第二章 依頼
賊の頭目は、自分達はツイてる、と思っていた。
彼をトップとするこの組織は、9人の人間によって構成されている。
組織の名前も幹部などの役職も無い、ただのならず者の集まりだったが、頭目が暴力と金銭でまとめ上げ、今の人数に落ち着いていた。数度、旅の行商人への襲撃や都市間の馬車への襲撃を1人も欠けることなく成功させてきており、彼らの名は周辺地域を震え上がらせていた。
彼らが天狗となっていた時、『奴隷商人』を名乗る人間が彼らに接触してきていた。
腕の立つ護衛の傭兵によって仲間2人が軽症を負ったが、奴隷商人自らが『治療魔法』を施したので、話を聞くことにした。9日前のことである。
奴隷商人はいくつかの『戦闘能力を封じる道具』と『奴隷の首輪』を差し出してきて、こう告げた。
「10日の間に、近くの街道を通る旅人の中で『一番いい女』を捕らえてほしい」
と。
報酬は前払いで大量の金貨、そして女の受け渡し後、『商品価値』によって歩合金が約束された。前払いの分だけでもかなり旨味のある取引だったと判断した頭目はその話を承諾した。
しかしそれから1週間。毎日数人ずつ街道を見張らせていたが、なかなか獲物は現れなかった。
そもそも組織のほとんどがまともな訓練を受けていない人間だ。元冒険者だったり傭兵だったりと腕っ節と実戦経験はそこそこのものだったが、奇襲とはいえ国の警邏隊や現役傭兵を何人も連れた馬車などに襲い掛かるのは自滅行為である。だから辛抱強く自分達の標的に出来る集団を待った。
8日目、初めて女性だけと思われる冒険者集団が通ったが、見張りからの報告を受けた頭目は頭を抱えた。
曰く、「戦士の女はゴブリンのような皺くちゃの顔をし、その腕はまさに丸太だった」。
曰く、「魔術師と思われるローブを着ていたのは老婆だった」。
曰く、「弓を担ぎ、茶色の髪を長く伸ばした細身の女……と思ったが顔が中年のオヤジだった」。
「俺でも抱きたくないっすよ、あんな集団……」と愚痴を零す見張り役だった若手に同情しながら、「流石に商品として渡せねぇだろう。ていうか1人男じゃねぇか」ということでその集団は見逃した。
結局その日も目当ての集団は見つからず、日がまわったのだった。奴隷商人に依頼失敗とどう報告しようか、最悪、前払いの金貨を奴隷商人に返すことになるかもしれない、などと今日の日中考えていたとき、
あの小僧が砦近くに倒れてたんだよな……。
高価そうな服を着込んだ清潔な男が、捨てられた砦のそばで倒れていた。何とも場所にそぐわない少年に出くわしたのは、午前の当番を終えて砦へと戻ってこようとしていた元冒険者の男だった。
街道は見張っていたため、森から歩いてきたのだと思われたが、ほとんど服が汚れていないことをならず者達は怪しがった。本来なら行き倒れは身包みを剥いで森にでも捨てるのだが、奴隷商と繋がりがあるのだし、女が捕らえられなくても売って小銭にでもなればいいと思っていた。
そうして時が過ぎていったのだが、
本当にツイてた……!
日が落ちて1時間ほど経った時、見張りが砦に駆け込んできた。
人間の美人でも高望みであったが、エルフ種。しかも2人だけという冒険者。
流石に堪えていた9日目の待機組も、その報告に沸いた。頭目も興奮気味に見張りの男の背中を叩いていたが、衝動的な行動をしそうになるならず者達を一喝しつつ、冷静に指示を出した。自分達のような賊がはびこれるご時勢での2人旅である。実力は高いと判断し、組織を構成する9人全員で仕事にかかった。
結果、奴隷商人から受け取った道具を駆使し、それでも負傷者4人を出したが、エルフ2人を捕縛することに成功したのが数時間前である。
そして現在、
「でもよーお頭ぁ! あんないい女、何で抱けねぇんですかぁ!? いいじゃねーですか奴隷商の依頼なんて!」
砦に入って、最初の広間。外へと繋がる大きな扉と『品物』を捕らえている牢屋への道がある広間に、大きな横長のテーブルを置き、その周囲を椅子で囲んで、ならず者達は祝杯を挙げていた。
入口の扉から反対側、大きめの木の椅子にどっかりと座り酒をあおっていた頭目は、自分に向かって大きな声を出した右手側に座る頭に包帯を巻いた禿頭の男に向かって、
「あぁー!? 奴隷商の傭兵に横っ面殴られて気絶してたのはどこのどいつだよ!?」
「あ、あれは油断してただけですってー! ヒック……。あんな弱っちそうなの不意打ちが無けりゃ」
「がっはっはぁ! 今日の女につけられた頭の傷も油断からってか? オメェは頭に縁があるんだなぁ!」
苦笑する禿頭を見て大きく笑う頭目。
今この場にいるのは5人。頭目以外の人間は今日の作戦で『名誉の負傷』を受けた人間である。
禿頭の反対側、右腕を布で吊るした男が逆の手で酒瓶を持ちながら、
「抱くなら最初に俺にやらせてくださいよ! 俺の手で立派な夜の奴隷に『調教』してみせますよ!?」
「おいおい! オメェ利き腕折れてんじゃねぇかよ! どうやって女喘がせんだよ!?」
「いやいやお頭! 下の方も自信ありますぜ!」
「がっはっは! オメェのちっちぇえのじゃ無理だな!」
広間が下品な笑いに包まれる。頭目が手に持ったジョッキをテーブルに叩きつけ、音を立てる。他の4人の注目を自分に集めさせてから、
「とにかく! 奴隷商と取引するまでは手はつけんなよ! なーに! 報酬で街の衛兵に賄賂でも渡して花でも買えばいい! もしかしたら『おこぼれ』で2人のどっちかはくれるかもなぁ!」
頭目の言葉に、不満と歓喜の入り混じった叫びが生まれた。酒臭さと男達の汚臭が空気を支配していく。
頭目は思う。今日は本当にいい日だったと。
エルフの少女達に言ったとおり自分達が『調教』してしまいたいが、今回は金目的だ。あれだけべっぴんな女である。少しは奴隷商人にふっかけられるかもしれない。小僧は知らないが。
そんなことを思いながら口元をにやつかせ、頭目は本日何度目かの笑いを口から漏らす。
ふと、右の禿頭に目をやる。
「おいおいオメェ、飲みすぎなんじゃねぇか? 真っ赤になっちまってら」
「なーに言ってんですかぁ! お頭こそさっきからグビグビいってるじゃな――」
「あー……俺も飲みすぎかぁ? オメェの顔がずれて見えらぁ」
「――――」
返事は無かった。というより、発せられなかった。
「ひっ……」
禿頭の向かい、右腕を吊った男が小さく悲鳴をあげ、
禿頭の顔が文字通り、斜めに『ずれた』。
「なっ……」
血潮を飛び散らせながら禿頭の『上部分』が床に落ち、残った体が机に突っ伏す。
衝撃音が1つ。続けざまに、
「げぁ!」
禿頭の隣の男が悲鳴を漏らす。ゴキリという骨の折れる音。
頭目を含む残りの3人がそちらに目を向けると、
「……誰が、誰を、『調教』するのだ?」
白目を向く男。彼の首は白く綺麗な五指で握られており、
「まあ、答えなど聞きたくないがな」
牢屋に捕らえたはずの、エルフの少女の片割れがそこにいた。
●
残りは3……親玉以外は負傷者か……。
ぬるい、とララは判断する。首を潰した男を更に念入りに握力をかけてから横へ倒す。
流れるような動作で布の敷かれた床を蹴り、テーブルを飛び越え反対側の首に包帯を巻いた男へ跳びかかる。
しかし、
「テメェーー!!!」
叫びは横、頭目から発せられると同時、テーブルが浮いた。
その動きはララへとテーブルの面をぶつける動きだ。
舌打ち1つ、ララは迫る面を左腕で防ぎ、後方へと身を躍らせる。
テーブルが横に倒れ、食器の立てる甲高い音と食物の落下した生々しい音が鳴った。
「カルドォ!」
頭目がララから視線を動かさず叫ぶ。その声に反応したのは、ララが跳びかかろうとした首包帯の男だ。
彼はハッと意識を戻すと、躓きそうになりながらも出入り口へと駆け出した。
応援を呼ぶつもりか……!
させまいとララが素早く男へと向かうが、
「っ!」
風を切る音と共に、それは阻止された。
ララの眼前を銀製の果物ナイフが突き抜けていったのだ。
ナイフを投擲された方向、左側へと視線を滑らせる。その先には、手斧を持った頭目が息を荒げながらララを睨んでいた。
カルドと呼ばれた男が扉を開け放つ音が響き、
「やってくれたな小娘……!」
「なるほど……少しはできるらしい」
先ほどまでの混乱とは打って変わり、静寂が広間を支配する。その空気の中、ララと頭目が横向きに倒れたテーブルを挟んで対峙する。
ララは頭目から目を離さなず、足元に倒れている首の折れた男の死体を探った。うつ伏せの状態で倒れている男、腰の部分には小さめのダガーが1本くくりつけられていた。手探りで鞘から抜き、右手にダガーを握る。
その動作の隙、頭目は彼の左手側、壁に背を張り付けている右腕を吊った男に目線の合図を送った。それを受けた男は慌てつつも急ぎ足で頭目の後ろ、砦の奥へと消えていく。
ダガーを右手に握ったララは消えていく男を視界の隅で捕らえながら、
まずいな……まだ『アレ』があるのか……。
後ろに送った男の目的を懸念する。正面の頭目は脂汗を滲ませた意地汚い笑みを浮かべている。
「小娘……良かったのか? 自慢の魔法でアイツを止めなくて」
魔法? とララは思う。こいつは私を『攻撃魔法』の使い手だと思っているのかと。
何故だと思考を巡らせ、
ほう……。
行き着く。それは戦いを有利に進められる手段となり得るものだった。
この男は、1つ思い違いをしている。
ララは悟らせないよう、頭目に対し構える。右手のダガーを胸前で構え、開いた左手を頭目に向け、軽く腰を落とす。そして、
「お前には必要無い……少し遊んでやる」
「言ってくれるな……!」
対し頭目は更に笑みを深めた。頭目の構えは斧を肩に担いでの直立である。
互いが呼吸を止め、沈黙が流れた。
静止。そして、
「オラァ!」
先に動いたのは頭目だった。その動作は上体を僅かに仰け反らせながらの前蹴りで、目標は、
テーブルか……!
太い木の足を蹴り飛ばした。テーブルの足の軋む音が小さく響き、推進力を与えられたテーブルがララに向かって滑った。
彼女はテーブルをギリギリまで引き付け、小さく跳躍、膝を折り曲げた。爪先の下をテーブルの足が通過していく。と、
「っ!」
ララの視線の先、頭目がいつの間にか懐に左手を突っ込んでいた。そして手を引き抜き、そのまま振り切る。
腕を振るう動作は投擲が目的で、投げられたのは、
ダガー!
小型のダガーがその刃を向け、ララ目掛けて飛来する。跳躍中の彼女の体の中心を狙った正確な投擲だ。
ララは上半身を捻り、右手のダガーを小型ダガーの刀身に打ち付ける。
金属音が1つ。小型ダガーが弾かれ、回転の動きをしながら左へと逸れた。
斜めになる視界の中、ララは今の投擲が本命では無いことを感じていた。つまり、
「上か!」
目だけを動かして上を見る。
「ご名答だよォ!」
頭目の巨躯が彼女の斜め上、空中にあった。
斧を両手で大上段に構え、振り下ろす動きの最中だ。ララの右腕は既に振られており、そのままでは防ぎきれる攻撃ではない。
だから、彼女は更に身を捻った。慣性の残る右腕を更に左に動かし、腰を捻り、体を回転させる。跳躍中の体が仰け反りつつ、彼女は捻りの運動を乗せて右足を左方向へ放った。
足場となるのはテーブル。床との摩擦で既に止まりかけている倒れたテーブルだ。そのテーブルの縁を靴底で蹴りつける。
硬い衝撃音と共に反動でララの体は右へと跳んだ。一瞬前までララの体のあった空間を頭目の手斧が通過する。
着地。
ララは着地直後のしゃがみこんだ姿勢で、頭目は斧を床に食い込ませつつ、左半身をララに向ける形だ。
テーブルの面がララの殺した2人の死体の上に倒れ、鈍い音を立てる。
「ほう、面白い戦法だ」
「ククク、テメェこそよく避けやがる」
頭目が斧を抜き、再び肩に担いだ。手斧は地面に敷かれた布の下、石畳までを切り裂いていた。
それを見て、ララは口を開く。
「馬鹿力だな。なかなかの強化魔法を使うようだ」
「テメェも大概じゃねぇかよ。なあ小娘」
ララの言葉に返しながら、頭目はララに体を向ける。これでお互い、入口に対し並行に向かい合う形となった。
……ここしかない。
ニヤつく頭目を見ながら、中腰に姿勢を上げ、状態を起こす。
それに答えるように、頭目も僅かに前傾姿勢になる。一層顔に濃い笑みを浮かべて、
「もっと遊んでくれよ……エルフ」
「そうだな……遊ぼうか人間」
再びの、静寂。
そしてララが動いた。膝を曲げ、体勢を右手側に傾ける。
地を蹴った。
怪訝な顔をする頭目を視界に入れながら、彼女は口を開き、合図を出す。
「イリア様!」
頭目の背後、牢屋へと続く道に潜む1人に向かって。