第90話 「もう、ご自分を責めないでくださいっ!」
でも、一人の時間が戻ってくると、マキュリの笑顔もまた、戻ってきてしまう。
「……」
シュラフに入って、横になって、じっとしている。
目を閉じるとリフレインされるものが、あたしに暗がりを恐れさせ、眠りへと落ちることが出来ない。
「マキュ……リ……」
この場でこうしてて、小声で何度呟いたろう。
この先も、あたしはこうやって怖い思い出を作りながら魔王城を目指すのか。
そしてもしも元の世界に戻った時……あたしはこの世界でのことを、どう受け止めて生きて――
「イツカ、起きてる?」
「……ラン?」
不意に小さく声をかけられて、あたしは顔を上げる。
「ごめんなさい、起こしちゃったかしら?」
「ううん、大丈夫。何?」
正直、むしろ救われた気分。
誰かと話してる方が気が楽って事、あるよね……。
「いえね、今、伝書精霊が戻ってきて、魔道アカデミーからのメッセージを聞いていたの。それで、話しておきたい事が……」
と、その時。
「あれっ!? ねぇねぇ! 何か来るよ!」
「えっ?」
見張りについていたリロが声を上げる。
同じく見張りのジルバも油断なくハルバードを握っていた。
瞬間、みんなに緊張が走る。
でも、聞こえるのは複数の馬の蹄の音。
それはつまり人間ってことで、しかも村の方角からやってくる。
「あれは……!」
馬は3頭。
内1頭の騎手が、灯りの魔法をかけられたアイテムを持っているらしく、その姿が丘の下から闇夜に煌々と浮かび上がる。
そしてやってきたのは。
「どう、どうっ!」
「パルティスかっ!」
「よう、ジルバ。他のご一行も、遅くにすまねぇな」
「え……マールと、ウェンナも一緒なの?」
3頭の馬には、それぞれ、パルティスと、マール、ウェンナが乗っていた。
一頭の白い馬――ウェンナが乗っていたその子は……もしかして……。
「ああ、勇者様よ。どうしても色々あんたに言わなきゃいけない事があってな」
「っ……!」
あたしはその一言に、どきりとして、パルティスから視線を外してしまう。
……でも。
「特にマールがよ、どうしても勇者様に謝りたいって言うんだ」
「ぇ……?」
マールが、謝らなきゃいけない事……?
そんなのない。
マールや村の人たちが謝らなきゃいけない事なんて何も……!
「さ、マール?」
ウェンナに促された、馬の上に乗ったままだったマールは、物凄く暗い表情をしてた。
うつむいて、あたしと同じように何かを葛藤していた表情。
と、不意にマールは思い立ったような表情になって、馬を勢いよく飛び降りてあたしの前に土下座した。
「勇者様、ゴメン!」
「えっ?」
「オレが……オレが悪いんだっ……! 朝、会議盗み聞きして……村の壁の魔法が解けてるってそこだけ聞いて、村のみんなに言いふらしちまった……。そしたら不安がってたみんなが、集まって、そんで旅団長に色々聞かないととか言って……!」
「ぁ……」
それで朝、あんな事に……?
「あんな風にみんなと勇者様たちがぶつかり合う事もなければ! マキュリねーちゃんが心配がって一人でファバロに行くこともなかったかもしれない……! ねーちゃんが死んだの……勇者様のせいじゃないよ……! ゴメン……ゴメンなさいっ……!」
悲痛な表情であたしに、自分のしたことを告白するマール。
その、年下の男の子が頭を下げる姿にあたしは居た堪れなくなって、すがるようにマールの肩に手を置いて口を開く。
「違う……違うよ、マール……」
「え……?」
「サットの言う通りだった。あたしが――戦える力を持ってるはずのあたしが何にもしなかったから、みんなを不安にさせたの! 今回の事はそれが全部悪いの! だからっ……!」
「もう、ご自分を責めないでくださいっ!」
唐突なその声は、それもまた居た堪れなくなって訴えられた言葉。
「ウェンナ……?」
「姉さんがあんな事になって、村の人たちが不安に陥っても、勇者様はちゃんとオビアス村を救ってくださったじゃないですか……! 勇者様は剣を振る機会がなかっただけ。むやみやたらに剣を振り回さない方、それを勝手に不安がったのは私たちです!」
「……!」
「勇者様が村を出る時の悲しそうな顔、私、見てられませんでした。でもオビアス村生まれの私は、勇者様に、オビアス村での出来事……傷にしてほしくないって……!」
「……」
ウェンナは自分の服の胸元を、堪えきれないというように握りしめていた。
そして少し心を落ち着けたか、ゆっくりとその手を緩めて。
「マキュリ姉さんの事、みんな泣いてます。私もみんなと一緒に泣きました……。でも……マールは一人で隠れて泣いてました。不安がって、怯えて……パルティス兄さんと一緒に聞いて、やっとそんな事考えてるって、話してくれて……」
……そっ、か……。
今回の事は、ランの言ってた通り、みんなに責任がある。
で、その結果、色んな重荷が積み重なって、一人一人を悲しみに追いやっているんだ。
その瓦礫のような重荷を一つずつ取り除いていかないと、みんなきっと、身動きができなくなっちゃう。
「……うん。マール、お願いだから、頭を上げて……? あたしは怒ってないし、そもそもあたしが怒るなんてことそのものが筋違いだしね」
「勇者様……」
顔を上げたマールは、涙でぐしゃぐしゃだった。
そんな顔を年下の子にさせていたかと思うと、また心が痛んだけど、ウェンナに言われた事も理解できる。それ以上は自分を卑下しない。
マールはまだ鼻をすんすん言わせていたけど、ウェンナに肩を抱かれて座りなおして。
そして落ち着いたのか、それ以上気持ちを高ぶらせることはなかったようだった。
と、パルティスが、一つ深呼吸をして口を開く。
「俺も。ここへ来たのはマールが謝る、マールを許してほしいって話だけじゃない。勇者様にちゃんと伝えたい事があったからよ、マールと一緒に来たんだ」
「……うん、何」
あたしはその場に座りなおして、パルティスへ向き直る。
パルティスは少し神妙な顔つきになってから、始めた。
「マキュリの事はよ、その……残念だった。今も意識は取り戻してねぇし、あの眞性異形になっちまった夫婦だかカップルだかも目を覚ましてねぇのと、旅団長の話を聞く以上さ、目が覚めるとも思えねぇしな……」
「……うん」
パルティスはそこで一度村の方へと視線を投げる。
「あいつが村を明るくしてた。俺はそう思ってる。これからは……それがなくなるって思ったら、村のみんなはやっぱり暗くならざるを得ねぇよ」
「……だよ、ね」
「でも、みんなは本当は謝りたいって言ってた」
「え」
あたしの目をまっすぐに見てパルティスは言葉を続ける。
「ウェンナの言ったことはウェンナだけじゃない、村のみんなの総意だ。勇者様が、オビアスを救ってくれたことは間違いないのに、ばーちゃんの手前、みんなそれを言い出せなくなっちまったんだ」
「ネイプさん……」
パルティスは頷いた。
「ばーちゃんはよ、あんな厳しくても、村の子供らみんなをかわいがって、そして年寄り連中をずっと励まして来たんだ。俺らの親父やお袋世代も、ばーちゃんに凄く世話になった。マキュリのお袋さん――死んじまったユーレインおばさんにもだ。だからばーちゃんがその悲しみを最初に口にしちまったら、みんなはそれに寄るしかなくて、な」
と、そこでパルティスは姿勢を正してまっすぐに座った。
「あんな風に送り出しちまったが、村のみんなは勇者様に感謝してる。それは絶対だ。多少のけが人は出たが、今回の魔王軍との戦いで『誰も死んでねぇ』。村を代表して言う。……ありがとう、勇者イツカ」
深々と頭を下げるパルティス。
「ありがとう、勇者様……!」
「ありがとうございました!」
マールとウェンナも、頭を下げて感謝してくれる。
でも。
「……」
ウェンナ言葉を頭に置いておいたとしても。
あたしはその謝意を素直に受け取る事が難しかった。
誰も死んでない。
それは本当に、あたし自身『良く出来た事』なんだと思う。
でも……やっぱり『あの子』は還らない……そして『あの人』の悲しみは……。