運を……!』
「ひっ……」
「……イツカ?」
「ひっ……ひぃぃっ……ひぃぃぃぃぃんっ……」
あたしは崩れるように座り込んで、泣いた。
子供のようにしゃくりあげながら、ただひたすらに。
あたしが泣くことなんかおこがましい――それは頭では分かっている。
でも、もう、耐えるのは無理だった。
マキュリを失った悲しみ、元に戻るかもしれないって言葉、ネイプさんや村の人たちの思いと、そしてパーティのみんなの優しさが綯い交ぜになって、混乱して。
混乱して、一番我慢していた気持ちが溢れ出て、あたしは泣いていた。
涙の数だけ、強くなれる。
そんな歌があったような気がする。
でも、あたしはそれを痛感する。
間違いなく、これがその、重ねていく事になる一番最初の涙だった。