第63.6話 アン視点 奥様の負傷
サヨコ様が慌てて魔術を止める呪文を呟くと、雨があっという間に止んでしまいました。
私達は避難してきた人たちを避けながら、奥様を探しつつ屋敷に入ります。私達もずぶ濡れでしたが、屋敷に入るとサヨコ様が魔術で乾かしてくださいました。
屋敷は扉や壁が破壊されています。高価であろう調度品が床に散らばり、歩くのに苦労します。壊れた壁から雨水が入ってきていますが、外よりはマシなようです。
屋敷の中には特に重症の人が運ばれているらしく、床に寝かされている人たちの中には意識のない者もいるのか全身血だらけながら苦しむ様子がない者もいます。
奥様の事ですから、怪我をした平民相手に看護を申し出ているのかもしれませんね。
私達はしばらく部屋の中を見てから、奥様の居所を周囲の人に尋ねて回りました。すると、この屋敷で働いているという男が村長の部屋にいらっしゃることを教えてくれました。
「おかあしゃま!!」
村長の部屋に入ると、エリナ様が奥様を探してキョロキョロされています。
部屋の中では数人が部屋の隅に集まっています。どうやらベットを囲んでいるようです。なにか悪い予感がしますね。
エリナ様が涙声で奥様を呼びますが返事はありません。振り向いた人達の中に奥様はいないようです。
「こちらにバリュッシュ家の奥様が訪ねていらっしゃいませんでしたか?」
私の質問に、ベットの横にいた白髭の小柄な男性が答えてくれた。
「夫人のお知り合いですか?」
「バリュッシュ家の者です」
私の答えに白髭の男性の反応は動揺? 安心? 悲しみ? 表情がコロコロ変わりました。
そして、ベットに視線を移したため、私達もつられてそちらを見ます。周りの人達がベットから少し離れたため寝ている人を確認できました。
「「「奥様!?」」」
「おかあさま!!」
「メアリさん!」
ベットの住人は奥様でした。頭に包帯を巻いています。奥様は意識はあるようですが、ぐったりされています。顔色が真っ青で、お辛いのか表情は苦痛で歪んでいて息も荒いです。
エリナ様はサヨコさんに降ろしてもらい、ベットの上に上半身だけよじ登って奥様を覗きこみました。
「エリナ、良かった。無事、なのね」
奥様は体を起こすことが出来ずにいますが、口調ははっきりしているようです。
「おかあさま、いたいの?」
エリナ様がさらにベットによじ登って、心配そうに奥様に顔を寄せています。もう涙は出ていません。ご自分の事より奥様の体調の方が気にかかるのですね。体についていた血は雨に洗い流されてしまいました。服にはまだあとは残っていますが、今の奥様には見られないでしょうから、エリナ様の様子から奥様が心配されることはなさそうです。
しかし、エリナ様は奥様の様子を見ている内に、みるみる目に涙が溜まってきてしまいました。
「エリナが、もっとちゃんとしていれば、みんなのいのちだってまもれるのに。ごめんなさい」
「どう、したの? エリナ? 私、は大丈夫、よ。心配、させちゃった、わね?」
サヨコ様がエリナ様の背後から手を伸ばして奥様に呪文を唱えました。
「く!? メアリさん、貴方いったい何をしてこんなケガをしたのよ!」
「サ・ヨコさま、申し訳・ありま・・・」
「無理しないでいいわ。低治癒!」
サヨコさまが低位の治療呪文を使用されたようです。しかし、奥様の状態に変化がありません。
「うう、やっぱり、私の治療呪文で治る域を超えているわ」
サヨコさまが辛そうに顔を歪めています。ああ、なんてことでしょう。奥様がこんなことになるなんて。大旦那様になんてお詫びすればよいか分かりません。それにしても一緒にいたはずのメリー先輩はどうされたのでしょう? 奥様を御守り出来ないだけでなく、傍にいないなんて何があったのでしょうか?
エリナ様はしばらく奥様の様子を見てから眉間に皺を寄せました。こんな時に申し訳ないですが、こんなお顔も可愛いですね。
「おかあさま、エリナがなおしてあげる。さいせいちゆ!」
エリナ様が魔術を使われましたが、それは私が聞いたことのない魔術でした。
奥様の全身が一瞬だけ光輝きます。こんな治療魔術見たことありませんよ。呪文から治療魔術であろうことは分かりますが、何なんですか! 私の隣りではサヨコ様も目を見開いて驚かれています。カイセルさんとネイリさんだけは特に気にしている様子がありませんね。魔術を知らないので、今エリナ様が行ったことが異常であると分からないのでしょう。逆にやっぱりエリナちゃんはすごい!とはしゃいで喜んでいます。
回りの村人も魔術には疎いようです。驚いてはいますが、それは治療魔術を見慣れていなかったり、お嬢様のような幼い方が魔術を使われたことに驚かれたのでしょう。
「エリナちゃん! その魔術はいったい何!?」
サヨコ様がエリナの肩に手をかけて質問しますが、エリナ様は奥様をジッと見て振り向きません。
奥様は先ほどと違って、呼吸が安定しています。顔色はまだ悪いですが、先ほどよりも改善したようです。
「エリナ、すごく楽になったわ。ありがとう」
奥様はそうおっしゃると、そのまま目蓋を閉じて眠ってしまわれたようです。その様子を見てエリナ様は驚いて奥様を揺り起こそうとしますが、そばにいた村人の女性がそれを止めて布団に手を入れて奥様の体を触ったり、脈をとったりしています。この方は医療師でしょうか。
「痛みが取れて、眠られたんだわ。そっとしてやってください。ご婦人は、村長の子供を助けるために、崩れてきた屋敷の壁の下敷きになったです。すごい出血と傷で村の治療師では助けられないと思っていたんです。お嬢さんはすごい魔術師様ですね」
奥様は身を挺して子供を助けたのですか。相変わらず子供の事になると見境がなくなるのですね。
「私はこの村の治療師の助手をしている者です。先生は他の方を診に行かれたので私が看病していたんです」
助手の女性は治療しなければいけない患者が急増したため、治療師が奥様についていられなかったことを詫びた。これでも領主夫人に敬意を払って、手が足りない中自分がついていたのだと言う。領主夫人もそれを了承してくれたと。
正確には次期領主夫人ですが、領都ではすでに領主夫人で通っています。
もちろんこんな事態ですから、我々も無茶な要求をするつもりもありません。奥様に付き添っていただいたことに感謝をしました。
「盗賊団に襲われて傷ついたり、火事で火傷をしたものが沢山避難して来ていて、治療が行き届いていないんです。この村の治療師は1人しかいません。治療魔術師はいないんです」
村の中もそうだが、この屋敷の中もかなり混乱しているようです。
「エリナ、ほかのひとたちもたすけてくる!」
助手の女性の話を聞いたエリナ様は、ベットから降りると、駆けだして出て行こうとしました。
「待って! エリナちゃん!」
「エリナ様!」
慌てて私達も後を追います。エリナ様の移動は遅いですので、ほぼ引き離されることはなく、私達は後ろをついて行けます。言いたいことは山ほどありましたが、私もサヨコ様も黙って様子をうかがうことにしました
エリナ様は村長の部屋を出ると、すぐ隣の部屋に入っていきました。村長の屋敷の各部屋には特に酷い重傷者にあてがわれているようです。部屋の中にはベット以外にも、床に毛布が引かれただけの上に横たわっている負傷者が数人いました。その周りには家族なのか知人なのかが看病しているようです。
負傷者の方はどなたも意識が無いようです。皆重度の火傷を負っているのが一目で分かります。通常なら、助かることはないでしょう。
エリナ様はその中の一人に近づいて行きました。
「あ、あの? どなたですか?」
涙で頬を濡らしたまま看病していた女性が気づいて、エリナ様に声を掛けてきます。エリナ様のお姿が平民ではないと気づいたのか、はたまたあまりに現実離れした美しさだったためか、二の句が継げないようです。
「さいせいちゆ」
エリナ様は女性を無視して呪文を唱えました。すると、先ほどと同じように、火傷を負ったその人の全身が一瞬輝くと、次に現れたのは火傷でただれた皮膚ではなく、綺麗な人間の皮膚でした。
「あ、あああ!」
女性はその光景を見て、掌で口を覆い目を見開いて、ただ驚いています。他の負傷者の周りにいた人もその光景に驚いて息をのんでいるようです。
エリナ様は隣りで横たわっている、やはり火傷を負った人に振り返り同じように治療魔術を唱えました。
「さいせいちゆ」
再び部屋の中に光が広がります。後には火傷の形跡がまるでない女性が静かに寝息を立てているだけです。
エリナ様は部屋の中にいる負傷者全員をあっという間に治療してしまわれました。
「あ、貴方様は。貴族様? 治療魔術師様?」
「ありがとうございます! 母を助けていただいて、本当にありがとうございます」
「あああ! お前! 良かった。奇跡だ! 天使様が奇跡を起こしてくださった」
「ありがとう、ありがとう、ありがとう。神よ、この奇跡に感謝いたします」
負傷者の身内と思われる方々が一斉にエリナ様の起こした奇跡に感謝し、涙を流しています。中には手を合わせて拝んでいる方もいますね。
普通なら助からないはずの者をいとも簡単に治療してしまったのですから、その反応は当然でしょう。
しかし、エリナ様は特に返事をすることもなく、治癒した方達をもう一度見て回り、ホッと息を吐いたと思ったら、思いつめたような表情のまま無言で部屋を出ていきました。
エリナ様? なにか先ほどから様子が変です。このままほっておいていいのでしょうか。心配ですが、主人に必要以上に意見するわけにもいかず、黙って後をついて行きます。今の所、体調に問題はなさそうに見えます。しかし、聞いたこともない魔術をあんなに何度も使って大丈夫なのでしょうか。不安になってサヨコ様の方を見ましたが、サヨコ様は眉間に皺を寄せたままエリナ様の後を黙って追っているだけです。魔術の専門家の長が止めないのですから、私には意見することが出来そうにありません。
その後、エリナ様は次々と負傷されて倒れている方々を治療して回りました。火傷だけでなく、捻挫や骨折、中には内臓が破裂していそうな重傷者までいとも簡単に治療していきます。重症であればある程、魔術にかかる時間が長いようですが、それでも瞬く間と言ってよいでしょう。
エリナ様が治療すると、その度に感謝され、中には跪いてまで拝んだり祈ったりしている人もいます。
「エリナちゃん、少し休憩したほうがいいわ。魔力切れになるわよ」
重症と思われる患者を粗方治療し終わる頃になると、エリナ様に辛そうな表情がみられました。するとサヨコ様がエリナ様の肩を掴んで休むように促します。
エリナ様はサヨコ様の忠告を聞くと、その場に座り込んでしまいました。貴族の令嬢としてははしたない行為ですが、仕方ありませんね。かなりお疲れの様です。何しろ、普通なら助からないような負傷者だけで20人近くも治療魔術で治してしまわれたのですから。軽症者を含めるとその倍以上です。信じられない魔力量ですよ。
「エリナ、大丈夫か?」
「はい、エリナちゃん、お水貰ってきたわ」
「ん、ありがと。カイセルくん、ネイリちゃん」
子供たちが気を利かせて水の入ったコップを渡すと、エリナ様は美味しそうにそれを飲み干しました。エリナ様には明らかに疲労の色が見えます。




