第36話 「ちょっと、分かったかも」
「イツカは馬には乗れるのよね?」
「あたしはあたしの世界で、馬に乗れる同じの年代の女の子に会ったことがありません」
一人で馬に乗るなんて滅相もないあたしは、そんなやり取りの後にランのまたがる馬に一緒に乗ることになり、一晩お世話になったお城を出ることになった。
しかし、これが、まー大変だった。
昨日、馬車で走ったあの王城への大通りに、千人近い人が詰めかけていたのである。
大歓声で送り出されることになるあたし。
そうされることが全く意味分かんないあたしは、道の左右に押し寄せる人たちとまるで目を合わせることができず、ぴきーんと背筋を硬直させたままで、ランの操る馬に乗ってたんだけど。
「うーん……私がいたんじゃ、イツカの姿が見えづらいわね」
「……何ですと!?」
そう言って、ひらりと降りて、馬を引き始めるラン。
馬上にはあたし一人。
大観衆の声が完全に全方位からあたしに突き刺さる中、あたしは石のようになって手綱を握り、顔を真っ赤にしてた。
でも、少しだけ状況に慣れ(諦め)始めたあたしの耳に、次第に聞こえてくるのは。
「勇者様、お願いいたします! 故郷の家族の仇を!」
「眞性異形の脅威から我々を救ってください!」
「戦場でお父さんを失いました! 僕みたいな子をこれ以上増やさないで!」
……その一つ一つの声は、心からの願い、祈り。
多分その全てが700年もの年月の間叫ばれつつ、叶わなかった言葉たちなんだろう。
「……縋られてるんだよね」
「なぁに?」
下馬したランが、わずかにこちらに視線をよこす。
「こんな剣持って、こんな力持たされても。……あたしにはまだ勇者なんてものの自覚、はないんだ。でも、それでも……」
……この人たちは、そうせずにはいられない。
神なんて言葉だけの存在よりも、具体的な形を持ったあたしが、目の前にいるんだから。
だとすれば、あたしは一体どうするべきなのか。
どうなるべきなのか。
「……。……そっ、か」
「何かしら?」
「ちょっと、分かったかも」
「ん?」
「あたし、女王様に言ったよね。あたしは魔王を倒したいんじゃなくて、帰りたいだけなんですって。勇者かどうかなんてのは、分かんないですって」
「そうね」
「でも……帰るためには、やっぱり『勇者』っぽくならなきゃいけないのかもしれないんだよね」
元の世界に帰る――その目的に比べたら、このファーレンガルドの人たちには申し訳ないんだけど、あたしの『世界を救う』なんてのは『物のついで』だ。
あたしの肩に、世界なんて大きなものはどうやったって乗らないもん。
でも、魔王を倒すためには、世界を救うぐらいの気概がいるんだって、それは誰かさんに真面目に言われたことだったもんね。
あたしが人の希望たる『勇者』かどうか。
それはきっとあたしが決めることじゃないし、正直どーだっていい。
その肩書が正しいかどうかは、この先の旅で、あたしを見てくれたみんなが明らかにしてくれるはずだから。
ただ、『勇者っぽい人』であろうとすることで、誰かがあたしの心を後押ししてくれて、それがあたしの力になるなら、『勇者』という立場でいようとすることは間違いじゃないって気がしたんだ。
「自覚、芽生えそう?」
「自覚、か。まぁ……芽生えたいな、とは思うかな」
「ふふ、面白い言い回しね」
ランと少し微笑みあった。
周囲をすっと見回す。……まともに人の顔は見れないけど。
人が手を振る。
人が手を振る。
その人たちの向こうの人たちも、あたしに向けて願いを投げかけようと手を振っている。
このタイミングもきっとその一つだと思う。
その力を手に入れるために。
あたしは視線を落として手を開き、じっとその手を見つめながら思い出す。
「あたしがいた世界じゃ、あたしが誰かを笑顔にできるなんて考えたことはなかった。でも……そっか」
うん。
まだ、どうしたらいいか分からないなら、あたしの知ってる気持ちに、置き換えたらいいんだ。
「物を壊したら、壊れたら。直してあげたいと思う気持ちは、そして笑ってもらいたいって気持ちはあったよね――ずっとそうしてきたんだもんね」
あたしは正面の通り、誰もいない方向に目を向けたまま――
「あたしのためだけじゃない。それは……!」
まっすぐに上へと手を上げる。
誰も見られない、目は合わせらんない、それはカンベンしてほしい。
恥ずかしいんだよ、こんな大勢の中なんて……女王様との面会の時といい、昨日の晩餐会といい、今日のこれといい。
ただ、その上げた手はみんなの声に応えてのもの。
あとはこれを見た人たちの受け取り方次第。
――大歓声。
ああ、もしもその心にすさんだ物がくすぶっているなら、今だけでも――ちょっとだけでも癒されて。
それをあたしは、力に変えて持っていけるように、この先も努力してみるよ。
あたしが勇者であることが、一体どういうことなのか。
今はまだ、分からなくてもそれでいい。
あたしは一つ、こうして変わる。
それがきっと大事。