序章 異世界トリップ
富士野・巧。
家から30分の県立高校に通う、少し『オタク』な男子高校生。
少し前の長い黒髪に黒眼。中肉中背で、特に身体的特徴は無い。周囲からは「愛嬌のある顔立ちだよねー」と言われていた。
中小企業に勤める父と専業主婦の母を持ち、3つ上の大学生の姉と共に両親の愛情を受けて育ち、3日前に17度目の誕生日を向かえ、来年に迫っている大学受験を頭の片隅に置いておきながらも、高校2年生の日々を謳歌している、普通の少年。
だったはずなのだが――。
「ワシ? 神じゃよ神」
「嘘……だろ……」
彼は今、神様の前にいた。
●
天を仰ぐ巧の周囲、白い空間が広がっている。空も白く果ては無く、唯一彼の立つ地面部分がガラスのように僅かに周囲の光を反射させているが、それ以外は白亜の色がどこまでも続いていた。
巧と向かい合って立つ『神』と名乗った老人。右手には木の杖を持ち、白い民族衣装の様な服を着て、長い白髪と長い髭をたくわえている。
ふぉっふぉ、と年季を感じさせる小さな笑いを零し、やさしそうな目でうなだれる巧を見ていた。
「少年、君がここに来てしまった理由はわかるかね?」
「あー……まあ記憶が正しければ……トラックに突っ込まれましたねはい」
ただ普通に、巧は下校していただけである。帰ったら何をしようかな、などと考えながら歩んでいる彼に、突如悲劇が襲い掛かったのだ。
自身に起こった惨劇を思い出しながら、巧はふと思うことを神に尋ねた。
「あの……まさかそちらのミスで俺は死んでしまったとか……」
「ミス? ワシは人間界には干渉してないぞ?」
「じゃ、じゃあ『俺はあそこで死ぬ運命じゃなかった』とかは?」
「ワシ、ただの世界を管理する神じゃし、お主の運命とかはわからんのう……お主が死んだのは、まあ運が悪かったとしか言いようが無いな」
「なんてこった……」
自分がなすべくして死んだことがわかると、巧は溜息を吐いた。と同時に疑問が湧く。
「じゃあ何で俺はここに? 死んだ人間は神と対話する決まりなんですか?」
「死んだ人間全員対応なんて無理じゃて。今回お主を呼んだのはちょっと頼みがあるんじゃ」
頼み?
怪訝な表情をする巧に、神様は温和な笑みを浮かべて、
「お主、異世界へ行ってくれんかの?」
「はいきたー! テンプレきたよこれー!」
突然叫びだした巧に神は若干たじろぐ。
「な、なんじゃ? どうかしたのか? 頭が」
「流行の異世界トリップ! 『あー俺も転生されないかなー』と妄想を膨らまし続けることはや幾年! ついに今! 念願成就するんですよミスター神!」
「幾年ってほどお主生きてないじゃろ」
「ハッハー! 細かいところ言わないでくださいよ神様!」
普通の少年、巧は普通から逃げ出したかった。
時折厳しくもやさしい両親、家族思いな姉、いつも楽しい話題を提供してくれる級友達に囲まれ順風満帆の人生を送っていた巧だったが、サブカルチャーに触れ、描かれている空想世界に感動してからというもの、巧は思っていたのだ。
いつか絶対転生してやる! と。
テンションが上がり続ける巧に神は若干引け越しになっていた。巧は困り顔の神に向かって両手を広げて笑いながら、
「ははは神様! 俺はいつでも準備万端ですよ! さあ転生を!」
「は、話飛びすぎじゃて! とりあえず説明させてくれ!」
「ははは神様! 話を聞くのも俺は準備万端ですよ!」
「う……うむ」
神は思った。完全に人選間違ったかのう、と。
咳払い1つ、改めて神は巧を見た。
「まあ心構えは出来とるようじゃし、手短に説明していくぞ」
「カモン!」
「う、うむ……まず転生に至った経緯じゃが、この世界から程近い世界での、ちょっと大規模な『事象の乱れ』というものが観測された」
神曰く、元々世界は不安定な存在であるという。
世界とは何も存在しない無の空間に漂っているものであり、管理をしないと無の空間に拡散、すぐに無くなってしまう。また、世界の形を維持しても、世界内部のちょっとしたバランスの崩れによって、簡単に綻びが生じてしまう。それが『事象の乱れ』と呼ばれるものである。
「そういったものから世界を守るのがワシのような世界管理の神なんじゃ」
「『事象の乱れ』ってのは神様で直せるんですか?」
「うむ。ちょっとしたものならすぐ直せるし、大規模じゃない限りは元通りに出来るんじゃが……」
「今回大規模なのが起こったと」
「そういうことなんじゃ」
神はばつが悪そうな溜息を吐いた。
「それでまあ、ワシに援助を請うてきての。といっても、ワシみたいな神は他の世界の観察は出来るが干渉は禁じられておる。じゃが死んだ人間の魂は制約が無いので、人間に頼むってことになるんじゃ」
「なるほど……俺が選ばれた理由はなんです?」
「偶然じゃて。いくつかの世界を回る魂の流れ……『輪廻の環』といったほうがイメージがつくかの? 生を終えた人間の魂がそれに加わると生前の記憶も意識も削ぎ落とされ、新たな生を待って回り続けてしまう。そして神は輪廻を操ることは出来ないのじゃ」
上手く理解できないといった風な巧に、神は苦笑しながら、
「要するにそこから魂を引き揚げして転生を頼むのは無理ってことじゃな。じゃから『ワシが頼みを受けてからワシの管轄する世界でたまたま死んでしまった人間の魂』を輪廻に加わる前に引っ張ってきた。それがお主じゃ」
「そういうことでしたか……」
「後はまあ、ワシの個人的な思いで若かったから、ってのもあるのう」
「えっ!? 神様まさかそういう趣味で!?」
「違うわい! ……人の短き一生、それを20年前後で終えてしまうのは悲しきことじゃからのう。少し肩入れを考えてしまったのじゃ」
神はそう言って、眉を下げた表情で巧を見つめた。
結構考えてくれてたんだ、と神の気持ちを知った巧は困った様な笑みを浮かべる。
「まあそうですね。未練もやっぱりありますし……ありがとうございます」
「ふぉっふぉ、しおらしくなるでない少年。さて、ではお主に転生してほしい世界のことじゃが……」
話の切り替えの合図、といった風に神は右手の杖で地を小突いた。乾いた音が白の空間に響き渡る。
神は一息吸い込み、
「剣と魔法の、俗に言う『ファンタジー世界』じゃな」
「よっしゃああああああああああ!!!!!」
またも突然叫びだした巧に神様は驚きながら一歩下がった。
「お、お主、本当に大丈夫か? 頭とか」
「響き渡る剣戟! 飛び交う魔法! そして異人! エルフ! ボインのパツキンのエルフの姉ちゃん!!」
「……パツキンってお主の国じゃもう死語じゃろう」
「かっ神様! エルフは? エルフはっ!?」
「あー確かおるとかおらんとか……いやいたな確か」
「フゥーーー!!!」
小躍りを始めた巧を見ながら神は思う。こいつ転生させちゃ不味いのではないかのう、と。
「えーと……話を続けるぞ? そういう世界に転生してほしいんじゃが、出きればそのままの姿で行ってほしいんじゃ」
「え、俺の肉体ってもう無いんですよね? 大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃ。というよりそっちのほうが助かる。お主の魂を直接異世界にねじ込むことになるから、むしろ世界の理通りの生まれ方にさせるのは難しいんじゃ」
「なるほど……まあ大丈夫だと思います」
「すまんのう。まあその代わりといってはなんだが、お主の願いをいくつかなら叶えられる」
「願い!? もしかしてそれって……」
まあそうじゃのう……と神様は呟き、
「身体能力を上げたり、魔法力を強化したり、色々出来るぞ」
「うおおおおおおおおおお!!!!」
再度叫びだした巧に神様はバックステップした。
「や、やはり前世で何かあったんじゃな? 頭打ったとか」
「チート! チートだよこれ! 騎士顔負けの剣術! ただ1人で魔物の群れを薙ぎ払ったり! 右腕に鬼が封じられてたり! そうなんですか神様!!??」
「う、うむ……まあそのぐらいなら出来るかのう」
「ウイィィィーーーーーーー!!!」
ブレイクダンスをキメ始めた巧を見て神は思う。この話無かったことに出来ねぇかなぁ、と。
ヘッドスピンをする巧に神は慌てて付け加える。
「じゃ、じゃが世界の理から外れすぎたのは無理じゃぞ? そんなことしたら『事象の乱れ』が余計に大きくなるからのう」
「えっと、具体的には?」
「そうじゃのう……単体で大陸を吹き飛ばしたりとかはあの世界の人間じゃ無理じゃのう」
「あーまあそこまで強大じゃなくてもいいですはい」
「うむ。そういってくれると助かる」
神は安堵の溜息をついた。それに対し巧はそういえば、と思い、
「『事象の乱れ』を直すって、具体的には何すればいいんですか?」
「ん? ああ、お主はただ転生するだけでいいんじゃよ。魂の流入で起きる綻びで別の綻びを中和するのが目的じゃし、何も気にしなくてよいぞ」
「そうですか、わかりました」
さて、と神は一言前置きする。
「長くなってしまったが、転生の手続きに入るぞ。と言ってもお主は先ほど言った通り叶えてほしい願いを言ってくれればいいだけじゃが」
そうですね……と巧は口元に手を当てて考える。
「とりあえず言語能力がほしいです」
「それは元々付加してやるつもりじゃったよ。向こうの世界の知識はいるかね?」
「……いえ、自分の目で見て覚えていきたいです」
「あいわかった。他には何が必要じゃ?」
巧は考えを巡らせる。
筋力、知能、魔法の才能、剣術に始まり、カリスマ性、王の素質。様々な思惑が浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返して、
「……思いつかないです」
「ほ?」
神が素っ頓狂な声をあげた。神の視線を受ける中、巧は頭を掻きながら、
「いやーいざ自分で選んでいいと言われると小っ恥ずかしいっていうか……」
「お、お主! さっきあんだけはしゃいでたのにすごいヘタレっぷりじゃのう!」
「だ、だって自分が剣とか魔法とか使ってるの想像出来ないんですもん!!」
ううむ、と巧と神は唸ってしまう。
お互いに何も言えない時間が続き、
「と、とりあえず強くしてくれますか!?」
「そ、そうじゃのう! とりあえず強くしとくか!」
曖昧な答えで、話が終わった。
●
白い空間の中、巧と神の2人は別々の事をしていた。
神は巧に背を向け、虚空に向かって何やら話していた。これから巧が向かう異世界の神と対話しているのである。
一方の巧は踵を揃えた直立姿勢で、手は胸の前で合わせている。
合掌しながら、巧は心の中で呟いていた。
姉さん、姉弟で仲良くしてくれてありがとう。でも風呂出て素っ裸はそろそろやめようね。
お隣の富野さんご夫婦、名字が似ているせいで郵便物が入れ替わったり、ご迷惑をおかけしました。
親友のヨシオ、早く高山さんに告白しろ。そして爆発しろ。
同じく親友のユウタ、お前がホモだって適当な噂流したの俺なんだ、ごめんよ。
幼馴染のナオコ、小学校の頃シャツの中にイモムシを入れられたのが今でもトラウマです。
クラスメイトの羽山、先月清水さんの靴下盗んだのお前だろ知ってるぞ。
担任の竹園先生、ご教鞭ありがとうございました。ロリコン疑惑の真相を暴きたかったです。
学校のマドンナ桜木さん、あなたのブルマ姿は今でも脳内に保管されています。
そして、
父さん、落ち込んでいたときにいつも励ましてくれてありがとう。
母さん、いつもおいしい料理を作ってくれてありがとう。
みんな、今までありがとう。
「終わったかの?」
気がつくと、神が巧の前で立っていた。顔には笑みが浮かんでいる。
巧は目を開け、合掌を解いて、神の視線に答えた。
「はい。もう大丈夫です」
「前世の記憶を消すことも出来るが……必要ないようじゃの」
「はい……短い前世だったけど、楽しかったので。この思い出は残しておいてください」
「うむ……ではそろそろ始めようか」
巧に向かって左手が差し出される。
「富士野・巧よ。残る余生、達者で暮らすんじゃぞ」
「はい。色々ありがとうございました」
神の言葉に答え、巧は手を握り返し。
思考が揺らぎ始め、意識が遠くなっていく。暗くなる視界の中、神様は微笑んで、
「少し、お主に『特典』を付け加えさせてもらった。餞別じゃ。お主の向こうでの人生が素晴らしいものでありますように」
ほぼ暗闇となった意識の中、巧は思う。
ありがとう、神様。
みんな、行ってきます。
●
暗い通路が広がっている。
壁は石造りで、点々と壁に配置されているランプに火は灯っていない。じめじめとした空気が満ちていた。
その通路の一方、格子で区切られた小部屋がある。
牢屋だ。
いくつかの毛布と小さな木製の机が置かれているだけの空間で、壁に取り付けられた小さな格子付きの窓から月明かりが牢屋内を薄く照らしていた。
その牢獄の通路を歩く3人の影がある。
先頭を歩くのは巨躯の男だ。手入れのされていないぐちゃぐちゃの髪と伸びた髭を揺らしながら、手に鎖を持っている。
その鎖は2又に分かれ、その先は2人の女の首に繋がっている。鎖の繋がった鉄の首輪をつけている彼女らは、耳が左右に向かって長く伸びていた。
エルフである。
エルフの少女達の前、男が笑みを浮かべながらしゃがれ声で独り言を漏らす。
「しかしエルフとはツイてるぜぇ。美女のエルフなら非処女でも高く売れるからなぁ?」
語尾を上げながら、男は後ろをチラリと見る。
それに対する少女達の反応は対照的だった。
男から見て右側を歩く少女。ウェーブのかかった金髪を肩まで伸ばし、服装は胸や肩などの部分を鉄板で補強した戦闘服。やや釣り上がった青の双眸で男を睨みつけていた。
一方の左側の少女。男に対して怯えた表情を見せる顔は右側の少女に負けず劣らずで非常に整っている。薄茶色のローブを着込み、大きな青い目を恐怖に染めながら、癖の無いまっすぐに伸びた金髪を静かに揺らして男の後ろを歩いていた。
「外道が……!」
「はっ、まあ言えるうちに言っときやがれ。俺らは『従属の魔法』なんざ使えねぇが」
男を睨んでいた少女の悪態に男は立ち止まって振り返り、
「『調教』ってのは嫌いじゃねぇんだ」
「ひっ……」
「貴様……!」
怯える少女と激高する少女。
男はハッ、と笑い飛ばし、更に歩みを進めた。そして、
「おら、とっとと入りやがれ」
通路最奥の左手にある牢屋の格子を開け、少女達を中に押し込んだ。手に持った鎖を乱暴に牢に放り投げ、鍵を閉める。
「おい小僧、新入りだ。仲良くしてやれよ?」
男の声の先、丁度窓の下の壁際に、1人が座っていた。
醜悪な表情を浮かべた男が、
「先に言っとくが、『傷物』にしたらぶっ殺すからな。ま、一晩悶々としてるがいいさ」
下品な笑いを響かせながら、立ち去っていった。
残された少女達は、座る人間をチラリと見る。暗い部屋の中、座ったまままったく動こうとしないのは少年だった。
少年の服装は少女達にとっては不思議なものだった。首には少女達と同じ鎖付きの首輪がついているが、綿かと思った上の服は驚くほど白く着色されていて、ズボンの色は部屋が暗くてわかりづらいが、こちらも綺麗に着色されている。彼の横に乱雑に置かれているのも服だろうか、暗い色の布があった。
少年は顔をうつむかせている。前髪が少し長く、目元をうかがう事はできない。
そんな少年に、真っ直ぐな髪の少女が話しかけた。
「あの……」
「イリア様!」
「ララ、大丈夫よ。彼は暴漢には見えないわ」
「しかし……」
ウェーブ髪の少女、ララを嗜めた彼女――イリアは、再度少年に向き直る。
「大丈夫ですか? どこか具合が悪いのですか?」
イリアの問いに、少年は顔を上げることで答えた。少年の顔が仄かな月明かりで浮かび上がってくる。
やや細めの黒眼。彫りは深くなく、鼻も高くはないが全体的に整ったおり、その顔は『愛嬌を感じさせた』。
「どうして……」
「はい?」
少年は、富士野・巧その人だった。
「どうしてこうなったァーーーー!!!!!」