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第13章 選ばなかった未来 後編




二人の間に、沈黙が流れる。




公園は、まだ明るい時間だった。


子供たちの遊ぶ声。


行き交う人々の話し声。


周囲に溢れる、明るい笑い声。


それらすべてが、


まるで何事もないかのように、


俺たちの無言の空気を包み込んでいく。



世界は、何も変わらず動いている。



けれど、俺と竜司の時間だけが、


その場で、静かに立ち止まっていた。


重い空気の中で、竜司が、ゆっくりと口を開いた。



「……カイト」



俺の名前を呼んでから、少しだけ間を置く。



「俺さ、一月になったら、福岡に行くんだよ」


その言葉は、もう決まっている事実として、静かだった。


「球団との打ち合わせとか、施設の見学とか、今後の生活のこととか……

いろいろ話しに行く」



俺は黙ったまま、ただ耳を傾けていた。


「なあ」


竜司は、俺の方を見て言う。


「お前さ、一緒についてこいよ」


胸が、少しだけ強く脈を打つ。


「高校だって、来年は自由登校だろ……、


時間、あるじゃん」


それは、決断を迫る言い方じゃなくて、


選択肢を差し出すみたいな声だった。




・




・




・




俺はまだ、うつむいたまま何も答えられずにいた。




しばらくして、


竜司は、震えた声で俺に語りかけた。




「……なあ、カイト。顔、上げろよ……」




俺は、何も言えないまま、ゆっくりと顔を上げる。


目の前の竜司は、ひどく、悲しそうな顔をしていた。


今にも泣き出しそうで、必死にそれを堪えている表情。


――竜司が、


人前で泣くところなんて、


俺はほとんど見たことがない。


試合中でも決して見られなかったその顔が、


今、俺に向けられている。



「……なんでさ」



竜司の声が、少し掠れる。


「……なんで、何も言ってくれねえんだよ……」


胸の奥が、きしむ。


「俺さ……」



一度、息を吸って。



「お前と、離れたくねえよ……」


視線を逸らさず、真っ直ぐ俺を見る。


「なあ、カイト……


 何か……


 何か、言ってくれよ……」



俺は、静かに口を開いた。


 「……竜司」


一度、息を吸う。


「俺もさ。俺も、お前のそばにいたい……」


でも――


気づけば、声は強くなっていた。


「……でも、俺とお前じゃ、進む道が違う……」



竜司が、黙って聞いている。



「……お前は、プロ野球選手になるんだろ……」


言葉を選ぶ余裕なんて、なかった。


「……プロになったお前に、そんな気軽に俺に会いに行く時間なんてないだろ……」


「練習もある。試合もある」


「どんなに時間を見つけようったって、


そんなの、簡単じゃない」


胸の奥に溜め込んでいた不安が、一気に溢れ出す。


「プロに入ればさ、新しい人たちも増える。


 チームの人間も変わるし、


 お前に関わってくる人間だって、


 全部変わってくる」


俺は、拳を握りしめた。


「俺だって、時間があれば福岡に行きたい……」


「……でも、福岡は遠い。


 飛行機だって、新幹線だって、


 時間もかかるし、金だって、かかる……」




声が、少しだけ震える。


「俺だって、大学に入ったら……


そんなに、バイトする時間もない」


「時間だって、きっと、今みたいにはない……」


言い終えたあと、胸の奥が、ひどく痛んだ。




「……」




竜司は、感情を抑えきれないまま言葉を重ねた。


「……なんだよ、それ……」



「何、言ってんだよ……」



声が荒れる。


「意味、わかんねーよ」




一歩、俺に近づく。


「それじゃあさ……」


唇を噛んでから、吐き出すように。


「もう、諦めるってことか?」


「……もう無理だって、そう言いたいのかよ」



声が震える。



「なんでだよ……」


「……なんで、そんな簡単に諦めるんだよ」



目が潤んでいる。


「最初からさ、もう無理だみたいな言い方して……そんなふうに、突き放すなよ……」


最後の言葉は、怒りよりも、


はっきりとした悲しさを含んでいた。



竜司は、震えた声で言った。


目は赤く、今にも涙が溢れそうになっている。


「……そんなの」


声が、思わず大きくなる。


「そんなの、分かんねえだろ……」


肩が、わずかに揺れていた。


「時間だって、金だって、俺がなんとかする。福岡に来れねえなら、俺がそっちに行く」



必死に、言葉を繋ぐように。



「もう……今から無理だって、そんなふうに決めつけるなよ」


「簡単に、諦めんなよ……」


最後の声は、ほとんど、叫びに近かった。



俺は、はっきりと口を開いた。


不思議なほど、自分でも驚くくらい、冷静だった。


「……俺はさ」


一度、間を置いて。




「お前のことが、好きだ」




その言葉だけは、迷いなく言えた。




「でも――」




声は低く、揺れない。


「……好きなだけじゃ、どうにもならないことだってあるだろ」


竜司が、息を詰める。


「お前は、プロになる」


「プロになっても、そこで終わりじゃない。


 ……お前の道は、まだ先に続いてるんだよ」




言葉を重ねるたび、胸が締めつけられる。


「お前ならさ……」


「一軍だって、レギュラーだって」


「人気選手にだって……、なれる」


それが本音だった。


「入ってから一年目は、一番大事な年だろ。


俺に会いに来る時間なんて、あるはずない」




その瞬間だった。




竜司の表情が、一気に変わる。


「……なんだよ、それ!」


突然、胸ぐらを掴まれた。


「さっきから!」


「お前、勝手に一人で決めつけて!」


公園の空気が、一瞬で張りつめる。


「俺の気持ちも知らねぇで……」


声が荒れる。


「お前が、勝手に決めてんじゃねえよ!」




周囲が、ざわつき始める。




「なんだ、喧嘩か?」


「高校生同士か?」




そんな声が、耳に入る。


そのとき――


「やめて!!」


蒼司が、必死に声を張り上げた。


「兄貴、やめて!」


「今、騒ぎ起こしたら……


 今、一番大事な時期だろ!」


その言葉に、竜司は、はっとする。




しばらく、固まったまま――


やがて、ゆっくりと手を離した。




俺は、涙を流しながら、竜司に言った。


「……俺さ」


声が震えるのを、止められなかった。


「お前のこと、本気で……本気で、好きだよ……」



一度、言葉を切る。



「たぶんさ……これから先、お前以上に好きなやつなんて、きっと、もうできねえと思う」


竜司を、真っ直ぐ見る。


「ガキの頃からだ」


「ガキの頃から、高校の今まで……


ずっと、お前と同じ道を歩いてこれた」


涙が、頬を伝う。


「……それだけで、俺は幸せだった……」


「高校野球もさ、お前と一緒に、全力でやれて。


学校生活も、ずっと一緒にいられて……」




声が、掠れる。




「……本当に、幸せだった」


そして、逃げずに言い切る。


「この気持ちは……」


「一生、変わらない……」




竜司は、一歩、後ろに下がった。


しばらく、


何かを言おうとしているようだったが――


やがて、短く息を吐いて、ひと言だけ告げた。



「……俺は、諦めねぇから」



それだけ言って、背を向ける。


「先、帰る」


竜司は、そのまま公園を後にした。


俺は、動けなかった。


公園から去ってゆく竜司の背中を、


黙ってみることしか出来なかった。



* * *



一月。


竜司は、福岡に行った。


あれから、俺と竜司が先の話をすることはなかった。




ただ――


「行ってくる」


それだけだった。




俺は学校に、必要な書類を届けに行く。


用事は、午前中で終わった。




春日部駅。


いつものホーム。




朝のラッシュが過ぎ、ひとときの平穏な時間。


空は雲一つない青い空


俺は、ホームのベンチに腰を下ろす。


アナウンスが流れる。



『まもなく、六番線に、各駅停車、岩槻方面、大宮行きが、参ります』



電車が、ホームに滑り込む。


俺は、それを見送った。


十分おきに、規則正しくやって来る電車。



――その光景を眺めながら、


俺は、思い出していた。



練習終わり。竜司と、二人きりで電車を待つ時間。


俺は、この時間が、一番好きだった。


竜司を、独り占めできる時間。




でも――




もう、竜司はいない。




もう、竜司と並んで、


このホームで電車を待つことは、ない。




俺は、ベンチに座ったまま、


声を押し殺して、静かに泣いていた。


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