黄金の聖女
聖国イスタリアは霊峰ザザヌに三日月の様に囲まれた平地を国土に持つ天然の要塞国家である。
聖王と教皇を戴くが、どちらか片方に権力が集中しない様にと貴族や大司教からなる貴教院と共に政治を治める議会制となっている。
そのため霊峰を背にする王城内に議会場があり、聖堂教会の総本部、イスタリア大聖堂も城門から僅か数分の距離に有る。
そんなイスタリアにおいて神聖であり、国と宗教が密接になる始まりの地、王城の裏である霊峰ザザヌの山頂付近、最も空に近い場所に建てられ神殿がある。
ゴーズリァ神殿、かつて二柱の神を産み出しその身を世界へと変えたとされる親神の名を冠したは神殿の中は朝日の中、静謐な空気につつまれていた。
半球場の大理石で形造られた神殿は天井がついておらず、昼は太陽の光を取り込み、夜は月のひかりを取り込むように作れている。
円形の中心には様々な色付いた石材で太陽と月、天界と冥府の神が手を翳すように装飾がされた湧水があり、湧き出る水は甕に貯められ、甕から溢れた水は水路を通り神殿全体を巡った後、外の水路へと運ばれる。
遥か遠き戦乱の時代、長き戦いの中で多くの者が死に絶え、アンデットが各地を闊歩していた。
後の初代聖王と聖堂教会の開祖は二柱の神から啓示を受け、アンデットを退ける銀の力を持った湧水を求め旅をし、この霊峰に辿り着き国と聖堂協会を興した。
霊峰ザザヌの内にある銀鉱脈を通り、銀の力を多量に含んだ水はそれだけアンデット退けることが可能だが、心清き者が祈る事でその力は増しアンデットの魂をも冥府へと返す聖水へと変じる。
神はその時代最も心清き者であった開祖に世の安寧を祈る事を命じ、初代聖王はその祈りを邪魔させぬ為人を集め、聖水を恐れた力あるアンデットは大軍を率い霊峰を襲った。
聖王と開祖の下に集まった多くの者が自らの勇気と知識を以て大軍に立ち向かい、各地に蔓延るアンデットを届けられた聖水や自らの武勇で討伐していった。
その時に培った人材や技術を用い聖国は大陸一の信仰と治療魔術を有する国となったが、その力を使って大陸に覇を唱えるのではなく、生者には祈る心を、死者には安寧を与える為に、中立であり攻められなければその力を振るう事は無かった。
そして現在、祈りは時代を経て一人の少女に受け継がれいた。
黄金の髪を腰の迄伸ばし、月桂樹を模した銀の冠に一転の曇りもない白の霊装を身にまとい彼女は神殿の中心部、湧水の甕の前に跪き祈りを捧げていた。
彼女の緩い癖のある髪を朝日が照らす様に登って来たころ、彼女は立ち上がり、祈りに際して閉じられていた瞼の下からは髪に負けず劣らずの黄金に輝く瞳が中心部から一段下がった場所で祈りを挙げていた他の正教徒の一人に向けられた。
「おに…ラナスティラ聖堂魔術師長、神託が下りました。聖王陛下と教皇猊下、及び貴教院に急ぎ通達を出してください。私も神託を伝える為、議会場に参じます。」
鈴を転がした様な美しい声に僅かに焦りを滲ませ、黄金の少女は歩みを進める。それもその筈、神から声を掛けられるのは彼女が今の地位に選ばれ時以来だ。
ラナスティラと呼ばれた男も聖女と同じく長い黄金の髪と白いローブを揺らし立ち上がる。
「聖女様を一人で向かわせる訳にはまいりません。カイウル、急ぎ陛下達に報せを。ハーロイセ聖堂騎士長、聖女様の護衛を共に頼めるだろうか!」
「承知致しました。」
「勿論だとも、ラナスティラ卿!」
男の呼びかけに彼の傍にいた似たような意匠のローブを着た壮年の男が神殿の出入り口に急ぎ、鎧を纏い周囲の警備に回っていた楓の紅葉にも似た赤毛の女性騎士が応え毅然としその隣に並ぶ。
そして男、アンドリュー・ラナスティラは周囲にいた老齢の信徒に問いかける。
「オセリオン大司祭、祈りは貴方達に任せても問題ないだろうか?」
「勿論だとも。聖女様がいらっしゃるまではワシら信徒が祈りを捧げていたんだ。お前さん等がおれば聖女様は安全じゃろうて。ここは任せて行ってくるといい。聖女様も祈ってばかりじゃワシのように腰を痛めるかもしれんからな。」
聖女に比べると幾らか簡素な装いをした老齢の男性は朗らかに笑い冗談交じりにそう答える。その言葉に苦笑いを浮かべると、アンドリューとハーロイセ聖堂騎士長は目配せをし互いの部下に次の支持を出す。
「魔術師隊!第四班をこの場の警備に残し騎士の後衛に回れ!」
「騎士隊!この場の警備は魔術師隊第三班と防衛隊に任せる!指揮は副騎士長が執り隊列準備!私とラナスティラ卿が聖女様の近衛に回る!」
周囲へ指示を出し終わり前を二人が聖女の周りに侍り、騎士隊三十一名、魔術師隊九名が指示を受け迅速に自ら持ち場に移動する。一切の乱れなく隊列を組んだ彼ら見た後アンドリューはこの場に残った者たちへ声を掛ける
「この場の守護は防衛隊と第四班に任せた!」
「「「「「はっ!!!!!」」」」」
額に左の拳をあてる聖国式の礼にその場に残された防衛隊員と魔術師隊も同じ動作で返礼する。
オセリオン大司祭達その場に居た高位信徒も聖女を囲んだ部隊に膝を折り礼をしながらその無事を祈る。
その中に居てニヤリと笑いオセリオンは聖女に朗らかに声を掛ける
「聖女様もお役目はあろうが偶には大好きな兄ちゃんに甘えても罰は当たるめぇよ。ついでに下で茶でもシバいてきなぁ!」
「オ?!オセリオン様!!?」
彼の言葉に神妙な顔付をしていた聖女の頬が真っ赤に染まる。
僅かに張り詰めていた空気が弛緩し、部隊員の緊張が解け、肩の力を抜いて微笑まし気に聖女を見やる。
その様子に苦笑しながらアンドリューは副騎士長に部隊を預け進み出す。
「ぷははっ!流石はお爺様だ!部隊の扱いはお手の物だね、そう思うだろうアンディ?」
ハーロイセ聖堂騎士長が笑いながらアンドリューに男勝りな話し方で喋りかける。しかし先ほどまでの毅然とした態度ではなく朱に染まった口元は緩く弧を描き、古くからの友人に語り掛けるように気安い。しかしアンドリューは応えず、彼女は無視を決め込んだアンドリューから標的を聖女に変える。
「カーラぁ!酷いと思わないかい!?婚約者がこんなにも熱烈に話しかけているのに無視なんだよこの男はぁ!!」
「きゃ!?キャシィ姉様!!?」
彼女に肩をつかまれ頬ずりされカーラと呼ばれた聖女は再び顔を真っ赤に染める。その様子にため息を一つ吐きアンドリューは聖堂魔術師長として彼女に話しかける。
「キャサリン・ハーロイセ聖堂騎士長…今は職務の最中だろう。聖女様に対してもあまりに気安過ぎる。聖堂騎士長として他の隊員に示しが付かないだろう。慎んでは如何かな…?」
先ほどまでの口調よりも嫌味を込めて発言している彼に額には僅かに血管が浮き出ていた。
その返しにキャサリンはさらにムクれつつ自らの手の内に居る少女に軽く抱き着き尚も問いかける。
「この間は急な仕事が入ったってデートすっぽかしたんだよぉ!酷いよねぇカーラぁ」
「キャシィ!?本当に急だったのだから仕方ないだろう!?」
その問いかけには流石のアンドリューも平静を保てず叫ぶように彼女の言葉を遮る。尚その急な仕事を知っている魔術師隊の面々は苦笑いを隠せず、騎士隊の者たちも我慢できずに肩を震わせている。
その様子に聖女は自らの緊張をほぐすために彼女がふざけているのだと思った。
「ありがとうございますキャシィ姉様。少し気分が楽になりました。」
「ふふ、いつもの調子が出たね。こんなイスタリアの中枢に入って来れる奴なんて居やしないさ、ましてや他の隊員や私とアンディを抜いて君が害されるなんて有り得ないね!」
ここに至ってアンドリューは自身が出汁にされたことに気付き、周りを見回して咳ばらいする。周囲の騎士や魔術師は素知らぬ顔をし隊列を崩さず進む。
ちらとキャサリンはアンドリューの様子を流し見たあと気になったことを少女に尋ねる。
「カーラがそんな暗い表情するなんてどんな神託が下ったんだい?酷い顔してたよ?」
心配そうにキャサリンが顔を覗き込むとまた僅かに少女の表情が曇る。そして僅かに臆する様に神託の内容を語りだす。
「今回の信託は『アマステア平原の速やかなる平定をせよ、彼の地は生と死が反転してしまっている』と…。」
その言葉にその場にいた誰もが苦い顔をする。聖国の成り立ちから考えても彼の地は最も恥ずべき忌地と化している。その戦場にいた彼らからすれば終結を急げなかったこと、多くの命を奪わざるを得なかったことが悔やまれる。そしてその地に手出し出来ない理由に歯噛みする。
「我らが神様も無茶を言うね。今動けばまた帝国とまた剣を交える事になる。」
彼女の言う通り戦争に勝てず、聖国との最も近い戦端を失った帝国はまるで嫌がらせをするかの如くアマステア平原に聖国が入ることを咎めてくる。その証拠に平原の手前にあった補給基地を増築し簡易の砦を建ててまで牽制してくる始末だ。
聖国の議会が今紛糾しているのも主に帝国への対応に追われているからだ。
だがキャサリンは難しい顔をすると同時に少女の表情からそれだけではないのだと察する。
「何か他にも不味いことがあったんだね?」
キャサリンとアンドリューの顔を交互にやり少女はその顔に恐怖を浮かべながら神託続きを語る。
「『これ以上彼の地を放置することは罷り通らぬ。生と死が反転し放置されたが故一時的に冥府への道が揺らぎ天界でこれを閉じた。これ以上の干渉は出来ぬ故あとは人間の手により対処せよ。また冥府の門が開いた時一人の脱走者が出た。名をガラドと云う。』」
「まさか!?」
神託を語る少女の言葉をアンドリューが遮った。知った名が、自らが手に掛けた者の名があがったことに驚き目を見張る。常にない彼の動揺に少女の顔が信頼する二人の間を行き来する。
キャサリンも珍しい婚約者の表情に驚きも顕わにアンドリューに問いかけた。
「珍しいじゃないかアンディがそこまで動揺するなんて?帝国の猛将か何かかい?」
問いかける彼女に応える代わりにアンドリューの手がキャサリンと彼女が手を置いたままの少女の肩に重ねられる。普段の職務中なら考えられない彼の行動に彼女達もまた目を見開く。そして重ねられた手が微かに震えていることに驚きを隠せないで居た。
苦い顔をしたアンドリューは左頬に突っ張る感覚が有るのを感じる。単独で行動し負った傷は自らの炎と青年の拳で焼かれ、部隊に復帰した際に治療を受けたが完治はしなかった火傷の跡に触れる。
「ガラド…あの世で待っているのでは無かったのかい…」
周りが見えていないかにように呟かれた寂しさを感じる独り言に誰も声をかけることができなくなった。




