第87話 「行ってきます……」
◆◆◆ 視点変更 『勇者 イツカ』 ◆◆◆
「……サット!!」
櫓から急いで戻ったあたしが声をかけた時、サットはゆっくりと、崩れるように膝をついた。
そして、数mほど先で、ネイプさんたちに守られるようにして囲まれた、マキュリに向けて手を伸ばす。
「マキュリ……僕は……」
震える声でそう呟いた後、体を支えきれず、倒れるサット。
それでも体を起こして……手を伸ばして……
「僕は一体……何を……間違ったの……かな……?」
その言葉を最後に……サットの手は力なく、地面に落ちた。
ヴァイスさんが油断なくサットに近寄って、右あごの下に触れる。
そして首を振って。
「……絶命しました」
血塗れで風に揺られるサットの亡骸を、あたしは切なげに見つめる。
「……サット……」
きっと、その疑問が出るって事は、あなたは何も間違ってなかったんだと思う。
あたしには、あなたの事情は分からない。
だけど、懸命に、正しく生きようとしなければ、死に際にそんな言葉はきっと出ないよね……?
直接的に人の死に目に会うなんて初めてのあたしでも、それぐらいは分かる。
考え方が違うから、あたし達はぶつかるしかなかった。
でも、あなたはアプローチは違っても、眞性異形から村を守ろうとしていた。
だからあたしは、あなたの死を、悲しいと思う。
どんな裏があれ、あたしは一度はあなたと、笑い合ったんだから……。
「……?」
ふと気づくと、あたしの周囲が騒がしい。
その声は一様に悲しみの色を湛えていて、騒がしいとは言っても押し殺したような雰囲気が先に立つ。
それで、気が付いたのは――。
「っ! ……マキュリ……!」
村の人たちが輪になって集まっている場所。
人影で見えないけど、その真ん中にマキュリがいる――あたしはマキュリに、もう一度……!
「それ以上、孫にお近付き下さいますな!」
「えっ……?」
彼女を求めて、今度はあたしが手を伸ばした先。
そこで鋭い声であたしを制止させたのは。
「ネイプ……さん……?」
「勇者様、皆様……この村をお守りいただけた事、村長として深く御礼申し上げまする。我が孫、いえオビアスの聖謐巫女はこれにて全てのお役目を果たしました。どうかあとは魔王を討伐し、世界をお救い下さることを、村一同で祈念いたしまする」
慇懃でありながら、明らかな拒絶にあたしは思わず動揺する。
「そんな……そんなっ……! あたし、あたしまだ、ちゃんとお別れ出来てっ……」
「何をすれば、あなた様の言うお別れとなりましょうや? その場所からではできぬ事であればお控えいただきたい。……孫に、触れんでくだされ」
「なんで……どうして……」
ネイプさんは険しい表情を変えることなく、あたしにまっすぐ告げた。
「あなたが、最初に孫から正しく威啓律因子をお受け取り下されば、このような事にはならなかった。……ワシは、まずこのことが、直接的にあなたを許しがたいのです」
「……ぁ……」
どくんっ、と弾かれるように心が揺さぶられる。
その言葉は、あたしにとってあまりに悲痛な一言だった。
あたしは震えながら、全ての力を奪われたように、膝をついてしまう。
「村長! それをイツカだけのせいにするのはあまりにも……!」
「そうだし! マキュリが上手く取り出さなかったのが良くなかったんだし!」
思わずランとプルパが声を上げてくれる。
しかし、ネイプさんは首を振る。
「そこへ勇者様が手を出し、そしてマキュリと共に取り落とした事実については変わりありますまい。勇者様のせいだけではない、しかし勇者様のせいでもある事。ワシはそれを言っております」
「……」
あの呪いが――『究極不器用』が人の死に直結した……?
あたしはそう考えてしまうと、がくがくと体が震えるのを感じて、そこから先はほとんど言葉が耳に入らなかった。
「そして……ワシや、この村の老人衆たちは――」
と、ネイプさんの周囲に、おじいさんやおばあさんなど、村の重鎮と呼ばれる人たちが集まる。
「長く生きすぎた中で。我らのお役目を振り返る機会があまりにも多く、そしてその中で生じた強い悲劇を忘れ切れんでおるのです」
「強い、悲劇?」
ランの問いかけに、ネイプさんがゆっくりと空を仰いで語りだす。
「10年余り前。今回ほどではありませんでしたが、100体以上の眞性異形が村へと攻めてきた事がありましたじゃ」
「100体以上、ですか……!?」
「何十年かに一度、急に眞性異形が増えて襲ってくることがあるのです。この時ばかりは村の防壁だけで守り切るのが困難な状況。我らは村を出て眞性異形と直接戦いを演じなければなりませぬ」
「確かに……そういう報告は目にした事があります」
「はい。……10年前のあの時。マキュリの母親――ワシの娘は家族の幸せよりも、聖謐巫女としてのお役目を取った。ある日の眞性異形との激戦の中に飛び出していったのです。『自分に娘がいなかったらそうはしなかったかもしれない、勇者様を待つのが聖謐巫女の役割でもあるのだから。しかし、次の聖謐巫女はちゃんと育っている。それを守るために、戦う』と言い放ちましてな……。そして、娘は……」
ネイプさんは結末を最後まで口にできなかった。
小さくため息を一つついて、言葉を続ける。
「……最初は、それを誇りに思っておりました。しかし、母が恋しいと泣く孫の気持ちを押さえつけるために聖謐巫女であることを強いてきた自分や村の在り方を振り返った時、皆の心に、次第に疑問が生まれ始めたのです。そしてワシも……やはり人の親として、孫の言葉に、最後には娘の死を泣かずにはおれませんでした……」
「……村長」
「700年前の勇者様に、第参英霊級の威啓律因子を守るよう願われた聖謐巫女は、以来呪いをかけられたも同じ。現れるか否か分からぬ勇者様へのお役目のために、常に何かを犠牲にしてきた。……それが、ワシら年寄りが、お役目を預かりながら、どうしても許せぬ事なのです……」
すっと、視線をマキュリに投げるネイプさんの言葉に、張りを感じられなくなっていく。
それはお役目を果たしたことのためか、それとも今また家族を失った事による辛さが身に染みての事か。
「オビアスは、確かにお役目を果たしました。どうか……どうか……勇者様に措かれましては勇者様のお役目を果たされますよう……」
……あたしはそこで顔を上げて、村の人たちの目を見る。
みんな、一様に、どんな表情をしていいか分からないと言った風情だった。
村長の手前と言うのもあるかもしれない。
ネイプさんと同じ立場をとる事が、オビアスの村に生きるこの人たちの姿として正しいのかもしれない。
でもそれ以上に、あたし達と、この村の人たちの間には、この戦いで埋めようのない溝が出来てしまっていた。
それはあたしのせいだ。
この事態は、あたしが招いたこと。
あたしに勇気がなかったから、村の人たちの不安を煽り、結果として生まれた確執の形と言うのが、この村の人たちの今の表情なんだろう。
「……」
あたしは、ゆらりと立ち上がる。
あさましい事を言う。
あたしは褒めてほしかった。みんなと一緒に勝利を分かち合いたかった。
それであたしは勇者としての立場を確立できると思っていた。
でも自分の立ち回り一つで、こうも人間関係と言う物は誤った方にこじれる。
ちゃらんぽらんな気持ちで、この戦いに臨むわけにはいかない。
いい加減な気持ちで生き返ろうというのは、甚だムシが良すぎるという事なのだろう。
分かった。
言ってること、理解したよ、神様……。
「……ネイプさん」
「何でございましょう」
「あたしが自分の役目を果たしたら、もう勇者じゃなくていいですよね」
「……そう、でしょうかな……?」
「あたしが魔王を倒して、この村に帰ってきたら」
……気を強く持って語れ、あたし。
それは勇者でなくなった時の事であっても、勇者としての決意でもある……!
「どんな形でも姿でも、構いません。ただの女の子のあたしを。マキュリに、もう一度……会わせて……ください……!」
「……」
最後は、声にならなかったかもしれない。
でも、意志は伝えた。そして、今ここであたしは泣くことなんか許されない。
「その約束が、あなた様の力になるのであれば」
「……え……」
「ワシも頷かぬわけには参りませぬ。どうか……ご武運を……!」
「ネイプさん……」
その言葉で、ネイプさんもまた、深い葛藤の中にありながらこの状況に立っているんだということを理解できた。
震えながら、歯を食い縛る。
「……」
あたしはもう一度、人垣の隙間から横たわった彼女の体を見つめた。
彼女は死んではいない――それは理解してる。だけど目覚めることもないあの状態は、事と次第によっては死ぬよりも残酷な姿にも思えて、ただ心が締め付けられる。
それでもあたしは進まなきゃいけない。それが贖罪であり、あの子の願い。
だから、あたしに許されたお別れは、これが限界のようだった。
「マキュリ……行ってきます……」
こうしてあたし達は、オビアス村を後にする。
オビアス村に存在する、第参英霊級の威啓律因子を取得する。
このミッションは間違いなく、あたしたちによってクリアされた。
心に想像もし得なかった、深い傷を残しながら……。