第一話 空っぽな意地
どうも初めまして。
泣いて笑ってはいつくばってどうにか生きていこうと頑張る物語を不格好でも書いていこうと思っています。
よろしくお願いします。
髪が伸びた。
霧島歩は寝起きの浅い意識でそう思った。前髪を指先で弄りつつ、この瞼にかかる物をどうしようと考え、暫く指に黒髪を絡ませていたが、ふと視線をゆっくりと壁に掛けた時計に動かした。
短針は既に十時を回っていて、長針は時計を半周していた。カーペットに横たえていた体に扇風機の風だけが当たっている。
歩はため息をついて、体を起こす支えとするため両掌をカーペットにつけた。そのまま力を入れると、体の節々や腰に痛みが走った。クッ、と歯を食いしばってその痛みに耐えた。
そのまままるで産まれたばかりの小鹿のように腕や足を震わせつつ、歩は時間をかけて立ち上がった。襲い掛かる立ちくらみと耳元で飛んでいる蚊の羽音が、歩の微かな微睡を引っ叩く。顔を両手で覆って、目元から頬までを数回擦った。深い息を吐くと、強烈な眠気が襲ってきて、歩はそれをはらうために無理矢理に動いた。
着替えを持って歩は洗面所に向かった。
真面目に仕事して下さい。
背後から掛けられた声だった。
えっ、と不意の声に歩は声を漏らした。背後、振り返ると、こちらに手に持った部品を見せる上司の顔がある。理解が追い付かない歩の顔を、額から顎にかけて汗が流れ落ちる。
不具合が今日は一杯出てるみたいだよ。しかも部品がコンベアの上に落ちてた。
すみません。
歩は作業を中断して頭を下げた。遠く、インパクトでボルトを締め付ける音が断続して聞こえる。カラカラと鳴り響くラインの音と混じりあって、上司の声は聞こえなかった。
去りゆく上司の背中を視界の端に収めつつ作業の手は止めない。暑さからくる汗とは違うものが歩の頬を走った。背中に張り付いたシャツの感触が気持ち悪い。
焦りだ。注意を受けたこと、怒られたことに対する反省、そして焦りだ。
歩は焦点を手元に向けて集中した。
取り付ける部品の一つ一つ、その隅々までを傷がないか確認して、取り付けた後も確認。傷がないか、隙間がないか、作業忘れがないか。
必死だった。
息が段々と上がっていく。体にまとわりつく熱が一向に消えなくて汗が止まらない。
怒りだ。これは怒りなんだ。
やるせない怒りが歩の中にあった。
必死だった、歩は。
仕事に対して手を抜いたつもりはなかった。出来ることを出来るだけやろうと頑張った。成し遂げるための努力もした。
歩は手首の痛みを思った。不具合を出すまいと力を余計に込めて叩いていた歩であるが、その負担が痛みとして表れてきている。他にも悲鳴を上げている箇所は幾らでもあった。それをこらえて歩は作業に取り組んでいる。
頑張っている、俺は。
視界が潤んできた。その頑張りがあの一言ですべて否定されたかのように思えた。強く噛みしめていた奥歯にもっと力を込めた。流してたまるものか、それこそ意地になって歩は我慢した。ここで涙を流してしまうと、すべて諦めてしまいそうだった。
畜生。インパクトの音にかき消された声が、今日仕事が終わるまで歩の中に残ったものだった。
天井を眺めていた。立ち込める湯気の向こうにある天井を無心で眺めていると、唐突にその白い天井がこちらに迫ってくるときがある。今がその時だった。その時はただ瞬きを繰り返した。そうするといつか天井が元の位置に戻る。それを確認してまた天井を眺めていると、再び天井が迫ってきた。歩はまた瞬きを繰り返した。
何も考えずに同じことをひたすら繰り返すのが、週末の風呂のルーティーンだった。疲れも嫌気も、そうして歩を形作るすべての記憶を遠くに追いやってただ無意味に無価値に時間を貪る。壁に貼り付けた小型のデジタル時計を見やると湯船に浸かって既に三十分が経っていた。
明日は休みだ、そう思うから歩はまだ風呂から出ようとは思わなかった。
もう一度天井を見る。深く息を吐いて一度目を閉じた。真っ暗な瞼の内側で意識を外に向けると、微かに外を走る車の音と鈴虫の鳴き声が聞こえてくるだけだった。一台、二台と数え、暫くした後に走った三台目を最後に車の音は聞こえなくなった。鈴虫の鳴き声の中の静寂で心地良いというわけではなく、かといって自由というわけでもなく、歩は目を閉じていた。
ドドド、っと耳の奥から音がした。聞きなれた音だった。毎日毎日ずっと聞いてきた音だった。意識すると途端に耳の奥が音で溢れてくる。ドドドとインパクトがボルトを締め付ける音、カラカラとラインが動く音、パチと部品を取り付ける音、バンバンと叩く音。荒い息に額から落ちる汗の感触。乾燥した空気に工程を早歩きで移動する足音。節々の痛みに顔をしかめ、ただ永遠とも思える長い時間延々と同じ作業を繰り返し、実感なんてわかない不具合という名の失敗に追われつつ、ただただ時間が過ぎ去っていくことだけを願う日々が、耳の奥を越えて脳みその奥から溢れてきた。
畜生。工場の雑多な音にかき消された残響が、今頭の中を走った。
痛みや頭の中の音につられて悔しさが込み上げてきた。
歩は、仰向けになって天井を眺めていた姿勢のままで一度体をすべて湯の中に沈めた。浮き上がって顔の湯を手で拭って目を開ける。目元から流れる水分はすべてお湯であると自身を誤魔化した。
以前、いや今になっても言われる、ないし耳にする言葉がある。みんな、という言葉だ。
きついのはみんな一緒。大変なのはみんな一緒。出来ないのはみんな一緒。痛いのもみんな一緒。それでもみんな頑張ってる。みんな努力してる。だから君も、君も、君も…。
呪いだ。それは呪いだ。
歩はここにきてみんながわからなかった。わからなくなった。
みんな、という不特定多数の他人が、毎日毎日頑張っているのも努力しているのもわかる。歩の苦しみも悔しさも、既にみんなが味わってきたことだということもわかる。
だがみんなとは誰だ。みんなとどこで線引きしているのだ。自分はそのみんなの中に入っているのか。そこのところ全部のけてしまって、ただみんなを考えたとき、どうしてみんなは自分を無条件に無責任にみんなの中に入れるのだ。
歩には何もない。学歴も無ければ特技も無い。資格も無ければなりたいものも無い。何もない。何も無いがそれでも頑張らなければならないという強迫観念だけが歩にはあって、ただそれだけを頼りにそれだけに縋って歩はここまで来た。
自信なんてなかった。出来るという自信がなくて、実際出来ていない。この仕事を始めてもうそろそろで三か月だ。なのに一向に仕事での失敗は無くならない。毎日毎日失敗ばかりだ。最初のころは親しげに接してくれた上司の態度もこの頃は冷たくなった。見限られ始めれいるのかもしれない。
みんなとは何なのか。
その中に自分が入ることが出来るなんて、歩には到底思えなかった。出来ないという事実が否定をしている。みんなというのが出来る人を指している言葉なのではないのか、歩はそう考えているのだ。
ついこの間、同じ職場を去った先輩がいた。その人は歩が職場に入る少し前に入った人だった。毎日作業が大変できついと言っていて、歩はそれに共感できたし、その人の辞めてしまいたいという気持ちにも共感できた。三十代前半で奥さんと二人の子供がいて、妻子のことを考えて今は仕事をしていると言っていた。この人には理由があるのだと、素直に羨ましかった。
そんなある日のこと。昼休みにその人が話しかけてきた。俺ここ辞めるよ。頭を思いっきりハンマーで殴られたみたいだった。グラグラする頭でその人の言葉を全部必死に聞いた。仕事をしていて体に障害が出てきた。振動障害だ。もう同じ作業をすることは出来ない。配置を変えることも、違う職場に行くこともしない。俺には単純作業がむかなかった。毎日毎日同じことをして、頭を使わないことがこんなに苦しいとは思わなかった。だから俺はここを辞めるよ。
正解だと思った。出来る出来ないの問題ではなく、それ以前の大前提の問題として体に障害が出てきているのだ。体のことを考えて辞めるのが一番なはずだと思ったし、他にも、その人のお子さんは、二人ともまだ幼く、今年で上が小学校に入ったばかりなのだということも引っかかった。二人とも男の子だそうだ。子育てでも勿論体は使う。男の子なら尚更だろう。なのに手に障害を抱えて、その所為で子供と遊べないとなったらどれだけ虚しいのだろうか。どれだけ寂しいのだろうか。手の障害が治るのかどうなのかは訊かなかった。治らないとなれば、それがどれだけ悔しいことなのか想像できないが、想像できるだけ想像して怖くなったからだ。
その人はそれから間もなくして職場を去った。最後の日も、その次の日も、職場は何も変わらなかった。あれだけ耳にしたみんなとやらは、そのみんなになれなかった人を惜しむわけもなく、ただ無感動にその別れを終えた。
みんなとは何だ。
みんなみんなと姿形のないものを、声も温もりもないものを基準にしては、救いもせず報われもしないものを押し付けて、無責任に頑張れという。出来ない人間には何もない。それが当然のことであると、歩にはわかっていた。みんなとは明確な基準なんてない職場で目指すべき姿なのだ。目標なのだ。ただそれだけを目指して頑張りなさいと言うのだ。目標はただ目標であって、何も言わないしだから救いもしない。
みんなとは何だ。
歩にはそれでもわからなかった。わからないものになれるなんて思えもしなかった。何故ならそのみんなは歩を救わないからだ。もし仮にみんなになれたとしてもそれで何かが変わるとは思えない。なれなければその別れを惜しまれることもなく、みんなは簡単に歩を忘れてしまうはずだ。
考えているとやはり目から何かが溢れてきた。もう一度湯に顔を沈めた。認めたくなかった。認めてしまったら、本当に何もかもが終わってしまう。すべてが嘘になってしまう気がした。顔を湯船から上げて、全部お湯にする。風呂場なんだから、顔も体も濡れてしまうのは当然だ。そうやって誤魔化したところでどうとなるわけではない。救われるわけでも報われるわけでもない。しかし、咎められることもない。情けないと自分に唾を吐いても、仕方ないと一言で捨ててしまえる。その行為を誰が馬鹿に出来ようか。歩には何もない。相談する相手も家族もすべて置いてきた。捨てられてきた。だから誤魔化してばかりの歩を糾弾する人は誰もいない。
歩には何もないし、誰もいない。
それが苦しくも思えた。しかし最終的な救いなのだとも思えた。救いだと思っていることを認識したとたん、馬鹿なことを考えるなと自分をしかりつける。その救いとは馬鹿なことなのだ。
気付けば風呂に入って一時間が経とうとしていた。鈴虫の変わりない鳴き声だけがここを逃げようのない現実だと告げている。
喉が渇いていた。
次の日の朝は早かった。と言っても、休日だから起きたのはいつもより一時間遅い七時である。そこから歯を磨いて顔を洗って服を着替え、腕時計を付けてバックパックを背負って外に出た。バスに乗って市内の中心にむかう。
歩は、市内といってもその中心から外れた簡素な住宅街の安いアパートに一人で暮らしている。アパートの周辺にコンビニはあってもスーパーはなく、飲食店もやや離れた所にあった。不便に思うことはあったが、お陰で外食を週末だけと限ることが出来るのは、お財布事情的に有難かった。毎晩カップラーメンばかりの生活ではあるが、自炊をしようにも平日仕事終わりはいつも帰って横になってしまい、そのまま気が付いたら寝てしまっているということが多い。それでもどうにか横にならず台所に立ってみたこともあったが、ほんの少し立っておくということが詮無く思えてやめてしまった。今はテーブルの上に置いたポットのお湯を使うだけにしている。その生活について、始めてしまった頃はどうにかしなければという危機感めいたものがあったのだが、最近はむしろ週末の外食の楽しみを加速させる一因となっているのではと思うようになった。
自己防衛だと思う。しかし仕方のないことなのだと割り切った。学生の頃、毎日食べていた母の料理が恋しくないといえば、それは嘘だ。県外に出て一人になると、昔を懐かしむ気持ちが芽生えた。それにつられて思い出したくもない記憶や思いがこみあげてくるときもある。そういう時は決まって遠くを見やった。空を見て自分の現在位置を思い出す。何故ここに来たのか、何故自分はここにいるのか、そうやって過去の怒りや決意などを思い出した。グッと拳を握って忘れないようにする。
遠い空を拳を握ったまま眺めていると高いビルが多く視界に入るようになった。片幅二車線の道に入り、道路の中央を路面電車が走り去っていくのが見えた。忙しなく人と車が往来を行き交い、ざわざわと喧騒が肌に伝わってくる。田舎者の感覚だった。
程なくしてバスが目的地に着いた。降車すると夏の暑さがジワリと纏わりついた。喉の渇きと空腹感に背中を押され歩は歩き始める。両耳にさしたイヤホンからはお気に入りの曲が流れている。偶然知った何年か前の曲だった。その曲を聴いて頑張らなければと歩は思えたのだ。もがいてもがいて立ち向かっていくから、そのフレーズがやたら気に入ってCDなんて碌に買ったことがないのに、わざわざネットで注文してまでシングルを取り寄せた。我ながら珍しいことを、と思う。それだけこの曲に救われているのだろう。
それを聴き終わるころには、歩は目的地に着いていた。行きつけの喫茶店は、都会の一角に整然と店を構えている。店の正面に出されたお品書きやモーニングの内容が書かれた看板を横目に見つつ店内に入る。一階の小さな喫茶スペースを抜け、二階に上がり、もう一つ背の低い階段を上がって窓際の席に座った。いらっしゃいませ、とお冷を持ってきた店員さんにモーニングと伝える。飲み物はコーヒーにした。
ふぅと息をついてお冷をあおった。シャツの前を開けて掌で首元を軽く扇いだ。飲み物を飲むのも手で扇ぐのも、持ってきた文庫本を喫茶店で読むのにも、手首の痛みを感じることがなくて良かった。歩は読んでいた文庫本を閉じて、運ばれてきたモーニングのトーストを頬張りながらそう考えた。コーヒーにミルクと砂糖を入れて飲む。苦いと感じるのだから、自分は分不相応なことしているのだ。
フォークでポテトサラダをつつきつつ、今日のことを考えた。買い物と銘打ってとりあえずの外出だ。適当にぶらついてご飯を食べて、食料を買って帰ろう。帰りは何となく歩きたい気分だから市内の外れを通る純金橋を渡ろう。
そういえばと歩は思い出した。今朝、支度をするときにつけていたテレビの天気予報で、今日は後半天気が崩れるとお天気お姉さんが言っていたような気がした。シャツのボタンを閉じていたから、話半分に聞いていた程度である。もしかすると記憶違いかもしれない。暫く考え、まあいいかと意識を手元に向ける。今はゆで卵の殻を割ることが何よりも先決だった。ゆで卵を食べながら歩はまた別のことを考えた。昼ご飯はパスタにしよう。既に頭の中はパスタのことで一杯だった。
歩はバックパックを深く背負いなおした。イヤホンを耳に差し込んで店を出る。買い物を終えてこれで用事はすべて終わった。あとは帰るのみである。食料を買うときに一緒に買ったお茶を口に含む。冷たく心地の良い感触が腹に落ちていった。
行きと違って帰りの荷物は多い。背中にかかるバックパックの重さがそれを物語っていた。それでも歩く速度は落とさなかったし、視線を下に落とすこともしないのは、そうしたくないという歩の意志によるものだった。
昔、学生の頃、疑問に思うことがあった。どうしてこの人たちは下をむいて歩くのだろうか、そんな素朴な疑問。この人たち、と一言にいってもその内容は様々である。サラリーマンだったり主婦だったり、歩と同じ学生だったり。老若男女問わず色々な人だった。
歩にはそれが疑問に思えた。下をむいて歩くことがどうしてなのかわからなくて、自分も同じことをしてみたがそれでもわからない。道路の反対側を歩いていくその頭の天辺が気になってずっと見ていてもその天辺が上を向くことはなかった。通り過ぎていくその丸い背中は、ひどく憂鬱そうだった。トボトボと歩く姿は歩に、何が楽しくてそんなことをしているのだろうか、そう思わせた。
通りの人の群れをかき分けて進む今の歩にはその理由が分かった。
楽なのだ。下を見ながら歩く。下を見ながら立っておく。なんにせよ下。首を前に倒して、背中を曲げて目線を下に。それが楽なのだ。理由は本当にわからない。ここに来たばかりの歩も気がづいたらそうなっていた。仕事に疲れてやるせない気持ちや憂鬱な時は、決まって下をむいていた。
そんなときは歩く速度も遅かった。気分は滅入って思考はネガティブ。ため息ばかりで何もかもが嫌で嫌で仕方なかった。他人の笑い声に舌打ちを打っていることに気が付いたときは、そんな自分が酷く醜いものに思えてたまらなかった。
だから歩は前をむいた。とろとろと歩くのではなくゆっくりでも、しゃんとして歩くようにした。そうすることで見えるようになった他人の頭の天辺を見るたび、この人もそうなんだと思うようになったのは、哀れみなのか愉悦なのか。余裕を作るための防衛機制なのかもしれない。
風が歩の髪を撫でた。少し強い風だ。頭上を見上げると青より灰色のほうが多くなってきていた。今朝のお天気お姉さんを思い出す。
歩きたい気分だった。バスの小さな席に座って帰りの道を行くことは出来た。歩いていてもバスに乗っても、結局何かを考えるということに変わりはない。だからこそ歩は歩きたかった。歩いていたかった。
頑張らなくてはならない。そんな強迫観念が、ここでもそんな歩の背中を押したのかもしれない。
腕時計を見た。時刻は既に三時を過ぎている。散歩の時間には丁度いいだろうと理由づけた。
父に言われた言葉がある。
お前は本当に頑張ったのかと。
父は結果を残してきた人だった。高卒にして最初は工場に勤めた父は、働いて一年、何かの経緯を踏まえて、製造から会社の営業部門に配属された。製造でも営業でも苦汁をなめた父は、ただただ負けず嫌いな一面を大いに発揮し、朝から夜遅くまで懸命に働いた。先輩に言われたこんなことも出来ないのか、のその一言が本当に悔しくて血反吐を吐いてまでもやったそうだ。当たり前のことをしただけだと父は歩に言ったが、企業勤めで高卒の父が、四十台にして相当な役職に就いていることを歩は知っていた。大企業の営業で、西日本営業成績第一位の表彰を受けたと聞いたときは、この人に、学歴だとかそういう肩書やブランドではなく、実力だけでここまで上がってきた人に、自分はどう足掻いても敵わないと打ちひしがれた瞬間だった。
努力を惜しまず、ひとえに頑張ってきた父の言葉だ。
お前は本当に頑張ったのか。
頑張ったのは事実かもしれない。しかし結果が残っていない。失敗している。ならばそれは頑張ったと言えるのだろうか。本当に頑張った人間は結果を残している。ひたすらに頑張った人間は成功をした。ならば失敗とは何だ。それは努力が足りないのだ。お前は頑張っていなかったんだ。
その言葉はイヤホンから流れる音楽を越えて歩の耳に再び届いた。歩道を歩く歩を自転車に乗ったスーツ姿の青年が追い越していった。パリッとしたスーツは、その背中から自信を感じさせた。歩はその背中を直視できなくて下をむいた。スニーカに染み付いた汚れがあることに気が付いた。
前をむいた。感じた惨めさをどうにかしたくて視線を動かした。純金橋に近づくにつれて段々と増えていく車のドライバーが見えた。その一つ、家族連れのドライバーのその温かな笑顔が、その後ろで重ねてきたモノを思わせた。
空はすっかり曇天で覆われてしまった。風も強くなってきている。蝉の声もどこかに追いやられて、むしろ肌寒さすら感じた。歩はそれでも止まれなかった。
俺は頑張っている。
どこかで思ったのか、または独り言ちた言葉だ。
本当なのかと思った。
そう思う限り、思い続ける限り逃げ場なんてなかった。いや、最初から逃げ場なんてない。それを実家から逃げて知った。
歩は失敗を重ねた人間である。
そこそこ頭が良かったから息巻いて、そこそこ頭が良いだけなのに中学受験なんてものをしてみて失敗した。それでも増長は止まらず、高校受験でも失敗した。別に何が出来るというわけでもなく、何かなりたいものがあるわけでもなく、笑って楽して楽しんで、そうしてまだ自分はどうにかやれるなんて根拠もなくバカみたいで薄っぺらい自信をもって臨んだ大学受験で失敗した。
そこで初めて自分という人間の情けなさを思い知らされた。成功した周囲や他人、あまつさえ両親にあわせる顔がないように思えた。だから逃げた。浪人でも就職でも、お前の好きにしなさいと真摯に向き合ってくれた父に県外に出ると告げた。
父は激怒した。考えなしに、考えなしでもそれなりに向き合おうともせず、逃げるという選択をした自分に激怒した。
出ていけ、と頬を殴られて、よろけた体を蹴り飛ばされた。床に倒れこんだ歩に父は、お前のような人間が行けるところも出来ることにも限界がある。それはすぐにやってくる。お前にはなにも出来ないからな。出来ないから逃げる。だから何も出来ないままなのだ。お前のような人間は最後の最後になるまで自分と向き合わない。そうして一人寂しく死んでいけ。
二度と顔を見せるな。
そう告げて、以降顔を見ていない。
歩は拳を握った。歯を食いしばって怒りと痛みに耐えた。それは純金橋に上がる階段に足をかけた今でも変わらない痛みだ。
自信なんてなかった。大切な自分とやらもわからない。毎日、明日も明後日も、昨日も一昨日も、前後不覚になって何もわからなくなって、死んでしまいたいなんて馬鹿なことを考えて、それでも悔しさに縋って生きている。
痛みを思い出して、どうにかあの人を見返してやりたいと、すべてを怒りに変えてただその一瞬に焦がれた。
それが霧島歩だった。
歩を支えているのは悔しさ、痛み、怒りだ。それ以外には何もない。怒りを向けられている父にとっては、甚だ迷惑な話だ。空っぽで自信も理由もない人間に事実を突きつけただけなのに、怒りをむけられる。これだけ迷惑な話があるだろうか。それでも歩には怒りが必要だった。簡単に死んでしまおうなんて思う人間がここまで生きてきているのも、どうにか生きているのもすべて怒りのお陰だからだ。
だから歩は死ぬことを馬鹿なことだと断じれた。
意味もなく摩耗していくだけの日々に耐えることが出来た。しかし不意に訪れる虚しさや虚脱感が、歩に現実を考える時間を与えた。すべて嘘みたいなものだった。
自分は今、何をしているのだろうか。無目的な見切り発車に、歩は理由を与えることが出来なかった。
純金橋を歩き始めた頃には雨が降り始めた。次第に雨脚が強まっていく。イヤホンとミュージックプレーヤーをしまって、その中を歩いた。風が雨でぬれた体を打つ。見返したいだのなんだと言いながら、そのための自分を大切に出来ない自分自身が何よりも滑稽だった。
前を見なければ、となかば意地になっているのか歩はいつの間にか下をむいていた顔を上げた。
視界の向こう。瀬戸内海に繋がった大きな川にかかる純金橋の上、その中ごろに影があった。