第2話 告白
このゲーム――『絆結びのダンジョンアタック』の世界観は、ダンジョンが多く出現した現代日本を舞台にしている。
ダンジョンの中には様々な資源が眠っていると同時に、多くの魔物がひしめいている。主人公はそこに足を踏み入れて探索する者たち――〈探索者〉を目指して、専門の学院で訓練を受けているのだ。
今日は〈探索者〉になるには必要不可欠な免許を取得するために研修を受ける日になっている。物語が始まると、彼は家を出て登校し、スキル診断を受けた後にバスで遠方のダンジョンに向かい、そこで研修を受けるのだが――。
その研修が終えた直後に、大地震が発生することになる。
それに混乱する生徒たちは、やがてあるニュースを知ることになる。
主人公が暮らしていた街が、ダンジョンに呑まれてしまう――という情報を。
(そしてカルアもまた、ダンジョンの中に囚われてしまう)
この物語は彼女を取り戻すという目標の元、様々なダンジョンやクエストに挑むというシナリオになっている。だからこそ、彼女はこのゲームに欠かせない重要なヒロインであり、攻略順序も最終盤に当たる。
つまり、この先待ち受けているのは――カルアとの離別。
蒼馬とカルアはこの日を境にしばらく会えなくなってしまうのだ。
「はい、兄さん。お待たせしました。お弁当です。ダンジョンでぜひ食べて下さいね」
そんなことを露知らず、玄関でカルアはにこにこと嬉しそうに笑い、両手でお弁当を差し出してくれる。ああ、と蒼馬はぎこちなく笑いながらそれを受け取った。
「ありがとう。カルア――本当に」
「いえいえ、ふぁいとっ、ですよ。兄さん」
無邪気に両手でガッツポーズをするカルア――その姿が愛おしく、同じくらいに胸が痛む。その視線を引きはがすように頷き、蒼馬は玄関の扉に視線を移す。
(――きっと、この外に出たら……もうこの家には戻れない)
そういう予感があった。よく言うところでの、運命の強制力、だろうか。
ここから一歩足を踏み出せば、運命の流れにもはや逆らうことができない。
この家はダンジョンに呑まれ、カルアと引き離されてしまう――。。
そう、このままでは。
「……兄さん?」
蒼馬はゆっくりと振り返り、カルアを見る。彼女は目をぱちくりさせ、きょとんと首を傾げた。その彼女に向き直り、真っ直ぐに目を見つめる。
(――そんなこと、認めるわけにはいかない)
ゲームのシナリオでは、囚われた彼女はすぐに魔物に襲われることはない。この家は探索者だった両親が張った結界がある。だからこそ家に入ることはできない。
だが、それが保つのは三十日まで。それを過ぎれば悲惨な運命が待つ。
その恐怖の中に、愛する義妹を置いておくなどできるはずがない。
「カルア――よく聞いて欲しい」
蒼馬は前置きしながら思考を整理し、ゆっくりと言葉を続ける。
「恐らくだけど、今日中に地震が起きて――ここら一帯がダンジョンに呑まれる」
「……え」
真紅の瞳が見開かれる。微かに揺れた目を真っ直ぐに見て蒼馬は続けた。
「この先起きることを知っているんだ。俺は。だからカルア――」
そこで思わず言葉が止まる。カルアに、どうしてほしいんだ?
ここから逃げろ、か? 一体どこに?
一緒に来てくれ、か? どうやって学院の人たちを説得する?
一緒に逃げよう、か? それも、一体どこへ?
そもそも、蒼馬はゲーム開始時、まだ見習い程度の力を持っていない。正しくは潜在的に持つスキルがあり、今後はそれを駆使して無双することにはなるのだが。
それらに必要なのは、ヒロインたちの絆を結ぶこと。
今、誰一人として絆を結んでいない蒼馬は、あまりにも無力なのだ。
このままだと、カルアを守れない。その事実に唇を噛むと、カルアはふと眼差しを和らげ、そっと蒼馬の頬に手を伸ばして告げる。
「ありがとう、兄さん。教えてくれて。でも、大丈夫です」
「――カルア……」
「分かります。兄さんが冗談を言う人じゃないのはよく知っています。だから何かしらの根拠があって仰っているのでしょう。例えば予知夢とか」
突拍子もない言葉をカルアは受け入れてくれながら、彼の頬を撫でる。
その小さな手が触れるだけで、心が和らいでくる。カルアは目を細めながら言う。
「それでも、私はここに残ります。だって、ここはお父様とお母様の結界が張られた家――魔獣なんて入って来られません」
「でも、カルア――結界がいつまで保つか分からないのに……」
「大丈夫ですよ」
不安を口にする蒼馬に対して、カルアは天真爛漫な笑顔と共に、一点の曇りのない眼差しで蒼馬を見つめる。それから微かに頬を染めて小さく告げる。
「兄さんが助けに来てくれるって――信じていますから」
その声に胸が詰まる。目を見開いた蒼馬に、でしょ? とカルアは悪戯っぽく続ける。
「それとも兄さんは、私を助けに来てくれないのですか?」
「そんなわけあるか……っ! 地の果てでも助けに行く……!」
蒼馬が反射的に答えると、心から嬉しそうにカルアは微笑んで頷いた。
「なら、私は大丈夫です。兄さん、心配しないで行ってきてください、ね?」
「――カルア……」
背中を押すような優しい言葉。胸の中で感情が渦巻き、何も言えなくなる。
迷う彼を急かすように、居間の方から時計の音が鳴り響く。ほら、兄さん、とカルアは笑いながら肩に手を添え、身体を回転させる。
とん、と軽く背を押す感触と、目の前に近づく扉。
彼は促されるままに扉に手を伸ばし――。
瞬間、ぱっと脳裏に複数の光景が過ぎった。
孤独に震え、兄の名をひたすらに呼ぶカルアの姿。
三十日が過ぎ、結界が崩壊。魔獣に襲われて悲鳴を上げる彼女。
肉腫の中に埋もれ、ただ手だけが力なく伸ばされ――。
――バッドエンド。
(――ああ)
無理だ。行けない――蒼馬は悟り、ドアノブから手を離す。同時に振り返り、後ろに立つカルアの身体を抱きしめていた。
「に、兄さん……っ?」
上擦った声をあげるカルアに対し、蒼馬は首を振りながら言葉を絞り出した。
「……カルアを、一人にできない。絶対に」
「兄さん……う、嬉しいけど、でも……」
困惑を滲ませるカルア。蒼馬は少しだけ身体を離し、彼女の目を見つめる。
目が合うと、彼女は顔を真っ赤にして視線を泳がせていた。ちら、と目が合ってはすぐに逸らし、もじもじとその場で膝を擦り合わせる。
その可憐な姿に自然とその言葉がこぼれ出た。
「――好きだ」
その言葉にぴたり、とカルアの動きが固まった。泳いでいた真紅の瞳が蒼馬を見つめて大きく見開かれる。その愛らしい表情と眼差しを見ると、もう駄目だった。
ゲームに転生してから、ずっと抱いていた感情。
いや、それ以前から抱いたかもしれない感情が込み上げてきて。
(気持ちが、止まらない――)
「ずっと――ずっと、好きだった。カルアのことを一人の女性として」
初めてプレイしたときから、一目で惚れたキャラクター。
だからこそ初見プレイのときに彼女を失ったときは絶望したくらいだ。次は周回プレイのときは必ず救い出すと誓い、ひたすらにやり込んだ。
だからこそカルアに対する思い入れは深く。
その思い入れが気持ちとなって溢れ出してくる。
「いつも支えてくれるところも、笑顔で励ましてくれるところも、ここぞというときで芯が強いところも――好きなんだ。本当に」
吐き出した言葉にカルアの瞳が大きく揺れる。彼女が口元を抑え、瞳を潤ませる。その様子に蒼馬は思わず我に返った。
「わ、悪い、カルア――俺……っ!」
熱量に任せてとんでもないことを口走ってしまった。慌てて距離を取ろうとした瞬間、彼女の身体が弾かれたように動いた。腕が首に巻き付き、胸に軽い衝撃が走り――。
唇が、触れ合う。
(――あ……)
熱く柔らかい感触。それに息が止まりそうになる。目を見開けば、間近な距離で瞳を閉じたカルアの顔があった。長い金色の睫毛が揺れている。
その触れ合いは数秒間――だけど、信じられないくらい長く感じられて。
やがて、そっとカルアは唇を離すと、目を開けて赤らんだ顔でへにゃりと笑った。
「――嬉しいです。兄さん……同じ気持ち、だったんですね」
「……カルア……」
間近な距離で見つめ合う。彼女は額をこつんと合わせると、小さな声で言う。
「兄さん――兄さんのこと、私も好きです。一緒に過ごすたびに惹かれていて、でも私たちは兄妹だからって思って自制していました。でも、気持ちを抑えようとすればするほど――夢の中でいろんな光景を見るんです」
「……夢の中で」
「はい――その中で兄さんと何度も冒険してきた気がします。おかしいですよね、私は探索者ではないのに……」
少しだけ恥ずかしそうにはにかむカルア。蒼馬はその目を見つめながらふと思う。
(――もしかして、カルアの中にも記憶があるのかもしれない)
何度も周回しながらプレイしてきたその軌跡の断片が、もしかしたら。
カルアは熱っぽく吐息をこぼすと、蒼馬に抱きつく腕に力を込める。
「不思議です。兄さんと触れ合うのはこれが初めてじゃないはずなのに、こんなにどきどきするなんて」
「――俺もどきどきしている。だけどそれ以上に……嬉しい」
こうしてカルアに触れられることができる日が来るなんて。
何度もプレイした思い出が、そのまま想いになっているのかもしれない。それだけに熱く胸が震えている。蒼馬とカルアは視線を合わせれば、互いの気持ちが伝わり。
吸い寄せられるように、再び唇が重なり合う――。
『〈有坂蒼馬〉と〈カルア〉の絆値が上昇しました』
『潜在スキル〈絆を力に〉が顕在化されました』