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葉桜と少女

作者: リウクス
掲載日:2026/04/12

 薄紅色が緑に移り変わるその間だけ、葉桜は現れる。

 通りすがりの人たちは言った。

 「桜散っちゃったね」

 「またすぐに夏が来るよ」

 過去と未来、その狭間の「今」を見る人は誰もいなかった。

 葉桜は自分の存在する意味を見出せないまま、ただ曖昧で中途半端な世界を眺めていた。


 けれども、ある年の若葉が芽吹く頃、葉桜が佇む公園の一角で、一人の少女がこんなことを言った。

 「あったかいですね」

 その瞬間、葉桜の瞳に映る景色は様相を変えた。春先とも晩春とも呼べない時間が、確かなものになったような気がしたのだ。

 「そんなところで何をしているんですか?」

 葉桜を見上げて少女が問いかける。

 混じり気のない純粋な——いや、色んなものが混ざっていて、それでもなお透き通った彼女の瞳が、葉桜を真っ直ぐ見つめていた。

 「私を見ているの?」

 葉桜が少女に問い返す。

 枝が揺れて、花びらがひらりと舞い、彼女のまん丸な頭に落ちた。

 「あなたを見ているんですよ」

 根元から前髪の先までをつまんでなぞるように、そのひとひらを鼻先まで持ってきて、少女が葉桜に微笑みを向ける。

 葉桜は過去と未来のことを考えることができない。そんなふうに生まれてきた。だから、何かを覚えていても、思い出すことはできない。しかし、それでも確信があった。今自分が見ている景色を美しいと感じているのは、きっとこの少女のおかげなのだと。

 「それで、何をしているんですか?」

 再び彼女が問いかける。

 葉桜は多分生まれて初めての笑顔で答えた。

 「——君を探していたんだと思う」



 それから毎年、葉桜と少女は言葉を交わすようになった。

 「あったかいですね」

 「そうだね。風も気持ちいいね」

 「そうですね。空気がおいしいです」

 そんな取り留めもない、どこへも行かない、刹那的な会話が、二人にとっては心地よかった。

 少女の装いが変わっても、髪や背丈が伸びても、時期が来れば、二人は変わらず、その時感じたことを声に出していた。

 「綺麗ですね」

 「君もね」

 お互いの頬を撫でるような言葉が穏やかな空気に溶けていく。

 そうして葉桜はいつも満足そうに眠りにつくのだった。



 ある日を境に、少女は現れなくなった。

 葉桜は過去を思い出すことができない。だから、漠然と何かが足りないという感覚だけがあった。

 世界は美しい。だけど、満たされない。

 誰も自分を見てくれないから。

 自分の存在価値を認められないから。


 次第に葉桜の瞳に映る世界は色を失っていった。

 世界を美しいと感じることもなくなっていた。

 「もうすぐ夏が来るよ」

 誰かの何気ない一言に、酷く心が痛んだ気がした。



 それから何年か経ったある日、葉桜の元に一人の女性が現れた。

 彼女は覚束ない足取りで、辺りを見回しながら、不安そうに何かを探していた。

 立派な装いをしているのに、迷子の女の子のようにも見えた。

 葉桜は女性が右往左往している様をただ眺めていた。

 そうしている間に雨が降り始めた。

 周囲が薄暗くなって、空気が冷えていく。

 雨が降るたびに、葉桜の瞼は重くなる。

 水滴が枝に降りて、伝った先の花びらを落とす。

 その度に、葉桜は自分の意識がぼんやりと消えていくのを感じていた。

 そして、最後のひとひらが枝を離れると、少しの間空を揺蕩った後、そっと声をかけるように女性の頭に舞い降りた。

 女性は何かを見つけたように目を丸くすると、それから花びらをつまんで頭上を見遣った。

 葉桜は、過去を思い出せない。

 未来のことを想像できない。

 けれども、確信があった。

 女性は多分こう言おうとしていたのだ。

 「——あなたのことを探していました」

 眠りにつく直前、葉桜は少女の微笑みを見たような気がした。



 翌年、葉桜が目を覚ますと、そこには誰もいなかった。

 けれども、なんの変哲もないその景色が、葉桜には美しく見えた。

 何かが足りないのに、それと同時に十全であるような気がした。


 相変わらず、誰も葉桜のことを見てはいない。

 「桜散っちゃったなあ」

 「もう夏が来たみたい」

 過去と未来、その狭間を見る人は誰もいない。


 ——それでもよかったのだ。

 不思議と誰かが見ている気がしたから。

 誰かが自分のことを想っている気がしたから。

 今じゃなくてもいい。

 その場にいなくたっていい。

 いつだって、どこだって、人は過去と未来を想うことができるから。

 美しいのは、そこにあるものだけじゃない。

 探していたのは、見えているものだけじゃない。

 今あるものだけが、自分じゃない。


 葉桜には確信があった。

 自分はただここに居続ける。

 時折眠って、目を覚ます。

 それは一生変わらない。

 たとえ何かが変わっても、自分が葉桜であったことは変わらない。

 だからきっと大丈夫。


 誰にでも、どこにでも、いつでも、存在価値はあるから。

 ここで、今までも、これからも、葉桜は葉桜であり続けるのだ。

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