西郷の最後
とある説を元に構成してみました
二段構えの命
「うまくいくに越したことはなか」
明治6年、10月、西郷隆盛は板垣退助に語った
平和的に朝鮮を開国できればそれが一番良い
だが、もし自分が現地で斬られれば、それが戦の「口実」になる
国内で爆発寸前の士族たちに、新天地(土地)を与えるための命懸けの二段構えだった
しかし、大久保利通はそれを拒んだ
特命副使として欧米を巡り、その国力や技術に圧倒された大久保は、大陸まで乗り込んで泥沼化すれば、清やロシアに付け込まれ、日本は一瞬で植民地になる、今の日本に戦をする力はなく、内政優先しか道はないと冷徹に現実を見据えていた
政争に敗れた西郷は、一切の言い訳をせず、政府を去る決意をする
語れぬ本心
鹿児島へ下野した西郷を、血気盛んな若き武士たちが取り囲む
「なぜ政府を退いたのですか! 大久保どもなど力でねじ伏せればよかったものを!」西郷は沈黙した
腹の内では、大久保の「内政優先」が正しいと痛いほど分かっていた
自分が東京に居座り続ければ、征韓の火種が消えず、国が乱れる
だからこそ、自分が身を引いて熱を冷まそうとしたのだ
だが、それを口にはできない
士族たちの前で「大久保が正しい」と言えば、彼らは一瞬で「西郷は我らを見捨てた」と絶望し、制御不能になって暴発する、西郷はただただ沈黙を守った
何も語らず、ただ犬を連れて山を歩き、狩りをし、泥にまみれて畑を耕した
ここらでよか
政府による弾薬の極秘搬出をきっかけに、私学校の生徒らは政府の火薬庫を襲撃
西郷の沈黙も虚しく、追い詰められた士族たちは暴発し、西南戦争が勃発した
だが、西郷は彼らを見捨てなかった
突き放すという選択をすることもなく、彼らの最後の神輿となって薩摩の魂と共に滅びる道を選んだ
明治10年、9月24日、鹿児島・城山
降り注ぐ弾雨の中、銃弾が西郷の身体を撃ち抜く
崩れ落ちた巨躯を支える部下に、西郷は泥まみれの顔でこう言った
「ここらでよか」
生きてなだめ、火種を消すことはできなかった
だが、自分がここで死ねば、日本の「古い武士の世」は完全に終わり、近代化を突き進むことができる
すべての役割を終えた男が発した言葉だった
彼らの意気を一身にまとい共にいったのだ
首が落ちた瞬間、城山に静寂が訪れた




