ほんの少しの忘れ物
気まずい。
今目の前にいる人間は確かに俺が殺した筈で、何故か立ってこちらを見ている。
見間違いかと思ったが違う。人間の胸には俺が突き破って出た跡がある。俺達ウイルスは宿主の細胞を変換して増殖するし、主に変換する所が肺や心臓の細胞だから出て来る時には致命傷になって死ぬ筈なのだ。
謝ればいいのか? 何を今更ということではあるが、俺は最後まで人間を殺すことには抵抗があった訳で、少しくらいはそうする権利はあると思う。
でも人間がどう思っているかが問題である。今までたくさん殺してきているから謝ったとしても許してくれることはないと思っている。
じゃあこの場から逃げたらいいのかとも考えたが、それでは俺が後悔する。目の前の人間は俺の心の中の亡霊のような存在だ。
それが今生きてこうして立っている。ケジメはどうにかしてつけとかなければいけない。
いろいろと考えていると人間のほうから話しかけてきてくれた。
「次はこの星とか。でもね、私が生きているからには侵略なんてさせない!」
言いながら人間はファイティングポーズになって、俺に突進してくる。
「ち、違う! 俺はそんなこと考えてない」
慌てて侵略について否定する。誓ったんだ。この世界で人助けをすると。
「他人の身体を乗っ取ってとか、説得力なんかない!」
人間の拳の連撃をヒラヒラとかわしていく。気のせいかスローモーションで次にどこへ来るかまで分かってしまう。前の世界ではこんなことはなかったのに。
「いやこれは事故でこうなったんだ! 決して自分からはやってない!」
人間は疲れてきたのか呼吸が激しくなってきた。
「はぁ、はぁ、じゃあ、証拠、見せるとか、ある、じゃない!」
前の世界の人間ってここまで脆弱だったけ? 飛んで回し蹴りとか普通にやっていたような。
「あの、大丈夫? 少し休んだほうが……」
ついには力尽きて倒れ伏してしまった。本当に大丈夫だろうか。
「や、やす、む。ちょ、何、これ。すご……疲……。ぜえ……ぜえ」
余り大丈夫じゃなさそうなので俺は慌てる。
「み、水持ってくる」
船の中に水を探しに入っていった。
「大丈夫か?」
俺は人間を抱き起こして、片手でペットボトルに入っている水を飲ませる。
人間は気難しい顔をしながら、口に入った水を飲み込んでいく。
しばらくして、もう十分なのか、口を閉じて水を拒否する。
「た、助けてもらったとか、思ってないからね! か、勘違いとかしないでよね!」
よく分からないが俺は困っている人間に対して当然のことをしたまでで。
「うん。じゃあ落ち着いたら、俺はやってないっていう証拠見に行くか? こっちとしては何時までもこの関係じゃ辛いからなぁ」
「行く。その代わり私のことを運ぶとかしてよ」
人間は俺と顔を合わせずに返答した。
やっぱり証拠見せるまで気まずいよなぁ。
抱き起こしている手はそのままに、もう片方の手は膝裏に回して人間を持ち上げた。
「ふぃぎあああああ!!!」
なんかその瞬間大声を発してこっちを見てから気絶した。
どこか痛かったのだろうか? 謝りながら背負う持ち上げ方に切り替える。
「ふ、ふうん」
人間は顔を赤らめながらどこか納得したようだ。
説明している間、ずっと顔が真っ赤だったので何かやってしまったのかと心配になって声をかける。
「本当に大丈夫か? なんなら俺がまた背負って船まで運ぶから。そこで休もう」
すると人間は震えながらますます顔が赤くなっていく。本当に大丈夫だろうか?
「だ、大丈夫。今度は自分で帰れるから」
「そうか。俺はこれを回収するために来たからもう帰るぞ」
そう前の身体を回収しにきたのだ。ウイルスは何かに感染した時点でそれまでの身体は灰のように崩れる。放置したままだとそこからまた感染者が増える。俺はこれ以上感染者を増やしたくないからこうして回収する。俺がこの体になった時に回収出来れば良かったのだが崩れるので何かは必要なわけで、船から袋とスコップを持ってきた。
「私も帰る。信用するって決めた。要するにもう殺そうとかって気はないのね」
「うん。俺はこれから人助けをしていくよ」
「いいじゃないそういうのとか。私も着いてく。まだ完全には信用できてないし。見張りとかの意味で」
「じゃあこれからよろしく」
二人並んで少ししゃべりながら船まで帰った。
船に帰ると、自分達の頭の上に表示されている名前の話題になった。すっかり忘れていたがいったいなんなのだろうか。
「これって何かな。この世界はもしかしてゲームの世界とか?」
最初に切り出したのは彼女のほう。
帰り道の途中で話していて、一緒に旅をするのだと思うと人間では失礼だと考えて、心の中で彼女と呼ぶことにした。
「ゲーム?」
自分の中にある知識から、ボードで対戦するゲーム、体を動かして点を取り合うゲーム、機械の画面の中で遊ぶゲームが浮かんできた。
それらから自分の頭上に名前があるのは画面中でやるゲームだろうか。そのゲームにもいろいろな種類があって細かくは分からない。
「ああ、分からないか。これ話すとややこしくなるから後でね。要するに異世界にやってきたのよ」
俺達は船の出入り口に座り込んで話しているのだが、彼女は興奮している。
それと船の出入り口は外からは開かないようにしたが、中からは軽く開く。中に閉じ込められないように安全装置があるからだ。逆に言うとこの出入り口はもう壊れて開閉できない。
「異世界っていうと、宇宙空間ですら繋がってないという別の世界のことか?」
「そういうこと。ここは私たちの知らない世界。まさかこんなことが起きるなんてね」
彼女はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
それを見ると、何だか胸が苦しくなってきた。
ふいに船の奥から物音が聞こえてきた。動物の足音のようだ。
「ねぇ、制御室に何かいない?」
制御室、何かを忘れているような。
しばらくすると犬、それも俺の背丈に迫るほどの大きさのが船の中から出てきた。
「忘れてた」
制御室に有る俺の前の前の身体の存在を。
巨大な犬の目は光を失ったように黒く染まっていたのだ。
「忘れてたじゃ済まないでしょ。感染してるじゃない」
俺は感染した犬に対してすまんと謝る。
感染すると言っても、同じ身体からはニ体も同じ個体は感染しないのだ。人間にも個体差があるようにウイルスにも個体差がある。俺はニ体も生まれないということだ。
だからこいつは俺とは違う。しかも初めて主導権を握ろうと、感染するのが獣のような知能が低い存在だった場合、そのウイルスの知能もそれと同じになってしまう。
テレパシーなどで意識疎通を図ろうとしても無駄だ。前の世界で実証済みである。
動き出そうとすると、犬が吠えた。ただの威嚇だった筈。
俺達の体が何かに縫い付けられたように動かなくなった。
犬は隙を逃さずに脇を走り抜けて行く。
「逃げちゃったじゃない。早く追わなきゃ!」
彼女が追おうとするのを俺は止めた。
「犬は俺が追う。君は制御室にある残骸をかたずけてくれ! 今みたいなことが起きないように」
早口で言い終えると俺は急いで犬の後を追いかける。
「絶対に仕留めてきなさいよ!」
後ろから彼女の大きな応援が響いてきた。