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ほんとーーーーーに申し訳ないのですが、1話と3話を間違えて予約してしまっておりました。
本当にすみませんでした。1話は正しい1話に差し替えてありますので、読めてなかった方はそちらご覧ください。。。
16/09/28
水無瀬はダムまで無心で走り、たどり着いて、うずくまる。荒れた息を整えながら、落ち着け、と何度も念じた。
(落ち着け落ち着け落ち着け―――)
こんなことで、くじけていてはいけない。弱いのは、駄目だ。
「嫌い……」
ポツリと呟いたとき、ふわりと頭の上に何かがのった。慰めるように、ぽんと何度か叩かれる。
「何かあったか」
声は、ここ数日で聞きなれた人の声だった。いやがらず、面倒くさがらず、水無瀬の言葉を聴いてくれた、唯一の人の声だった。
「う……うぅうううう……」
「え、泣く? 泣いちゃう? あー、えーと……。まぁいいか、泣け、サク!」
人も妖怪も大嫌いだった。結局は同じものだ。違うからと、ものめずらしいからと、それだけの理由で自分をはじき出す、ひどい奴等だ。水無瀬は思いながら泣いた。ボロボロとボロボロと。大嫌いだ大嫌いだと罵りながら。自分は何もしていない。何もしていないのに。と。
「よしよし」
頭をなでる狐野の手を感じて、でも、と水無瀬は次々と溢れる涙をぬぐいながら思う。狐野のことは好きだった。話を聞いてくれたから。結局、甘えているだけでしかないのだけれど。狐野は、甘えるのを許してくれる人だった。
「ミナセ?」
声に、水無瀬は振り返る。同時に狐野の手が引っ込んだ。
水無瀬の振り返った視線の先には、息を切らした担任の姿があった。思わぬ人物の登場に、水無瀬は瞳を丸くする。
「どうして―――」
はっと気がつく。自分は、学校を飛び出してきてしまったのだ。と、慌てながら考える。学校を抜け出して、こんなところまで来て、泣いていて、年上の男の人が傍らにいて。そんな自分は、いったいどんな風に見えるのだろうかと。
水無瀬の様子に気付いたのか、担任は一歩、水無瀬の方に足を踏み出した。
「なんで泣いて―――。こんなところで、何してる? どうした、何かあったのか?」
言いながら、担任は水無瀬の横に座った。この人こそ何をしているのだろうと、水無瀬は担任を凝視する。そんな水無瀬に気づいているのかどうなのか、あっけらかんと笑う担任の言葉に、水無瀬は耳を疑った。
「一人でいるよりは、いいだろう」
「―――一人?」
掠れた声で呟いて、振り返る。狐野が微笑んでいた。嘘だ、と声をあげずに口を動かす。
「ミナセ? どうし」
「帰って下さい」
担任の言葉を遮って、水無瀬は叫んだ。
「放っておいてください。明日には何事もなかったように。―――どっかいってよ!」
頭に狐野の手が近づく気配に、水無瀬はもう一度叫んだ。耐え切れずに顔を覆う。
水無瀬の狐野にむけた言葉を、自分に向けられたものと勘違いし、担任は戸惑ったように口を開いた。
「……詳しいことは聞かない。でも、」
「帰って下さい。――――――どうして、きたんですか」
知りたくなかったことだって、あったのに。
少しの沈黙の後、遠ざかる足音が聞こえた。水無瀬は振り返る。遠ざかる背中を見て、その背中が視界から消えうせてから、狐野のほうを振り返る。
優しくしてもらった分、言葉を選ぼうと水無瀬は口ごもった。けれど、そんな言葉は一つも出てこなかった。口をついて出てきたのは、陳腐で芝居がかった、けれど率直な罵りだった。
「騙してたのね」
「否定はしないよ」
「あれ、全部嘘だったんでしょう。からかって―――。馬鹿な人間だと笑って―――っ」
本当の笑顔だと思っていた。偽りではなく、優しい笑顔を浮かべる『人』なのだと。
けれど全ては、偽りだったのだ。
「もう、ここにはこない」
「……そう」
「大嫌い」
「―――」
狐野は何も言い返さなかった。依然として、微笑んでいる狐野をみて頭に血が上り、ばっと立ち上がる。しゃがむ狐野を見下ろした。
「何とか言えばいいでしょう。耳障りの言葉を選んで、適当に理由でも作って」
そう言うと、狐野の笑みの質が変わった。淡い笑みを浮かべて、どこか憂いをもつ。
「―――寂しかったんだ」
嘘だ、と水無瀬は首を振った。ダムを離れれば、妖怪などうじゃうじゃといる。
「嘘吐き」
短く罵っても、狐野の表情は変わらなかった。淡く笑って、それでも続ける。
「妖怪の類が見えないのは本当だ。そして、人間は僕が見えない」
いいながら、腰の後ろに下げていた狐の面を、はずした。顔の半分をそれで隠す様子を見て、はは、と水無瀬は乾いた笑いを漏らした。わかりやすくそこにヒントがあったというのに、なぜ気がつかなかったのだろう。
気がつくわけがない。
「貴方、狐なの」
「そうだよ」
「人を化かすのは十八番だものね。良心なんてものもない。私をからかうのは、さぞ楽しかったでしょう」
乾いた笑い声をもらしながらつぶやく水無瀬を見ても、狐野は何も言わなかった。ただ、憂いを帯びた目で、じっと水無瀬を見上げている。何、と投げやりに問いかければ、狐野は口を開いた。
「まだ空狐だった頃、空狐になったばかりの頃。まぬけなことに、人間にさ、命の次に大切な力の玉を盗られた。それ以来、力の大半を失った僕の目は、自分の世界を見ることができなくなった。物の怪のいる世界をね。けれど、他の妖怪には僕の姿が見えるから、奴らはこぞって僕を喰らおうと襲い掛かってきた。取り込んで、力を得ようと。だからここにいた。弱い奴らは、ダムに閉じ込められた物の怪の力によって引きずり込まれていくから。だから、君が毎日のようにここに来てくれて、嬉しかった」
「今更そうやって、作り話で同情を引こうっていうの?」
信じるわけがない。無性に腹が立って、水無瀬は腕を伸ばした。狐野の顔を半分隠している、狐の面。それをひったくり、地面に叩きつける。硬い音に、面が割れたことに気が付く。怯んだけれど、それも一瞬。水無瀬は狐野に背を向けた。
「さよなら」
言い捨てて、水無瀬は走った。ダムから離れて、やっと足を止める。何もかもいやだった。とぼとぼと歩きながら、家に帰る。玄関先に学校の荷物が置いてあり、すぐに担任のしたことだ、と察することができた。
(……変な人だ。あの教師も。お節介だ)
はは、と乾いた笑いを浮かべて、ポケットから鍵を出した。差し込んで、部屋に入る。
涙が乾き、ほてりどこか引きつる頬を押さえて、シャワーを浴びることに決めた。簡単に済ませて、寝巻きに着替える。敷きっぱなしの布団を目にして、小さく息を吐いた。そうすると、涙が出てきそうだった。
(疲れた)
まだ日は出ていたけれど、ぐったりと水無瀬は布団に身を横たえた。眠気はすぐにやってくる。忘れてしまおうと必死だった。狐野のことを。そんな人は最初から、いなかったのだと。そもそも人ではなかったのだから、と。
『まだ、空狐だった頃』
布団の中で思い出して、ノロノロと携帯電話を取り出した。カチカチと操作して、辞書を選ぶ。『クウコ』なんて単語はなかった。次にネットのトップまでいく。検索エンジンに入力。
「……」
無言のまま、検索結果から適当に選び、眺める。
「狐の……すごいの……」
結局わかったのはそれくらいだった。理解不能、とまではいかないけれど、水無瀬はオカルト方面にはあまり明るくない。キーを操作し、視線で言葉をなぞっていく。
「空狐になった狐が三千年生きた、狐の最上級が、天狐?」
彼は、『だった頃』と言った。だから、恐らく、彼は今、空狐の上、狐の中でも最上級の、天狐と言う種類の物の怪なのだとわかった。さらに文を読み進めていけば、「九尾」と言う言葉が出てくる。なるほど、と水無瀬は携帯電話を閉じた。それくらいは耳にしたことがあった。
けれどこんな情報、どこまで本当かはわからない。
携帯電話を握り締めたまま、目を閉じた。
『寂しかったんだ』
狐野の言葉が甦る。しつこいほどに。水無瀬はそれらを無理に振り払おうとはしなかった。ただ、その意味を考える。
頭の中で彼の言葉を思い返し、気付く。思わず、身を起こした。
(三千年、独りだったの)
それがどれほど途方も無い年月か、水無瀬にはわからない。三千年も前からあのダムがあったとは思えない。だから、見えないものを怖れて、逃げて、いろんなところを歩いたのだと想像できた。三千年もの間、彼はそんなことをし続けていたのだと。
嘘だとか、本当だとか、そんなことは考えずに、水無瀬は眠りに落ちながら思った。
(見えない何かに追い掛け回されて。見ることができる人間には気付かれなくて)
手を伸ばしても、届かない。
そんな孤独を、水無瀬は知っていた。
眠りに落ちる。水面に浮かんでいるような感覚の中、波間に揺られて、狐野のことを思った。
(出会ったときに、一番最初に言ってくれたら、怒らなかったのに)
最初から物の怪だと教えてくれれば、きっとこんなに傷つかなかった。
ひどい言葉で、あの、優しい人を傷つけることもなかった。
謝らなければいけない、と、水無瀬は思った。なんであれ、狐野は水無瀬に優しくしてくれたのだ。話を聞いてくれた。そんな存在は、世界中でただ一人、狐野だけだった。
(許してくれるだろうか)
狐野が目の前にいて、反射的に謝った。
いつものように、彼は優しく微笑んだ。
担任が目の前にいて、反射的に謝った。
ありがとうって言え、そして笑うといい。そう言って彼も笑った。
水無瀬に暴言を浴びせた女子は、独りだった。ぽつんと自分の席に座っていた。
「いくらなんでもやりすぎ」「ちょっと怖い」「巻き込まれて怒られるのやだし」
気の毒だとは思ったけれど、慰めるというのは違う気がした。
もう一度、狐野がそばにやってくる。手を伸ばして、彼の手を取った。
その顔を見て、水無瀬はようやく、小さく微笑んだ。