第四章 始まり
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸。
一瞬前、イリアの魔法によって賊の頭目が体をバラバラにされたのを見届けた巧は、膝に手をついていた。冷や汗をかき、心臓の鼓動は早く変則的になっている。
巧は怪我を負ったわけではない。
「タクミさん! 大丈夫ですか?」
彼の正面、真っ直ぐ長い金の髪についた返り血を拭いながら、イリアが巧の顔を覗き込んでいた。
巧は不安そうに下がった眉を見て、
「あ……大丈夫です」
とりあえず安心してもらうように、と無事を伝える。すると横から、
「タクミ、助かった。怪我は無いか?」
「はい、体は大丈夫です……」
ララである。賊に捻じり上げられた右腕をさすりながら、巧に歩み寄ってきた。
重症ではないことを確認して巧はホッと息を吐くが、
……これが。
『剣と魔法のファンタジー世界』と聞いたときに、少しは覚悟していたつもりだった。しかし現実に体験してみると、自分の予想を遥かに超えたものだった、と巧はしかめ顔で周囲、荒れた広間を見回す。
巧の横に来たララがその様子に気づき、
「どうかしたか?」
「命の奪い合いって、こういうことなんですね……」
「ん? ……ああ、そういうことか」
巧の返答に、ララは目を細めた。ふと、彼から離れ入口側へと歩いていく。切り落ちた腕に脚、苦痛の表情のままの顔。頭目だけでなくその部下も無数の『風の刃』を受け、賊の血で床の布は赤く染まっていた。
ララは手前側の方、頭目のものと思わしき腕から滑り落ちていた手斧を左手で握る。
巧には振り返らず、
「タクミ、今までに人を殺したことは?」
「ありません……僕の国ではどんな場所で人を殺してもそれは罪であると、人の命は尊いものであると、そう教え込まれていましたから」
故郷、遠い自分の世界、自分の国を思いながら巧は話す。
「そうか……良い国だったのだな……」
ララは入口付近に広がる死体群を見回す。命の奪い合いが行なわれた空間。
「だが、この国の現状はこうだ。こうして、他者を害さなければ生活出来ない者達が大勢いる」
手の中で斧をクルッと回転させながらララは言う。
「命は尊い。他人の命も、自分の命もな。尊いからこそそれを奪われれば人は悲しみ、怒り、憎む……半端な覚悟で命を奪おうとすれば――」
「お前らああああああ!!!」
怒号は背後。
悲鳴にも近い高い叫び。
とっさの事に振り返れない巧に対し、ララの反応は早かった。
右足を大きく後ろに下げ、腰を右回転。
その動きと強化魔法で強化された腕力による手斧の一閃を、
「返り討ちに合うだけだ」
叩き込んだ。
跳躍していた怒号の持ち主の腹部に手斧が激突する。
衝撃に耐えられず、手斧の刃に亀裂が走った。
破砕と打撲のような音が、静かな広間に響き渡る。
怒号の持ち主はロギーだった。右腕は吊ったまま、左腕も手首から先を黒く焼け焦がされ、口にナイフを加えていた。
腹部に斧を受け、その表情は憤怒から苦痛へと変わり、
「…………!」
目を見開く巧の前、ロギーは地に倒れ伏した。その下の布が赤く彩られ始める。
「…………」
「タクミさん……」
巧の隣、イリアが眉を下げて呟いた。ララはほぼ柄だけになった手斧を放り投げる。
「タクミ」
彼女は巧に改めて向き直る。そのまま強めの口調で、
「この大陸に来たならば、自分を厭え。身を守るために、時には容赦をするな。法の行き届いていない場所で、迷う者は」
一息間を置き、
「弱い者だ」
彼女の言葉に、巧はすぐに言葉を返せなかった。
覚悟はあったが弱かった。命のやり取りが軽いものではないと改めて思い知らされる。
巧はやや俯いたまま、
「肝に、命じておきます」
そう返すのが精一杯だった。
話を終えたララはさて、と前置きし、
「イリア様、私は砦の中を見て使えそうな物資や貨幣を集めます」
「ええ、お願いね。賊に捕られた武器と道具、残っていればいいけど……」
「とりあえず探してみましょう。イリア様は……」
ララはちらりと巧を見て、
「頼みます」
「ええ、わかったわ」
イリアの言葉にララは頷き、砦の奥へと歩いていった。
残された巧にイリアが近づき、
「わっ」
驚きの声は巧のもの。
イリアに頭を撫でられはじめたのだ。白く細い指が艶のある黒髪を梳き、くすぐったさが巧の表情を少し和らげる。
「タクミさんはやさしいんですね」
「やさしいことは、この世界じゃ足枷なんでしょうか……」
巧は思う。相手を気遣う心は、邪魔なのだろうかと。
彼の言葉に、イリアは頭を撫でながら返す。
「ララの言う事はもっともです。でも……」
ふと、巧の頭から手を離して1歩下がるイリア。巧の顔を大きな青眼でしっかりと見つめている。そして、
「タクミさんは、私達を助けてくれました」
その一声に、巧は顔を上げた。イリアの言葉は続く。
「私とララがこうして無事なのは、タクミさんのおかげです。だから、人の命を思うやさしさは、間違いじゃないです」
最後に目を細め、大きな微笑みをイリアは見せた。その様子に巧は、
……少し、救われた気がする。
少なくとも、あの場でイリアとララが痛めつけられるのを見るのは嫌だった。思い切り胸を張れる自信は無いが、今のイリアの表情を見れば、決して後悔するものではない。
巧はそう思い、少し心が軽くなった気がした。そして目の前でまだ笑っていてくれているイリアに向かって、
「ありがとうございます……イリアさん」
●
それから数時間後、巧達3人の姿は街道にあった。砦からは林を挟んで北の場所。
巧は変わらぬ姿で手には衣服、元の世界の制服のジャケットを脇に挟んでいる。
一方、イリアとララは少し荷物が増えていた。イリアは少し膨らんだ皮の鞄を背に、ララは大型の鞄を背負い、腰には剣を1本差していた。手には紐を通した壷を持っている。
あの後、巧とイリアも加わって物品の収集作業となった。棚や収納箱、クローゼットから賊の死体までを調べ、使えそうな物を持っていく。再び罪悪感にさいなまれそうになった巧だったが、口には出さず作業に参加した。
幸いイリアとララの武器と旅用品は手付かずで回収することが出来た。巧が、
「自分はそもそも何も持っていなかった」
と言うと2人に牢屋以来に目を丸くされたが、何とか詮索からは逃げ切った。
探索を終えると、すぐに出発となった。賊が奴隷商人と契約しており、その奴隷商人が戻ってきていざこざが起こるのは避けたいということである。
しかし、と零すのはララだ。彼女は手に持った顔より大きな壷を見て、
「賊が奴隷商人と契約していたとして、商人は何を考えていたのだ?」
ララが壷を揺らすと、金属の擦れ合う音が篭って聞こえた。
中に入っているのは大量の金貨である。
「賊にそんな大金を積んで、ただ旅人を襲うように頼んだのかしら?」
ララの隣、イリアが疑問を口にする。
それを聞き、巧が尋ねた。
「それ、どれくらいの大金なんですか?」
「1万ゴールドはあるだろうな……賊にこんな大金は確かに理解に苦しむ」
「ゴールド……」
「ん、金銭の単位を知らなかったか? この中に入っているような金貨1枚で100ゴールドになる。以下、銀貨で10、銅貨で1、といった具合になっている」
なるほど、と巧はとりあえず頷いた。物価がわからないが、『こんな大金』と評価しているのを聞くと元の世界の単位には当てはめられないな、と心の中で思う。
「ふむ、どうせなら顔を隠せるフードがあったほうがよかったな」
「そうね……何処かの街で買えればいいのだけれど」
「何とか調達出来れば良いですね。まあまずは、ここから離れましょう」
ララの言葉に対し頷くイリア。しかしすぐに、
「ララ」
「あ、はい。イリア様」
返事をしたララが体を動かす。それは体の向きを直す動きで、
…………?
イリアとララが、巧に体を向けた。そして、
「タクミさん。私達を救い出してくれて、本当にありがとうございました」
「イリア様を、そして私を……。本当にありがとう、タクミ」
感謝の言葉と共に、大きなお辞儀。
「えっ……」
突然の事に巧は固まってしまう。うろたえながらも何とか言葉を搾り出し、
「いや、どういたしましてって言うか……俺のほうこそ、助けていただき、ありがとうございました」
巧も頭を下げた。数秒の沈黙の後、お互いに顔を上げ、笑い合う。
「さて……タクミはこれからどうするのだ?」
口を開いたのはララだ。
「えーと……2人はどうするんですか?」
「私達はこれから街道を東に進み、いくつか街を経由しながら、『冒険者ギルド』のある街、『ウィッテン』を目指します」
「まずは……『トルデ』という街だな。ここから半日もあれば着くだろう」
イリアとララの言葉を聞き、巧は考える。自分は1人で旅を続けられるだろうかと。
その結論はすぐに出る。
……無理だ。
今日のことで巧は、自分が思うほどこの世界は単純じゃないことを知った。国があり、人種があり、文化があり……。それらを自分の目で見て、確かめていきたいが、そもそも1人で旅を続けることすら難しいと巧は思う。
その判断の他、不安や寂しさ、そしてちょっぴりの下心を含めて、巧は全ての結論を、
「俺、2人について行きたいです」
出した。
「この大陸の事、もっと教えてほしいです!」
お願いします、ともう一度頭を下げる巧。
2人の反応は同じだった。それは短い笑い。その反応に巧が顔を上げながら、
「駄目、ですか……?」
「何を言っている。いいに決まっているだろう」
巧から見て右に立つララが即答した。
「いいんですか……?」
「もちろんです。命の恩人さんですもの」
左のイリアも頷きながら言う。
そして、イリアが右手を巧に差し出してきた。頭を撫でられたときのようなやさしい笑みを巧に向け、
「これからよろしくお願いしますね、タクミさん」
「よろしく、タクミ」
2人の声に、巧は久しぶりに表情を緩めた。そして、
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
●
夜の街道を歩く声がある。
「それにしても簡単に信用してしまったな」
「はい?」
勝気な語調の少女と、それに答える少し高い少年の声。
「あれだけ自分を厭えと言ったのにお前は……私達が男狙いの悪い女だったらどうするのだ?」
「えっ!?」
「フフフ、冗談だ。それともそういう扱いのほうがよいのか?」
「い、いやいやいや! そんなこと……まあちょっぴり興奮……いやいや! そんなことないですってば!」
談笑の声が、月下に響いている。
そしてまた別の、やさしさを感じさせる少女の声。
「ララ、あんまり苛めちゃ駄目でしょ?」
「フフフ、すいませんイリア様。しかし、牢屋でいきなり叫び始めた人間とは思えないほどしおらしくなってしまったな」
「た、楽しい気分になれば俺だって元気ですからね!?」
「そうか、これからの旅が楽しみだな」
「ふふ、賑やかな旅になりそうですね」
とある世界。
街道を行く異世界人と、2人の少女。
始まりを告げるような一陣の風が、満月の夜空の下を吹き抜けていった。