夢
毎日、毎日夢を見る。ひどい夢だ。
しかし、夢の内容のほとんどは、起きると忘れてしまっている。
ひどい夢だった事。それだけは確かに覚えている。
何か大切な事を見た気がするのに、それが何なのかわからない。
そのせいで、僕は日に日にやつれていった。
ひどい毎日が続いていた。
俺のそんな心境に構わず、日常は過ぎていく。
そんなある日、俺は大学の講堂で布良とあっていた。
「秋月、疲れてるみたいだけど大丈夫か」
布良がそう聞いてくる。
「ああ、最近夢を見るんだ。ひどい夢だったけど、内容が思い出せない。そのくせ毎日、同じ夢を見るんだ」
布良は黙って聞いてくる。馬鹿にすること無く聞いてくれる。
それだけで、少しだけ安心する。何と女々しいことだ。
黙って聞いてくれていた布良が口を開く。
「夢日記、夢日記を書いてみたらどうだ」
「夢日記?」
布良の話はこうだ。
朝、起きてすぐに夢の内容を書くことで、夢の内容を思い出せるようにする。そして、最終的にその夢を夢と理解して、明晰夢にしちまえば簡単だ。明晰夢にできれば、恐怖の原因も取り除けるだろ。
なるほど、明晰夢か。確かに明晰夢にできてしまえば、悩むことももうないだろう。
「それでダメだったら、また何か考えてやるよ」
素直にありがたいと思った。
もはや心配することもない。
この時はそんな風にこの事を考えていた。
11月23日
暗い世界に居た。周りの景色は見たことも景色。非対称な建築物が天までそびえ立っている。それを見ているといつの間にか、それが目の前に迫って来て、視界がそれだけになる。遠くで聞いたこともない声が聞こえた。
11月24日
今日も暗い世界にいた。この前より景色が鮮明に見えた気がした。どうやら、街の中だったらしい。廃墟という方が正しい。その中で巨大な建築物があって、いつの間にか目の前に迫って来て、視界がそれだけになる。そして、やっぱり遠くで声が聞こえてきた。
日記に書いてみると、夢なんてこんな物だった。
もしかしたら、まだ他になにか見ているのかもしれないけど、覚えているのはこれだけだった。
何をそんなに怯えることがあったのか。
何でこんな物に、そこまで悩んでいたのか。
こんなことなら布良に相談することもなかったな。心配させちゃったし。
今度、布良に何かお礼してやるか。
「で、どんな夢を見てたんだ?」
布良がそう聞いてくる。
あれ、何時から布良がいたんだ。思い出せない。
それに何で、講堂に居るんだ。
「なんだよ、聞いてなかったのか? まだ、疲れてるのか」
「ああ、そうみたいだ。で、何の話だっけ?」
布良が呆れた風にため息をつく。
少し悪い気がした。
「だから、夢の話だよ」
そういえば、そんな話もしていた気がする。
俺の夢の話を聞いて面白いんだろうか。
「俺は、暗い世界の中にいたんだよ」
「いきなり始まったな」
布良はニヤニヤしながらも、俺の話を聞いてくれた。
俺は布良に夢の話を包み隠さず、全て話した。
「聞く限りじゃそんな怖そうじゃないな」
「そうなんだよ、俺も何であんなに不安だったのかわからないんだよ」
不思議だな。と、布良は言う。
俺もそう思う。
「で、明晰夢にできそうか?」
そんな話もあったな。どうだろ、できるんだろうか。別にできなくても良いんだが。
「もうちょっと、夢日記頑張ってみろよ。期待してるぞ」
「勝手にしてろよ」
布良の奴、人ごとだと思って楽しんでやがる。
とは言っても。俺も少しは明晰夢に興味があるし。
ため息が出る。
「よし、それじゃあ行こうか」
布良が突然切り出す。どこに行くんだよ。
「ご飯奢ってくれるんだろ」
俺はそんなことも言っていたのか。
12月1日
あの暗い街の中を歩くことができた。どの建物も廃墟だった。とことどころに人が住んでいた気配もあった、しかし誰もいなかった。今回はあの建物を見ることはなかった。代わりに悲鳴のような鳴き声が聞こえた。
12月2日
今日も色々なところを歩き回った。しかし、どこを見ても廃墟、廃墟、廃墟。しかし、この町並みは何処か見覚えがあった。どこだろう、もっと鮮明に夢を覚えていればわかるかもしれないのに。やはり、あの悲鳴が聞こえた。今日の悲鳴は何時もより大きく聞こえた気がする。
「で、夢の続きを教えてくれよ」
またコレだ。気がついたら米良と一緒にいる。
最近、意識が飛んでいることが多いな。夢で悩むこともなくなったのに。
「街の中を歩けるようになったんだ」
「それって明晰夢か? やったじゃん」
やったんだろうか。
それにあれは、本当に明晰夢だったのか?
「明晰夢だったのかな、あんまり自由にできる感じじゃなかった」
「なんか、期待はずれだな」
布良はがっかりしたと肩をすくめてみせる。
「秋月が成功したら俺もやるつもりだったのに」
結局、俺は実験台だったのか。
「それにしても、何で同じ夢ばかり見るんだろう」
布良が考えた顔をする。
布良のこういう所は頼りになる。なんだかんだ言っても友達を思ってくれている。
しかし、だからと言って、求めた答えが返ってくる訳でない。
「わからないや」
布良は申し訳そうに言う。
少し期待した俺が馬鹿だったのか。
「そんな、がっかりするなよ。俺は精神科じゃないんだぞ」
「精神科に聞きに行くのは嫌だな。俺が狂ってるみたいじゃないか」
「本当そうだな」
布良は笑っていう。
よく見る布良の表情。それなのに今日の布良の顔は、何故か直視できなかった。
布良の表情が怖い。
「それじゃあ行こうか」
「行くって何処に?」
布良が笑う。あの不吉な笑顔で、ニタリと笑う。
目の前の視界が歪む。布良の顔が醜く歪む。
視界が暗転、意識が暗転。
上下と左右、前後が全部が滅茶苦茶になる感覚。上が右、右が前、前が左、感覚が過敏になる。
今起こっていることに頭が付いていかない。
意識が元に戻ったとき、見たこともな場所に立っていた。
ここは、何処だ。
何で、俺は廃墟の中に立ってるんだ。
さっきまで、布良と講堂に居たはずなのに。
「布良は何処だ」
そうだ、布良がどこかにいるはず、布良を探そう。
布良なら何でこんな所にいるか知ってるはずだ。
そうだ、布良を見つければいいんだ。
廃墟の奥に進んでいく。どこかで、見たことのある光景が続くが思い出せない。
見覚えのある光景。何度も何度も見たことがある気がする。
どこで見たのかが思い出せない。
大切なことだった気がするのに。モヤモヤとした物が胸の中残る。
廃墟の中を歩き回ってから、どれくらいたっただろう。どこか遠くで叫び声が聞こえた。
これまで聞いたことのないような声。低く、何千匹もの獣が一斉に唸り声を上げたような、大地を震わせ、骨をきしませる、恐ろしい声。
聞いただけで、悲鳴をあげそうになる。
何か良くないものがいる。何がいるのか分からないが此処から早く逃げ出したい。
どこに居るんだよ布良のやつ。
その時後ろで何か巨大なものが動く気配がした。
振り向けない、振り向けない、絶対に振り向けない。
何かいる、恐ろしいものがいる。
何故か目から涙が流れる。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
こんな所で死にたくない。
後ろに居る何かが近づいてくる。
それに追いつかれないように走って逃げる。
それは、どんどん迫ってくる。
左足に鋭い痛みが走る。
何で、こんな時に。
もう逃げれない。
もうだめだ、何でこんな事になるんだ。
後ろから、それが吠える。
鼓膜が割るほどの、膨大な質量を持った叫び声。
俺はその叫び声を聞いて気を失った。
「疲れが溜まってたんだと思います」
「そうですか、有難うございます」
「いえいえ、これが仕事ですから」
顔の上から、布良と女性の声が聞こえる。
声の感じから俺を心配してくれてるとわかる。
悪い夢を見ていた気がする。
「お、目が覚めたか? 突然倒れて驚いたんだぞ」
そうか、俺は倒れたのか。という事は、此処は保健室とかだろう。
倒れた時の事を思い出そうと記憶を辿っていく。
確か、布良と話していたら、突然気分が悪くなって……。
いいや、あれは気分が悪くなったとか、そんな生易しいものじゃなかった気がする。
あの倒れる前に感じた、意識が揺れるような感覚はなんだったんだろう。
思い出しただけでも吐き気がする。
「顔色が悪いな、まだ寝てたほうが良いんじゃないか?」
「もう大丈夫だ、今日はもう帰るよ」
俺は、ベッドから立ち上がる。
その瞬間、左足に鋭い痛みが走る。
いつの間に脚を挫いたんだろう、気を失った時だろか今の今まで気がつかなかった。
「大丈夫か、立てるか」
布良が手を貸してくれる。
しかし、思わずその手を払ってしまう。何でこんな事をしたのか分からないが無意識にその手を取ることを躊躇してしまう。
その行為に布良が少し驚いた顔をする。
「ああそうか、俺は先に帰るからまたな」
怒っているのか、悲しんでるのかよくわからない。もっと他の事を考えてるのかもしれない。
それにしても、何であんな事をしてしまったのか、全くわからない。自分が変わってしまったような感覚。
今日は帰って休もう。きっと疲れてるんだ。
疲れてるから悪いことが起こる。そうに違いない。
僕が、ベッドから出て。部屋から出た。
「お大事に」
後ろから、女性の声が聞こえた。
12月10日
今日も同じ夢、ただ夢の内容がどんどんハッキリしてきた。今日も俺は廃墟の中を逃げ惑う。大きな建物だと思っていたものは、どうやら生き物だったようだ。そして、俺はそれに追われている。夢を見る事にそいつは、どんどん近づいてくる。一昨日よりも、昨日よりも、近づいてくる。もうすぐ俺は捕まるんだろう。そうしたらどうなるのか。もうこんな夢は見たくない。怖い。何で、同じ夢ばかり見るんだ。
寝たらきっとあの夢を見る。
きっと次に夢を見たら、あれに捕まるんだろう。そうしたらどうなるのか……。
考えるだけで恐ろしい。
そろそろ、眠気も限界に近づいてきた。
寝たくない、寝たらきっと死ぬんだ。
俺はベッドの上で膝を抱えガタガタと震えていた。
寝れない、寝たらきっと死ぬから。
ブーーーン。
バイブの鈍い音。
その音に体がびくりと跳ねる。
誰からだろう、こんな時間にこんなタイミングに。
ディスプレイを確認する。そこには布良の文字があった。
布良か、こんな時間に何だろう。でも、こっちにはちょうど良い。
適当に話もすれば眠気も飛ぶだろう。
「どうしたんだ、こんな時間に。全く迷惑なやつだな」
安心して、思わず軽口が出てしまう。
「まだ、寝てなかったんだな」
「ああ眠れなくてな、もう今日は寝ないつもりだ」
夢が怖いから寝れませんなんて、口が避けても言えない。
「おいおい、体に悪いぞ。早く寝ろよ」
「人のこと言えるのかよ。お前も起きてるじゃねえか」
「俺はどうでも良いんだよ。最近、秋月疲れてるんだろ、だから寝ろよ」
何で、こいつはこんな俺を寝かせたいんだよ。
それより、電話からの音のせいか、いつもの布良の声じゃない気がする。
なんて言うか、いつよりもっと低くて、体にねっとりと纏わり付いてくる。蛇みたいな声。
何で、こんな風に聞こえたのか自分でも分からない。
神経が過敏になってるせいか、電話越しで布良の顔が見れないせいか。
どちらにしろ、このまま電話を続けられそうにない。
「ごめんやっぱり眠いから寝るよ」
「おう、それがいいよ。お休み」
「うん、おやすみ」
そう言って、俺は電話を切った。
けれど、もちろん寝るつもりはない。
これからどうやって時間を潰そうか。
考えてる間、時計の音だけがやけに大きく聞こえる。
コチ、コチと一定のリズムで乱れることなく、部屋に響く。
本でも読むか。
俺が本棚の本に手を伸ばすと、突然携帯が音を立てる。
確かめるまでもない、また布良からだ。
言い忘れたことがあるのか、とかそんな悠長な事を考えることは出来なかった。
電話を取りたくなかった。
なんで、俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ。
情けなくも目から涙が出てくる。もう嫌だ。
俺は携帯を衝動に任せて、壁に投げつけた。
すると、携帯は鳴るのを止めた。
壊れたんだろう、それでよかった。壊れてくれれば悩まなくってすむ。
携帯なら、また買えばいい。
後は寝ないで朝を迎えることができれば……。
出来るだけ、壊れた携帯を見ないように蹲る。
寝ないように、寝ないように、すれば……。
早く朝になって欲しい。
朝になれば、朝になれば、きっと大丈夫。
根拠はないけど、そんな気がする。願望とかそういう物かもしれないが、今はその考えにすがりたい。
「ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ」
その笑い声は壊れた携帯から響いた。
「なんで、出てくれないんだよ。寂しいだろ。ほら、もう疲れてるんだから寝なよ。寝れば良いんだよ。ほら、俺がついててやるから」
もう嫌だ。
なんで、なんで、なんで、携帯は壊れた。音は鳴らないはず。なんで布良の声が聞こえるんだ。
俺は携帯に近づく。
俺の動きが向こう側に繋がったのか、布良の態度が変わる。
「話してくれる気になったか? 寂しかったんだぞ。ほら、早く寝ようよ」
俺は、躊躇うことなく、地面に転がる携帯を踏みつけた。
何度も、何度も。携帯から音が鳴り止むまで、踏みつけた。
しかし、そんなことは無駄だった。
「おいおい、酷いじゃないか。そんな踏みつけて、友達だろ?」
「お前なんか知らない消えろ。消えろ。消えろ」
足に激痛が走っても。
足から血が流れても。
俺はそれを踏みつけ続ける。あの憎たらしい声が途切れるまで。
「モウオマエハイイ」
最後に聴いた声は、確実に布良の物じゃなかった。
聞いたこともない、おぞましい声。
聞いただけで鳥肌がたった。
一体なんだったのか、知りたくもない。
その後、再び携帯から音が鳴ることはなかった。
壊れた携帯からは音はでない。当たり前の事実が嬉しい。
その時部屋の明かりが消えた。部屋が真っ暗に、闇に包まれる。
何も見ええない、停電だろうか。それにしても暗すぎる。
いくら夜中だといっても、光が一切無いなんてどうなってるんだ。
どういう事だよ。
ここは、現実の世界だろ。何でこんな事が起こっているんだ。
遠くで、叫び声。聞き覚えのあるその声に背筋が寒くなる。
何で、夢の中の声がここで聞こえるんだよ。
暗闇の中にいるせいで、何が起こっているのか確認することが出来ない。
叫び声がした方向から、破壊音がする。それが、どんどん近づいてくる。
来るな、来るな。ここは、現実の世界だ。夢じゃない。
ああ、あれがすぐそこにいる。
もうダメなのか。
俺は硬いベッドの上から飛び起きた。
「おお、気がついたか」
そこには、布良がいた。
何で、こいつがいるんだ。
「おいおい、そんなに怯えないでくれよ」
「仕方がないですよ。何日も気を失っていたんですから」
女性の声。声の主を確かめようとそっちを見ると、保健室であった、あの女性がいた。
という事は、ここは保健室か。いいや違う。保健室なら、もっと清潔な空間のはずだ。
ここは、なんと言うか、そう廃墟の中のような雑然とした空間。
さっきまで、家に居たはずなのに。
「ここは、どこなんですか?」
「大学よ。と言っても、もうそんな外見残ってないけど」
「ここが、大学?」
一体、俺が気を失ってる間に何が起こったんだろう。
「何も覚えてないのか、秋月?」
布良が話しかけてくる。
その問いに答えることが出来ない。布良が何なのかわからないから。
「何で、そんなに怯えてるんだよ」
声を荒らげて布良は言う。
「布良くん落ち着いて」
女性が布良をなだめる。
何で、俺のほうが怒鳴らなければならないのか。
「何で、俺が怒鳴られなきゃいけないんだ。あんな、笑えない悪戯をさんざんしといて」
「悪戯? なんの事だよ」
「あんな悪質な電話しといて、恍けるのかよ」
「おいおい、なんの事だよ」
布良はさっきまでの怒気を引っ込め、どこか困ったように応答する。
「お前、何にも覚えてないのか?」
「覚えてるって何を」
布良と女性は顔を見合わせてなにか考えると、一言だけ俺に告げた。
「何にもなかった。覚えてないならそれがいい」
そう言った後小声で付け加えた。
「きっとそれが幸せだから」