第一章 脱出
「そうですか、遠いところからはるばると……」
「はい。賊に捕まったのは運が悪かったですはい。後大声出してすいませんでしたはい。だからララさん睨むのは止めて下さいすいませんでした!」
カビ臭さに満たされている牢屋の中、巧は2人の少女と会話を交わしていた。巧の絶叫により温和そうな方の少女、イリアを驚かせてしまったため先ほどまで後ろの強気な少女、ララ共々と警戒されて不穏な空気だったが、何とか歩み寄って情報交換することが出来ている。
イリアの隣で鋭い視線を巧に突き刺していたララだったが、
「まあ、そんなことがあったならば頭がおかしくなってもしょうがないだろう」
「別に俺は頭おかしくなってないですからね!? 正常ですよ!?」
「ララ。失礼でしょ」
「……申し訳ありません」
巧は2人に、異世界人であることを伏せるために思いつきの経歴を語っていた。『遠い異国からこの大陸にやってきて、何処かの町に落ち着こうかと思って旅をしていたところを捕らえられた』といった具合に伝えつつ、何とか彼女達からこの世界の情報を得ようと必死になっていた。
「この辺りはどの領内なんですか? 俺、気絶してたんでどれだけ移動したか判らないんですけど」
「恐らくイスト領の中だと思います。ツェントルムとの国境から2日ほどの場所でしょうね。街道から少し南に下った辺りかと」
「なるほど……」
イストとツェントルムという、国名か地名かの新たな情報を手に入れつつ、巧は頭の中で先ほど聞いた彼女達の話を整理していく。
曰く、彼女達は『サース』という国の『冒険者ギルド』で活動していたのだと言う。そして、活動場所を変えるため、この国にやってきたと言った。この国とは『イスト』のことであろう。
『冒険者ギルド』は文字通り、『冒険者』を管理する団体であると言う。本部は『ウェスタ』という国にあり、ギルドの支部は各国に存在し、活動する国を変える場合はその国のギルドにて手続きを行なわなければならないらしい。彼女達はイストの冒険者ギルド支部へと向かう途中だったと言う。その道中にて賊に捕まり、今この場にいるということだろう。
「賊などにやられるとは……イリア様、面目ありません」
「いいのよ。それに彼らの用意は抜かりがなかった。私達2人だけではどうしようもなかったわ」
「……奴隷商人の協力があったのでしょうか」
「わからないわ……でもこの首輪、封印のエンチャントがあるようだし……協力しているのか、奪ったのか……」
「クソッ……!」
イリアとララがか細い声で話す中、巧は一字一句も聞き逃すまいと聞き耳を立てる。
『奴隷』の存在、そして『奴隷商人』か……。首輪には『封印』の効果があり、話から推測するとそれは奴隷商人などの一部の人間が持っているはずのもの……ってとこか。
思考を巡らせながら、巧は2人にまだ黙っている『重要なこと』を話すか話すまいか悩んでいた。偶然出来たものであり、ましてや彼女達の話を聞くまで『出来て当然である』と思っていたが、
多分神様の餞別の1つなんだろうな……凄まじく異能なことだろうけど、状況は打破出来るかも……。
よし、と一息、巧は2人の少女に顔を向け、
「あのー、この首輪……」
「え? あ、どうもこの首輪、『封印』のエンチャントが施されているようなんです」
「えっと……あんまり詳しくないんで教えてほしいんですけど、どんなことが制限されるんですか?」
「体内魔力の操作、つまり魔法の行使が出来なくなるところが大きい。それと、身体能力も僅かだが落ちる」
ララが横から説明した。
「ありがとうございます。……えと、それでですね……」
「はい?」
「いや……何というか……偶然なんですけど……」
歯切れの悪い巧の言葉に2人は怪訝な表情をする。2人の視線を受けながら、巧は頭を振り、
「実はですね!」
「何だ、言いたいことがあるなら――」
ハッキリと言え、という言葉は、小さな燃焼音にかき消された。
室内が橙色の光によって薄く照らし出される。通路には格子の影が大きく伸びていた。
イリアの息を呑む声が小さく零れ、
「嘘……!」
「お前、これは……!」
光源の出現ではっきりした2人の表情は驚愕に変わっている。2人の目の前では巧が変わらず座っており、
「出来ちゃったんですよね……はい」
彼の前には、握り拳ほどの大きさの『魔法で出来た火の玉』が浮いていた。
●
知識はいらない、と巧が言ったとおり、神によって魔法知識を授けられることはなかった。巧は魔法の成り立ちも、使い方も知らなかった。
しかし、状況が状況である。通路と部屋を遮る格子を素手でこじ開けようかと思ったが、ビクともしなかった。
『とりあえず強化』されただけじゃこんなもんか……。
故に彼は、何とか魔法を発動させようと頑張っていた。ひたすら「火の玉! 火の玉! ファイアボール!」と叫んだり、瞑想まがいのことをやったりした。
その結果、魔法の発動に成功していたのだ。
目標点を1箇所定め、そこに意識を送り込んでいくような想像をする。すると、目標点に向かって体の中から『何か』が流れ出ていくような感覚を覚えた。その『何か』は不可視のものであろうが、巧の視界には『空間の揺らぎ』として見えていた。そして、目標点に溜まった『何か』に意識を集中しながら、頭の中で唱えたのだ。
『燃えろ』と。
結果、巧は火を起こす魔法を習得することが出来た。夢の異世界トリップの先が牢屋であり、初対面の異世界人が不潔な賊の男だったためかなり気分が落ち込んでいた巧だったが、これには僅かに気持ちが高ぶった。
それが2人の来る、ほんの少し前。
「えっと……」
困り顔をする巧の視線の先、火の玉に照らされた2人の顔は驚愕に染まっていた。
うわ、やっぱり2人共凄い美人だ……エルフだからなのかな? と場にそぐわない事を考えてしまう巧。とにかくなんとか2人を落ち着かせようと、
「ほ、ほら! 俺人間だから魔法なんて使えないだろう! とか思ったんじゃないですか!? だから俺の首輪は普通だったり!」
「……お前のいた国がどうかは知らないが、この大陸はほぼ全ての生物に魔法の素質があるが」
墓穴掘ったぁー!
巧は手で顔を覆った。どうしようかと慌てていると、ララがハッと愕然の表情から戻り、
「いや、余計な詮索はいい! それよりこれは光明だ! お前――失礼、タクミといったか。私達の首輪を破壊してくれ、頼む」
「私からもお願いします!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
2人に詰め寄られる巧。美少女2人に迫られる幸せ、などと思うがすぐに雑念を振り払う。
「俺、魔法とか全然使ったことなくて! 首輪をピンポイントで破壊する事とか無理ですって!」
「……さっきの火の玉、炎の維持といい大きさといい、魔法をある程度学んでいるのだと思ったが」
ぼ、墓穴掘り進めたぁー!!
巧達がかけられている首輪はあまり輪が大きくなく、肌と首輪の間には指が入る程度の隙間しかない。
若干涙目になりながらも、何とか自分へのフォローをする巧。
「よ、余計な詮索は無しでお願いします!」
「う、うむ! そうだな! しかし……いや、タクミ。炎を適当なところに出してくれ。さっきのより小さめにな」
「あ、はい」
ララに言われたように、送り込む『何か』を少なくし、発火させた。巧の前に先ほどより大分小さな火の玉が出来上がる。
するとララは火の玉に近づき、髪を左手を使って後ろでまとめ、
「ぐっ……」
炎で首輪を炙り始めた。
「ちょっ……」
「ララ!」
「大丈夫です。タクミ……火を切らさないでくれよ、これを2度は御免だ」
熱に耐えるララの声。巧は焦っていた。
切らさないでくれよって言ったって……!
心配そうにララを見つめながらも、巧は火の玉に念じ続けた。『維持しろ、維持しろ』と。イリアも不安な表情でララを見ていた。
その状態が1分近く続き、
「――よし、もう止めていいぞ」
ララの声で、巧は火を止めた。彼女は火の当たっていた部分を皮膚に当てないように首輪を持つ。
そして、
「『魔法効果』の付加された物というのは、エンチャントの維持のため『魔法回路』というのが備わっていてな」
首輪を持つララの両腕に、指に、力がかかる。
「その回路というのは繊細だ。僅かな回路の故障でエンチャント効果は失われる」
どれほどの力がかかっているのか、首輪はその原型を歪めはじめ、
「だからこのような金属のエンチャント品は、今のように熱して僅かでも変形させれば――」
形状は細く、輪はどんどん広くなっていき、
「片が付くということだ」
ララの手には、頭の大きさを超えた首輪。
鉄の首輪は、ララの手によって文字通り『伸ばされた』。
巧は目を丸くしながら、
「嘘……」
「もうララ! 火傷してるじゃない! あんまり無茶しちゃ……」
「軽いものですよイリア様。すまんタクミ、先にイリア様のほうを済ませてしまうぞ?」
「あ、構わないです……はい」
呆然とする巧に対し、ララは火傷を少し撫でてからイリアの正面に屈み、首輪に手を掛けた。
それを横目に巧は、思う。
い、いやいや、あれだ、熱で鉄が柔らかくなっていたんだ。きっとそうだ。じゃなかったらあんな……。
そんな事を自分に言い聞かせながらチラリと横を見ると、2つ目の首輪がその形状を変化させられている最中だった。巧の願いは一瞬で潰える。視線の先、自由になったイリアがララの首元に手を当てていた。イリアの手元とララの火傷の部分が光っている。
しかしそれを見ても、巧の意識はララに向いていた。
いやありえないだろ! まあそれほど細くない腕だけど! 金属を伸ばすってなんだよ!? あれなら最初から首輪ぶっ壊せたんじゃないの!? ていうか『僅かに身体能力が下がる』って嘘だったの!?
「待たせたなタクミ」
「はひぃ!?」
仰け反りながら裏返った声で返事をしてしまう。見るとララが巧のほうに歩いてきていた。
「何だ? 急に悲鳴をあげて……ほら動くなよ、お前のも外してやる」
ララの綺麗な指が巧の肌と首輪の間に差し込まれた。それのこそばゆさやララの大きな胸が目の前にあるが、彼女の力の方向が間違ったら自分の首が紙っぺらの様にプレスされる恐怖が巧の煩悩を塗りつぶしていた。
ピキピキという音を耳にしながら、巧は恐る恐る疑問を尋ねる。
「……腕力?」
「ん? ……って純粋な腕力なワケあるかっ。『強化魔法』で増幅しているに決まっているだろう、っと」
巧の首輪が引き抜かれ、牢屋の中の3人は封印のエンチャントから解放された。
ララは立ち上がり、イリアと視線を交わす。巧は安堵の溜息を吐きながら、
「よかった……よくわからないけどよかった……」
「失礼な奴だ……本当に魔法に詳しくないということだろうが、魔法も無しに素手で金属を破壊出来る訳無いだろう」
「いやホントその通りです……はい」
エルフのイメージを崩さずにすんだとほっとしている巧。彼に半目を向けているララは立ち上がり、
「さて……脱出しましょうイリア様」
「大丈夫かしら? 賊と接触は避けられそうにもないわ」
ララの言葉に答えつつ、イリアも足を崩した座りから立ち上がる。それに釣られるように巧も起立した。
巧はここで始めて気がつくが、イリアもララも、巧より頭半個分ほど身長が高い。
金髪、長身で美人か……本当に想像上のエルフそのものだな……。
そんなことを考えつつ、脱出の話をしている2人に加わろうとする。
「この先はどうなっているんですか?」
「ここはもう使われていない砦のようでな。この先は外へと繋がる出口のある広間に出る。賊も馬鹿ではないだろう、見張りはいるだろうな」
「……この壁壊して逃げれますかね?」
巧が自分の背後の石壁を指して言う。
「私が無理でも、イリア様の魔法なら可能だろうな。そうすれば中の連中が出てくる前に外にいるであろう数人の見張りを撒ければ逃げられるが……イリア様、何か考えはありますか?」
ララの問いに、イリアは視線を下にしながら答える。
「最短ルートで逃亡出来れば楽ですけど、追っ手の恐怖に怯え続けることになります。人攫いにあれだけ『用意』していたのですから、まず間違いなく捕まえにくるでしょうね」
確かに、追っ手は嫌だと巧は思う。改めて異世界の地を満喫しようにも、負われている身では夜もおちおち寝ていられない。
イリアと同じ事を考えていたようにララが頷き、
「タクミ。お前も外に逃がしてやれるが、少し付き合ってもらうぞ」
え? と巧が反応する先、ララは通路とこちらを隔てる鉄格子に近づいた。
正面の2本の格子を握る。
「まさか……」
「大丈夫ですよ、私達がお守りします」
顔が引きつった巧にイリアが優しく微笑みかける。そしてララは格子を外側に『曲げはじめた』。
見た目では腕の筋肉が膨張したりしていないが、格子に指が食い込み、確かな力で金属を変形させる。
ギチギチと格子の間が広がっていく様を見て巧は呟く。
「やっやっぱり何か違う……!」
「今、後ろからまた失礼な言葉が聞こえたが」
ごめんなさい! という言葉を受け苦笑するララ。人1人が通れそうな格子の隙間を作った彼女は振り返り、
「賊を壊滅させる。タクミ、ついて来い」