迷宮狂いからの報せ
マーグナジア帝国首都マグナス。
初代皇帝アルヒリオ・ジッダ・マーグナジアが生まれた地であり、彼が最も愛した故郷。
六百五十四年続く帝国の歴史と富の終着点となっており、帝国内で起きる全ての事象がここで決められると言っても過言ではない。
皇城を中心に円形に広がる街並みは幾度も区画整理と拡張を繰り返されて、家屋の外壁は白く屋根は青に彩られることが義務付けられた景観は一部の隙すらなく都市機能と美しさを保たれている。
そんな帝都の昼下がり、一番の大通りを早馬が走り抜ける。
皇室の直属部隊である騎士が乗った馬は危急の報せを運ぶ際には何よりも優先されて帝都内を駆ける事を許可されている。
彼が齎した書簡はいち早く皇城に届けられ、内容を認めた宰相から帝国内でも指折りの権力者達に緊急の招集が掛けられる。
政を司る宰相。
軍事を司る元帥、騎士団長、宮廷魔術師長。
財政を司る財務相。
最初に並んで会議室に姿を現したのは元帥と騎士団長の二人だった。
彼等は国内の警備なども統括しており、早馬が帝都に入った時点で既に動いていたのだ。
「珍しく狸爺が焦っていたからな。何があったのか楽しみだわい。」
「グレイラット元帥、あまり大声で言うことではありません。」
「だっはっはっ!潔癖が過ぎるぞダッガード騎士団長!遊び心くらい持たねば気が滅入るぞ。」
普段は冷静に物事を進める宰相が発した緊急の招集を笑い飛ばすのは帝国軍元帥ダハド・ナル・グレイラット侯爵だ。
軍服の中に巌の様な分厚い筋肉を無理矢理収め、禿げ上がった頭を輝かせながら相好を崩す。
人好きする笑みを向けられながらも表情を一切動かさず彼の隣に座っているのは騎士団長メイルード・ナル・ダッガード侯爵。
隊服に身を包んで細い切長の瞳を真っ直ぐに会議室に準備されていた書類へと向け、撫で付けられた黒い髪は線を引いたように整えられている。
元帥の言葉を騎士団長が受け流していると議会室の扉が開いて紺色に銀糸で装飾を施されたローブに来た女性が入室してくる。
「これはこれは元帥閣下に我が愚弟ではありませんか。間に合いまして?」
「ヌートリテ宮廷魔術師長。職務中だ、慎みたまえ。」
「お前さん等、相変わらず仲悪いな。」
先に中で座っていた二人に嫋やかに笑い掛ける女性の言葉に騎士団長は眉間に皺を寄せて苦言を呈する。
交わった二人の視線は火花を散らし、それを見た元帥は呆れて眉を下げる。
宮廷魔術師長ディアーヌ・ハラ・ヌートリテ魔術伯。
愚弟と語った事からも彼女は騎士団長メイルードの姉であり、宮廷魔術師長の座を勝ち取り魔術伯の爵位を得た折に実家であるダッガード侯爵家から籍を外している。
不規則に巻かれた艶やかな黒髪を揺らしながら席に着いたディアーヌはローブの袖で口元を隠して同じ藍色を宿す瞳を睨め付けた後に元帥に朗らかに笑いかける。
「今更ダッガードの脳筋と一緒にされては嫌ですわ元帥閣下。」
笑顔で毒を吐く彼女に元帥の顔も引き攣る。
険悪な雰囲気の二人の視線に会議室の空気が澱む。
二人の対立は帝国内でも広く知られており、間に入ってしまった元帥は面倒そうに禿げ上がった頭を掻く。
元帥からすればかなりの長い間、会話が無くなりどうしたものかと思っていると会議室の扉が開いて二人の人物が入ってくる。
「皆の衆、急に集まってもらってすまんのぅ。」
先に席に着いていた者達に比べ豪奢な衣服に身を包む白い髪と切り揃えられた髭を蓄え杖をついた老人が居並ぶ者達へ謝罪を口にする。
宰相ガヘード・ハロ・ロードル伯爵。
半世紀もの期間、帝国の政を牛耳る怪物。しかし皇室への忠誠心は本物であり、陞爵すら蹴って国の舵取りに専念している帝国随一の忠臣である。
そして彼の後に入室してきたのは財務相ミロー・ドム・エーカー公爵。
宰相の教え子にして次代の舵取りを任せるに足る秀才で、家柄も考慮すれば宰相よりも早く地盤を固める事が出来ると目されている。
濃い茶髪に眼鏡の奥に鋭く光る亜麻色の瞳は会議室の澱んだ空気と困り果てた元帥の表情を見て取ると、ため息を吐きながら注意を促す。
「ダッガード卿、ヌートリテ卿。控えなさい。間も無く陛下も御来室なされる。」
火花を散らしていた二人は財務相の言葉に同時に視線を外し大人しく書類に目を向ける。
あまりにも子供染みた二人の行動を笑いながら宰相が席に向かうと彼の椅子を財務相が引いて着席する。
財務相が宰相の隣に着席すると元帥が彼等に彼等に話しかける。
「宰相、定例会議でも無いと言うのに儂等を集めたのはどう言う訳だ?」
「ほっほっ。グレイラット卿は相も変わらず書類嫌いじゃのぅ。」
「字が細かい。歳を取るといかんな!」
二人がそんな会話をしていると議会室の扉が勢いよく開かれ、赤い下地に金糸で竜の鱗の様な紋様を刺繍を施された礼服を着た壮年の男性が苛立った表情を隠しもせずに入室して来る。
彼の姿を見た室内の全員が席を外して首を垂れようとするが手だけで制して用意された席へと彼は急ぐ。
額に汗を浮かべ会議室の最も奥の席へと座った彼こそがマーグナジア帝国絶対の法。
十七代皇帝アドルフ・ジッダ・マーグナジアその人である。
「ガヘード。叔父上が言っていることは誠か?」
「仔細の確認は取れてはおりませぬなぁ。しかしトライセラ卿が態々早馬を用いて報せを届けて下さったのです。事実でしょうな。」
皇帝は宰相の言葉に眦を吊り上げて元帥を睨むと怒声を上げる。
「どうなっているグレイラット!!倅の教道もままならんか貴様!!」
皇帝の怒りを向けられた元帥は訳が分からず慌てた様子で膝を突いて頭を下げる。
元は緊急の呼び出しをした宰相を揶揄ってやろうと考えていた彼にとって、突然自分に矛先が向いた形となり書類に目を通していなかった事が悔やまれる。
「も、申し訳ありません陛下!」
「ほっほっ。陛下、グレイラット卿はまだ書類に目を通されておらなんだ。お怒りは分かりますが抑えてぐたさりませ。」
膝を折る元帥を冷たい目で見やる宰相はそう言って皇帝を宥め、書類を手に取って事の詳細を話出す。
「此度の早馬はデエヒを治めるトライセラ太公より齎されたものじゃ。」
トライセラ太公。
先代皇帝の兄だが真っ先に皇位継承権を放棄して迷宮に入り浸った変わり者の皇族。
皇位には然程の興味も示さなかった彼は太公の位と共に当時入り浸っていた迷宮のあるデエヒを直轄領として求めた。
皇位継承を争う必要の無くなった先代皇帝がこれを認めた事によりトライセラ太公が治める事となったデエヒは、帝国内でも最も栄えた迷宮都市へと成長した。
普段は一切帝国内の政への干渉を嫌う人物が早馬を駆けさせてまで届けた急報。
そこに自分の息子が関与していると察した元帥の禿頭が冷や汗で更に光る。
「元帥、其方の三男が上げていた報告に虚偽が見つかったそうな。戦場にてイスタリアの聖堂魔術師長が急襲してきた際、分隊長を一人盾として逃げ出したとな。」
元帥の三男であるダイノ・グレイラット。
自分の息子達の中で最も怠惰で、実力主義の軍の中にあって全く日の目を見なかった倅が漸く持ってきた戦果に虚偽があった。
冷や汗に濡れていた元帥の禿げ上がった頭に血管が浮き出る。
「ロードル!何を証拠に言っている!!息子の手柄に泥を塗るつもりかぁ!!」
「死した分隊長本人がアンデットとなって証言したらしいぞい。その者の生前からの知り合いである迷宮探索者が偶然その者と出会い当時の事を話したそうな。」
デエヒ迷宮都市はアマステア平原からの距離が最も近い。
立ち入りの禁を破った探索者が出てもおかしくはない。ましてや彼の地の実情はここに居る誰もが知っている。
戦場となったアマステア平原は魔力場が狂い、アンデットが無数に跋扈する無法地帯と化した。
だがだからと言ってアンデットの言葉を鵜呑みにするなど元帥には信じられない話だった。
「死霊の戯言に騙されるなど良くある話ではないか!」
猛る元帥に鋭い視線を向けて宰相が床を杖で叩いて声を張り上げる。
「問題はそこでは無いわ愚か者!!!」
痩せた老人の体から発せられるとは思えない圧力が会議室の中に充満する。
漏れ出る魔力で白い髪と髭を揺らす宰相は手に持った書類を丸めて元帥へと投げつける。
普段ここまでの怒りを見せない宰相の暴挙に場にいた全員が凍りつく。
先の皇帝よりも眦を吊り上げ怒りを露わにする宰相は書類の内容を事細かく元帥に言って聞かせる。
「件のアンデットの種族はスケルトン。そもそも喋る種ではない!特殊個体の報告は探索者の義務じゃ!トライセラ太公は組合長として話を聞いたに過ぎん!」
彼から漏れ出る圧力と魔力に会議室の机に罅が広がり軋んだ音を立てる。
財務相は見た事もない師の様子に顔を青くして止めに入る。宰相は高齢でこれ以上の怒りは彼の体に障ると判断したのだ。
「ガヘード翁!気を鎮めてください!陛下の御前です!」
「ふぅ…ふぅ!申し訳御座いません陛下。みっともない姿をお見せいたしました…。」
教え子の静止に肩で息をしながら深く椅子に座り込んだ宰相は取り乱した事を皇帝に謝罪する。
先先代から仕える忠臣の見た事もない姿に驚きながらも皇帝はそれを許す。
「良い。お主の怒りは分からんでもない。」
宰相と皇帝の様子から元帥は急いで投げつけられた書類を広げた内容を確認する。
そして見た内容に絶句し、赦しを乞う為に両の膝を折って皇帝に首を垂れる。
「申し訳御座いませぬ!申し訳御座いませぬ!!」
顔を真っ青にして今にも自刃しかねない元帥を見て両者も怒りを飲み下して今後の指針を決める為に話し始める。
「グレイラット。貴様の息子の命は諦めろ。」
「はっ!仰せのままに!!誠に!誠に申し訳御座いませぬ!!」
「もう良いわ!喧しい故さっさと座らんか!!」
先程までとは違い巌の様な体を小さく縮める元帥を無視して宰相が話始める。
「トライセラ太公がこの報せを届けて下さらなければ更に後手に回るところでしたわい。」
だが、この会議室で事態の重要性がまだ分かっていない者達がいた。騎士団長と宮廷魔術師長、財務相だ。
彼等は他三人よりも若く世代交代の最中であり、今回書類に記されている人物に心当たりがなかったのだ。
「この厄嗤と言う御仁に一体何が…?」
騎士団長は被害に遭った分隊長の師に当たる人物が帝国への敵対を宣言したと書いてある部分を指して疑問に思う。
一個人が敵対したからと言って広大な領土と兵を誇る帝国に取っては何ら痛痒は無いのでは無いかと。
宰相は曾孫世代に彼が知らないのも無理は無いと思いながらもその人物が過去行った事を簡素に語る。
「帝都の近くに有るカイル湖は其奴が魔術で大地を穿った為に出来たんじゃよ。」




