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 好きでこんなものが見えるようになったわけじゃない。

 生まれたときからだ。

 最初は人との区別さえ付かなかった。

 人と、物の怪、別のもので。

 他の人には見えなくて、自分だけが見えているだなんて、思ったことも無かった。

 水無瀬にとって、それらは同じものだった。

「……水無瀬?」

 呼び声に、水無瀬は静かに目を醒ました。頭の鈍痛に、何があったかを思い返す。何が起きたのかは、さっぱりわからない。からかって、追い回して、そして何もせずに解放。そんなこと、水無瀬にとって日常茶飯事と言っていい。小さくため息をついて、水無瀬はゆっくりと身を起こした。

「水無瀬」

 名前を呼ばれ、ハッと顔を上げる。すぐ傍らにいた担任の姿に、思わず何故、と彼女は呟いた。

「先生? どうして―――」

「下校時刻過ぎて、教室に行ったらまだ鞄があった。靴箱に行ってみれば、靴もある。どこに行ったのかと探したら―――だ。何でこんなとこに?」

 ―――私が聞きたい。

 思わずでかかった言葉を飲み込み、水無瀬は辺りを見回す。

 大机が一つ二つ、……六つほどある。壁際には石膏像―――と、ぼんやりとそこまで認識し、水無瀬は呟いた。

「美術室?」

「そうだよ。なんだ、自分できたんじゃないのか?」

「あ、いえ。なんでもないです」

 いぶかしげな顔をする担任に、水無瀬は慌てて首を横に振った。

「私、帰ります。ありがとうございました」

 水無瀬はそう言って、廊下に出ようと扉に駆け寄る。開き、廊下に出ようとしたところへ、担任に声をかけられた。

「道は覚えたのかー?」

「……」

 わかっていて言っているような、笑いを押し殺した声が、少々癇に障った。




「水無瀬は……一人暮らしと聞いたが?」

「それがなんですか」

 校内を歩きながら、水無瀬は担任からの質問攻め、にうんざりした気分で答えていた。

「なんでまた」

 ―――教師という人種は、こうも家の事情をズケズケと聴いてくるものなのだろうか。

 一瞬そう思い、今までの教師陣の顔ぶれを思いだし、その考えを否定した。人それぞれか、と。不自然なほど干渉してこなかった教師もいた。その逆がいても、何もおかしくはない。

「今年の春まで親戚の家にいました」

 血が繋がっているかどうかもよくわからないほど、その家は遠いつながりだったけれど。

「でも、色々あって、その土地に住めなくなって。結局、母の実家があったというこの町で暮らすことに。生活費は、そのうちの人に出してもらっているんですけど」

 これ以上詳しい事情を話す気はなかった。

 前いた土地にいられなくなったのは、当然、妖怪関連だ。妖怪に水無瀬の能力がバレ、目をつけられ、周りに甚大な被害を―――。

 意識的に思考を打ち切った。顔を上げると、気が付けば教室についていた。振り返り、担任に頭を下げ、鞄を背負う。さすがに靴箱までの道は覚えていた。迷わず、学校を出る。

 誰もいない住宅街の小道を、水無瀬は黙々と歩いていた。家までは十五分前後、寄り道せずに帰ろうと思ってはいたが、山を見上げ、ふと狐野と名乗った青年を思い出す。

(……行けば、会えるだろうか)

 ダムまで行けば。山沿いの道路を三十分歩けば。

 思いついてからは早かった。

 あっさりと方向を変え、本来直進するべき道を右に折れる。鞄を背負いなおしながら、坂を上っていった。

 不思議と、足が速くなる。

 気が急いて、我に帰ったときには全力疾走の一歩手前だった。

「は……は……。馬鹿みたい、何で私こんな」

 長く帰宅部だった体は、へなへなとその場に崩れ落ちる。あと数分も歩けば、昨日狐野と出会った場所だけれど、いる保証もない。むしろいない確率の方が高い。

(帰ろうかな……)

 空を仰ぎ、思った矢先。

「 申 し あ げ ま す 。 申 し あ げ ま す 」

「 申 し あ げ ま す 。 申 し あ げ ま す 」

 小さな声が足元から聞こえ、水無瀬はぎくっと空に視線を固定したまま停止した。

「 力 の 強 き お 方 、 こ こ か ら 先 に 行 く の は お 止 め く だ さ い 」

「 大 妖 が お わ し ま す 」 

「 力 の 強 き お 方 」

 それが呼びかけのように聞こえ、水無瀬はゆっくりと視線を落とした。

 足元に、小さな―――折りたたんだ携帯電話ほどの背丈しかない、着物を見に纏った老人が二人、並んで立っていた。

 その姿に警戒を解き、気になる言葉を水無瀬は問いかけた。

「力の強きお方?」

「 そ う で ご ざ い ま す 」

「 力 の 強 い 物 の 怪 に と っ て 」

「 貴 女 様 は よ く 目 立 ち ま す る 」

「目立つ?」

 今日、学校で追い掛け回された原因を考え、水無瀬は口元に手をやった。

「 匂 い で す 」

「 貴 女 様 は 、 香 り を ま と っ て い ま す る 」

「 豊 か な 香 り を 、 ま と っ て い ま す る 」

 水無瀬の問いを先読みして、小さな老人たちは答えた。そうなのか、と水無瀬は肩を下ろした。そんなものがあるのか。

(知らなかった)

 けれど、と顔をあげて小さな老人たちを見やった。

「でも、どうしてそんなことを」

 教えてくれるの。言い切る前に、彼らはサッと消えてしまった。音もなく、声をかける暇もなく、呆然と彼らのいなくなった地面を見て、なにが起きたのかを考える。

 考えようとした。

「あれ、昨日の?」

 頭上からの声に、水無瀬の思考は遮られる。ゆっくりと、顔を上げた。声の主を視界に治め、名を呼ぶ。

「キツノ、さん?」

「なんで座り込んでるの。ほら」

 てらいもなく手を差し出され、ここで躊躇する方が恥ずかしい気がし、水無瀬は無言でその手を取った。引き上げられるようにして立ち、制服のスカートをはたく。

 沈黙。

「水無瀬朔、です」

 ポツリと呟く。ん? と遠くを見ていた狐野が、水無瀬に視線を戻した。

「名前」

「そっか。サクか」

 にっこりとして、狐野は呟く。よろしく、と彼は手を差し出した。

「……はい?」

「? 名乗りあったら握手をするものだと思ったけど」

「……」

 変わった人だ。

 昨日と寸分違わぬ感想に、水無瀬は思わず笑った。

「ふふ……」

 水無瀬が笑っても、狐野は気分を害すこともなかった。

「それで」

 それどころか、さらに微笑みを深くして小首をかしげる。

「さっきは誰と話してたの?」

 水無瀬の表情が、固まった。


「ねぇ、何がいたの?」

「……」

 同じやり取りを数回繰り返し、水無瀬は狐野をじっと見上げた。あくまでも軽く聞いてくる青年を見ていると、言ってしまいそうになる。口が滑りそうに―――。

「昨日も言っていたけど。どうしてそんなことを聴くの」

「俺にも昔、見えていた世界だから」

 え?

 どさっと、水無瀬の肩から鞄がずり落ちた音がした。水無瀬自身はかまわず、狐野を見上げる。

「今は見えなくなってしまった世界だから」

「―――どうして? 何故、見たいの。あんな世界」

 水無瀬は嫌いだった。居場所を奪ったこの能力が、理解のない人間が、こんな能力のある自分が嫌いだった。

「なくなると、寂しいものだよ」

 少女の憤りをなだめるように、狐野はやんわりと言った。

「けれど、気持ちはわかるんだ」

 孤独。

 水無瀬は、あぁと呟いた。あぁ、この人は、知っているのか、と。

 ずるずるとその場に座り込み、顔を覆う。

 わかってくれる人が、いたのか、と。この世に存在しえたのか、と。


 それから水無瀬は、毎日のようにダムへ通った。話を聞いてくれる人の元へ、痛みをわかってくれる人の元へ。

 狐野は自分のことを話さなかった。けれど、水無瀬はそれでかまわなかった。水無瀬自身、自分の全てを語ったりはしなかったし、話を聞いてもらえるだけで充分だった。

 狐野は、水無瀬がいつダムに行ってもそこにいた。真剣に『普段は何をしているの』と聴けば、『俺はいつでもここにいるよ』と、笑えない冗談を返された。

 休日には家に招いたりもした。最初は渋っていた狐野も、水無瀬がお願いと両手を合わせれば苦笑しつつもうなずいてくれた。狐野は、水無瀬の家で、水無瀬の入れたお茶を飲んで、水無瀬の話を聴く。

 そのころの学校での友人関係も、転校直後に比べれば良好だったといえる。特別仲のいい人がいたわけではなかったけれど、目立った軋轢もなかった。


 少なくとも水無瀬は、そう思っていた。


「そういえばそっちのクラスの転校生ってどんなの?」

 トイレの個室の中でそんな外の会話を耳にしたとき、水無瀬の鍵を開けようとしていた手が止まった。

「えー。普通」「良くも悪くも。なんか、楽しくなさそう?」「そういえば友達いるのあの子―?」

 ……いないけれど、作ろうとも思わない。仲良くなったところで、妖怪関連の問題に巻き込むだけだ。

「話しかけても愛想笑いばっかだし」「最近、あの人帰るの早いよねー」

 うるさい。

「そうそう、声かける暇もなくっていうか」「そんなに学校嫌いかっつーの」

 だよね、まさか、と笑い声が響く。無邪気な笑い声が響く。

「そーそー、協調性ないって言うか、あたしらなんかとはつるんでられませんって態度がムカつくー」

 刹那

「ねぇッ?」

 ダンッ!

 最後の言葉と同時に個室の扉が震え、けたたましい音が鳴り響いた。

「聴いてんの?」

 反射的に頭を抱えた状態のまま、水無瀬は呆然と目の前の扉を見返した。

(え?)

 しん、と静まり返ったトイレ。

 しばらくして、ようやく一人の女子が声を発する。

「な、何してんの? 全然別の子が入ってたら―――」

「いるのはわかってる。ちゃんと見てたから。―――て言うか、あんたさぁ」

 ダンッ、ダンッ、ダンッ、と何度も扉を蹴りつけられた。響く音、揺れる扉を前に、水無瀬は壁際で身を硬くしているしかない。嵐が過ぎるのを待つように、ただじっと、息を殺して。

「なんでこんな田舎に来たの?」

「ちょっと、やめなって」

「一人暮らしって聞いたけど本当?」

「先生にチクられたらどうすんの、わたし関係ないからね」

「どうせ、この子、あたしらの声聞いたって誰かわかんないよ。ねぇ?」

 そのとおりだった。この声のうちの何人が同じクラスなのか、水無瀬にはわからない。

 けれど、こんな風に詰め寄られるいわれはなかった。鬱憤の捌け口にされる理由は。

「っ」

 鍵を開けると同時に、個室から飛び出す。視界の隅に、ホースを取り出していた女子の影が見えたが、振り返らずに走った。何をされそうになっていたか考えて、ぞっとする。階段を下りて、靴を履き替えて、学校を飛び出す。

 あんな人たちと同じ空間にい続けるなんて考えられなかった。

 目指す場所は、ひとつしかなかった。


 窓の外を走る、見知った女子生徒の姿に、目を丸くする。

「……水無瀬?」

 筆を置いて立ち上がり、エプロンを脱いだ。窓から直に、外に出る。


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