第二話
次に彼が来たのは一週間後の、良く晴れた休日でした。彼は何枚もの板と大工道具を抱え、大工の様な格好をして、門の前に立っていました。すらっと背が高いのに、丈の合っていないズボンを穿いて、どうにも頓珍漢な様子でした。
「雨漏りを、直そうと思いまして」
彼はにこやかに笑いながら、こう切り出しました。私は呆気に取られて返事も出来ませんでした。
「……先生がご存命ならば、伝手に頼む手もあったのでしょうが……」
彼は沈痛な面持ちで、そんな事をおっしゃりました。確かに私は父の知り合いなど良く知りません。父は家に誰かを連れてくるという事も、殆どありませんでしたし。私の知り合いに大工などはいませんし、かといって兄に頼むのも気が引けます。だからと言って、彼にやってもらうのはお門違いだと思うのです。
「ですが」
「御恩をお返ししたかったのですが、先生は既に鬼籍に入られてしまいました」
彼は、仏壇に置いてある父の遺影に視線を移しました。小さな額縁の中で、気さくに微笑む父の顔が、二人に沈黙を落とします。
「せめて、残された貴女が、安心して暮らせるようなお手伝いでも出来ればと」
彼は遺影を見つめたまま、そう言いました。
「すみません、勝手ばかり言ってしまって」
彼が謝ったのは、私なのか、父に対してなのか。私には、よく分かりませんでした。彼はそんな私の気など知ってか知らずか、にこやかに微笑んで、颯爽と二階へと階段をのぼってしまいます。
私の寝室は二階です。見られて不味い程散らかっている訳ではありませんが、男性には見られたくはないのが女というもの。せめて分かっていれば片づけをするのに。などと頭の中で文句を言いつつ、彼の後を追いかけます。
「あの、ちょっと!」
彼は階段をのぼり切ったところで立っています。よかった、まだ扉は開けていないようです。
「す、すこしだけ、待ってください」
私は扉をちょっとだけ開けて、隙間にスルリと潜り込みました。一人暮らしの女の部屋の無防備な様子を見られては、あわせる顔がなくなってしまいます。見られてはならない物だけ押し入れに隠します。部屋を見渡して、粗相がないかを確認します。布団は畳んである、衣類もしまった、鏡台も綺麗。よし、大丈夫!
「も、もう大丈夫です」
「失礼します」
彼が扉を開け中を見た途端、動かなくなってしまいました。チラと私に視線をくれると「もしや、貴女の部屋でしたか」と困惑げな顔をしました。私の行動で察して欲しかったのですが、彼は苦手なようです。
「散らかっていて恥ずかしいのですが」
「いえ、突然お邪魔したのはこちらです。配慮が足りず、申し訳ありません」
大工さんが丁寧な口調で謝ってくる。ちょっと滑稽です。
「まずは、屋根裏の状況の確認からです」
そういうと彼は押し入れの扉に手をかけました。ちょっと、それはダメです!
「あぁ……」
私の制止も間に合わず、彼は押し入れを開けてしまいました。隠したものがドサッと雪崩の様に滑り落ちてきました。ちょっと、男性には見て欲しくない物まで……
彼は視線を脇に逃がしました。
「あ、あの」
「今片付けます!」
ワタワタと回収して布団の中に隠してしまいます。彼もチラッと見ていますが、気が付かなかったふりをしておきましょう。行遅れの肌着なんて見たくもないでしょうし。そういえば彼の歳を聞いていませんでした。あっと、そんな事は後回しです。
「もももう、大丈夫です」
私の合図で彼は押し入れに入って天井を開けました。そんな所が開くのですね。大工姿の彼はそのまま天井に潜ってしまいました。彼が歩いているのか、頭の上からミシミシと音が聞こえてきます。大丈夫でしょうか。
「あぁ、ここだな。とするとこのあたりか。あぁ、やっぱり」
彼の声が聞こえてくるので大丈夫なのでしょうが、怪我をしないかと心配です。
またミシミシと音がすると、彼が押し入れから出てきました。体中埃だらけでしたが、満足そうに「雨漏りの箇所がわかりました」と笑いました。彼に怪我が無くてホッとしました。
「場所が分かったので、今度は屋根の上から直します」
彼はベランダに出て、大工道具を片手にひらりと降りてしまいました。瓦をカチャカチャいわせて、時折「おっと」なんて危ない声を上げています。怖くて見ていられません。
彼は大工道具を取り出すと、瓦を剥がし、板を当てて金槌でトンカンと奏でています。慣れているのかいないのか、私には分りませんが、怪我だけはしないで欲しいです。
「いて」
あぁ、もう、心配しているそばからこれです。
「大丈夫ですか?」
「間違って指を叩きそうになってしまいました。あぁ、びっくりした」
びっくりしたのはこっちです!
なんで私がハラハラしなければならないのでしょうか。もう。
「ここはよしっと。次はそっちだな」
剥がした瓦を元に戻し、彼は違う場所へと移動します。しかも今度は屋根の縁です。
「そっちは危険です!」
「気を付けますから、大丈夫です!」
私が大丈夫じゃないんです!
などど心の中で怒ってみても通じるわけもありません。ため息をつくばかりです。
言っている傍から足がずるっと滑っています。
「おっと、危ない」
危ないじゃありません!
私は手に汗握る思いです。なんであんな危なっかしい所に行くのでしょう。男の人の考える事は、わかりません。
「あぁ、ここだ」
彼は呑気な口調で作業を始めました。もう、怖くて見ていられません!
結局彼は他に二か所ほど直してくれました。私の心臓が爆発する前に終わってよかったです。本当に。
折角雨漏りを直して頂いたので、その日は昼食を食べて行ってもらいました。