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 突然、彼女は現われた。人気がないからと油断していたから余計に。彼女の出現には心底驚いた。

 その上、こちらを見ている目が、ひどく新鮮で、どこか嬉しくて。

 じっと見返す。

 戸惑ったように見返してくる目に、浮かれた。

「―――」

 沈黙。

 苦笑して、問いかける。

「何?」

「いえ、何も…………。―――っ!」

 冷静に顔を逸らして言ったかと思えば、どこかを見て彼女はびくりと肩を震わせた。視線を逸らさず、硬直したように動かない。無言で、彼女の視線を追った。何もない。戻す。

 まだ視線を向けたままの彼女をじっと見つめて、首をかしげて、問いかけた。

「そこに、何かいるの?」

 何もない。ここにあるのは、彼女と、山と、大きなダムだけ。パッと彼女はこちらを向いた。

「え、いや」

 言いかけ、けれど彼女は戸惑い、視線を逸らす。何もない、と即答すればいいのにもかかわらず。

「何か、見える?」

「そんなこと」

「何が見える?」

「―――」

 そうして重ねていくと、とうとう彼女は黙りこんでしまった。

(申し訳ないことをしてしまった)

 見えないものが見えるなど、人はそう簡単に人には言えない。言えるはずがない。

 異形だと知られてしまう。同じ姿をしていても、魂が異形なのだと知られてしまう。

 けれど、知りたかった。彼女は何を見ているのか。彼女には何が見えているのか。知らない世界を、見ることのできない世界をただ知りたかった。

「変なことをきいてごめん。けれど、君の見ている世界には興味がある」

 正直に告げれば、ゆっくりと彼女は顔を上げた。伺うように、こちらを見てくる。

 だから続けた。彼女が、言葉を待っているような気がしたから。

「僕はキツノ。―――気が向いたらでいいんだ。君の見ている世界を、教えて欲しい」

 ゆっくりと、問いかけた。手に取るように、彼女の願っている言葉が口を突いて出てきた。


「君の名は?」


 眠る前、布団の中で考える。

 変わった人に出会った。

 清潔そうなシャツに、ジーパンをはいて、どこにどう引っ掛けているのか、縁日で見かけるような狐のお面を、腰の後ろに下げていた。

 不思議な人。

 けれど、その言葉は温かかった。変わった人ではあったけれど、不思議といやな感じはしなかった。

(初めてだわ。あんなことを、言われたの)

 この土地に来てから、見えることを誰かに言ったことは無かった。

 前の土地でも、その前の土地でも、口にしたり、ばれたりして、ひどい目にあったから。

 何がそうで何がそうではないか、ようやくわかる頃には、一人きりになってしまったけれど。

 それからずっと、見ないフリをしていた。見えることを、どちらにも、気付かれないように。

 決めたのだ。次に土地を離れることがあって、新しい土地に行く時に。

 言わないと決めた。誰にも言わないと決めた。


 妖怪の類が見えることは、誰にも言わないと決めた。


 それなのに。

 思い出して、小さくため息をつく。何故あの人にはばれてしまったのだろうかと。

(そんなに不信なことをしてしまったかしら)

 確かに、声をかけられたと同時に、小岩ほどの大きさの一つ目鬼が、すぐ脇に落ちてきたときは驚いてしまったけれど。

(あの一度で、ばれたのは何故?)

 再度、小さくため息をつく。それほど自分はわかりやすいのだ、と。元来隠し事には向かない性格だとつくづく気付かされてはいたが、さすがに落ち込むこともある。

 目を閉じて、うずくまる。

(きっと、もう会うことも無い)

 狐野と名乗った、不思議な人と会った場所へは、人気のない場所を求めて歩いていった。

 家のことを自分一人でやることにも、慣れない学校生活で愛嬌を振り撒くのにも、疲れてしまっていた。

 この町は田舎で、山がすぐ傍に迫っていて、山の傍を歩いていくと、大きなダムに行き着いた。

 ひとつ村をなくして作ったというダム。水の底はさすがに見えなかったけれど、そういう辺りは、見えるものが少なかったから好きだった。

 妖怪の類は、住処に水を湛えられるとそれが蓋の代わりとなって出られなくなると聴く。

(だからかしら)

 そこで、狐野と出会った。

(少し年上のようだった。背が高くて、影が薄そうで)

 そこまで考えて、小さく笑う。失礼か、と呟いて。

 今度こそ、眠ろうという意識を強めた。

『君の名は?』

 そうだ、名前を聞かれた。

 そんなことを聞かれたのは初めてで、驚いて、名乗りもせずに逃げてしまったけれど。

(あぁ、どうして私―――)

『サクです。水無瀬朔』

 そう、すぐに答えることができなかったのだろう。




 玄関先で靴を履いて、水無瀬は家のほうを振り返った。

「いってきます」

 誰もいない家に向かって。

 朝。

 水無瀬は、いつもと変わらぬ日常を生きる。

 間近で起きている非日常を、見ないフリをして。


「水無瀬」

 終礼のあと、名前を呼ばれて水無瀬は振り返った。クラスメイトを前にして考える。名前はなんだったか。

「進路のプリント、もう集めて先生に出しちゃった?」

「まだ。確か枚数足りなくて―――。そう、笹木さん。あなたのが出ていない」

「うん。忘れていたから。はい、これ」

 悪びれもせずに呟いて、笹木はプリントを差し出した。水無瀬は黙って受け取り、プリントの束にくわえて教室を出る。

 まるで迷路のような校舎だった。

 窓の外には山の緑が迫っていて、廊下の外の景色はまるで変わらない。変わらない風景のおかげで、時折ここが何階なのかわからなくなる。それでも、視界に映る妖怪の顔ぶれは変わっていった。それだけが、道しるべのようだった。別の場所であると言うことには自信がもてる。

(……と言うことは私、彼らがいないと確実に校内で迷子になる?)

 思い至って、少し落ち込む。

 不安な足取りで、担任のいる美術教官室を目指す。行き着いた場所は、ひっそりと人気がなかった。

「この臭い、なんだろ」

 眉をしかめて、口に出す。妙な臭いがする。校内であるから、有害なものではないと思うけれど。この臭いは何だろう。

「嗅いだこと、ある感じなんだけど」

 教官室の扉の前に立ち、担任がいなかったらどうしようと思いつつ息を吐いた。扉を軽く叩く。返事を待たずに、扉を開いた。

「先生、進路のプリント―――」

「あぁ、入って、そこにおいといて」

 振り向きもせずに言った担任は、キャンバスに向かって絵を描いていた。

(こんな若かったかな)

 水無瀬は担任の後姿を見ながら、小さく首をかしげた。あまり人に対して注意する性格ではなかったが、改めてみると意外すぎるほど若い。恐らく、大学を卒業したばかりの新任だろう。それなのに、どこか貫禄があって、かみ合わない。面白い。

 担任は、ひょいと振り返った。眼鏡をかけた顔が、人の良さそうな笑みに彩られる。

「あぁ、転校生の水無瀬だったか―――。……? この仕事、クラス委員のだろう」

「まだ、学校に慣れてないと言うことで」

「体よく押し付けられたか、ご苦労さん」

 あまりにも軽く笑うので、水無瀬も合わせるように笑った。何が面白いのだろうと内心で首を捻りながら。

「ところで先生」

 担任が聞く体制になっていたのをいいことに、水無瀬は辺りを見回していった。

「この臭い、なんですか?」

「美術室でそれを聴くか」

 苦笑を返され、知るわけないだろう、と水無瀬は曖昧に微笑む。それで、なんです? と言うように。

「これはテレピン油のにおいだよ」

「てれぴんゆ……」

 頭の中の語彙に見当たらず、水無瀬は困惑顔でその言葉を繰り返した。松ヤニの臭いに似ているだろう、いい匂いだろう、と言われ、さらに困惑する。どこかでかいだことがあると思えば、山でかぐ森の中のにおいに似ていたのだ。気付いて、水無瀬は、そうですか。と失礼にならない程度に軽く肯定した。

「こんな田舎の学校だと、美術をとる生徒も少なくてなぁ。暇な時間はいつもこうして絵を描いてる。だからこの臭いは常にある。そうすると、この臭いが苦手な生徒はさらに寄り付かなくなり、美術選択者が減ると言うわけだ。美術部もずいぶん前に無くなってしまったらしいし」

 暇でしょうがない。その言葉に、水無瀬は首をかしげる。

(この人、うちのクラスの担任、なはず?)

 担任を受け持つというのは、それ相応にやることがあるのではと思った。けれど、こうして笑っている担任の姿を見ると、怠慢をしているのではないかという疑惑が出てくる。

(……関係ないか、私には)

 深く追求することはせずに、水無瀬は視線を動かした。担任の奥の光景に目が留まる。へぇ。と、小さく。気付かれないほど小さく、水無瀬は目を見開いた。担任の向こうにあるキャンバスを見て、そこに描かれている世界を見て。

「先生、これは?」

 視線で示して、水無瀬が問いかけると、担任はあぁ、とキャンバスを振り返る。

「趣味で描いているものだよ」

 その答えに、水無瀬はまた驚いた。これほど上手いのに、趣味と言ってしまえる辺り羨ましい。

「それに、気味が悪いだろう?」

 え、と水無瀬はキャンバスをよく見る。普通の風景画だ。ここの窓から見える外の風景。何も、不信なところは―――。

 寸分違わず、同じものが二つ、そこに存在しているように見える。それこそ、遠くから見れば写真のように。

「わからないかい?」

 担任はそう微笑み、絵の中の空を指差す。示されても、水無瀬にはわからなかった。外の空を見上げる。同じだ。

「こんな異形の形をした雲、空にはないだろう」

 水無瀬の身体が、凍りつく。ゆっくり空を見上げれば、そこには雲があった。小さな鬼が何人も集まっている、一般的に考えれば不思議な形をした雲。キャンバスに視線を移す。同じものがそこに描かれていた。

「本当ですね。気が付かなかった」

 そう言って、水無瀬は微笑んだ。動揺を誤魔化すために。それでは、と身を翻した。

「がんばれよ、委員長」

「はい。失礼しました」

 言って、外に出る。

 先ほどの担任の絵を思い出しながら歩いた。

(あれはなんだったのだろう。先生は、本当に見えていなかった?)

 敏感な人がいると聴く。それとも、あの絵を描いているのを見て、物の怪たちが面白がって似せたのだろうか。

 そちらのほうがありえる気がした。

「 あ ぁ 、 う ま そ う な に お い が す る 」

 声に驚いて、振り返る。

「 聞 こ え る の か 」

 水無瀬はあたりをみまわした。ここはどこだろう。

「 そ う か 、 こ の 声 が 聞 こ え る な 」

 瞬間、しまった、と水無瀬は顔色を変えた。振り返るべきではなかったのだ。廊下の角から、現れる影がある。

 水無瀬は何も聞かなかったフリをした。身体を反転して、歩き始める。既に現在地はわからなくなっていた。なれない校舎で、考え事をしながら歩き回るべきではなかった。ここは、あれらの類がわんさかといる田舎なのだと言うことを、失念していた。

 振り返らずに、走り出す。教室まで戻ろうとして、けれど道がわからずに当てもなく校内を走り回った。

 つかまったら、どうなるかわからない。今までは何度か無事だった。けれど、次の瞬間には―――。何をするかわからない。あれらは、日々を面白おかしく過ごすためだけに活動している存在だ。

(何でこんなに広いのっ)

 田舎の学校であるこの高校は、当然、都会に比べ在校生の数は少ない。けれど、渡り廊下で繋がった旧校舎や、クラブ棟があった。土地だけはあるからか、学校全体の面積も広い。

 音はどこからも聞こえない。自分の足音も聞こえないことに水無瀬が気づき、驚愕に足を止めた。その時、足元を中心にして、広がるように、一瞬で人一人を取り込めるほどの大きさの丸い円ができあがる。

「―――」

 水無瀬の悲鳴はその場に響くことなく、変わらぬ静寂がその場に残った。


2009/1/16 執筆

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