第1話 目覚め=転生
青年の視界に入ったのは、台所で料理をする少女の姿だった。
紺のミニスカートを揺らし、ハミングをこぼしながら手際よく包丁を動かしている。その髪は黄金を溶かしたような長い金髪で、彼女が動くたびに優雅に波打つ。
その彼女がふと振り返る。その整った顔立ち――見慣れているにも関わらず、あまりにも美少女さに思わず目を奪われてしまう。
一方で彼女は真紅の瞳を仕方なさそうに細めると、小さな唇で弧を描く。
「おはようございます。蒼馬兄さん。お寝坊さんですね」
透き通るような声。背筋が甘い刺激が走り、何故だか泣きたくなる。
だが、それを押し殺すと、青年は微笑みを繕う。
「……ああ、おはよう。カルア。少し夢見が悪くて」
「そうでしたか。大丈夫ですか?」
「うん、もちろん――朝食、もうできるかな。何か手伝う?」
「大丈夫です。リビングで待っていて下さい」
そう告げた彼女は料理に向き直る。コンロに置かれた鍋の中身をお玉で掬い、軽く味見をしている。その姿はとても既視感がある。
青年がやってきたゲーム――そのCG画像に丸っきり一緒で。
やはり、と確信する。
(――ここはエロゲ……『絆結びのダンジョンアタック』の世界なんだ……)
どうやら、彼はその世界に主人公として転生してしまったようだ。
青年の名は、有坂蒼馬。二十八歳会社員。身寄りはなく天涯孤独。
独り身の彼の趣味はエロゲ。休日は食料を買い込み、様々なエロゲに没頭していた。彼が特に好んでいたのは、色気やエロが多いゲームよりもRPGや冒険要素を含んだゲームだった。
仲間たちと冒険しながら仲を深め、恋仲になる。その過程が加わった上でのHシーンを見るのを蒼馬は好んでいた。
中でもプレイ時間が多かったゲームが『絆結びのダンジョンアタック』――通称、〈キズムス〉と呼ばれているエロゲである。ダンジョンを攻略しながら、仲間たちを絆を深めていくRPGとADVが融合したようなゲームである。
RPG要素はかなりの難易度であり、レベル上げはもちろん、仲間と絆を深めることで解放されるスキルを駆使する必要がある。一方でADV要素になるストーリーもかなり作り込まれており、完成度はかなりのもの。それでいてルート分岐もしっかり作られており、評価はかなり高い。
苦楽を共にしたヒロインと想いを通わせ、そして身体を重ね合う。それだけに感慨も深く、ルートによっては契りを交わした後の悲痛な展開も待っており、それが涙を誘う。
一言では言えないドラマが詰め込まれた作品であり、熱狂的なファンはかなりやり込んでいる。
蒼馬もまたその一人であるがために、違和感から確信に至るのは難しくなかった。
(……最初は半信半疑だったけど、ここまで来ると間違いないだろうな……)
目を覚ましたときはかなり混乱した。
何せ見知らぬ部屋で、自分の姿が若返っていたのだ。ただ、手元にあったスマホには見覚えがあった。〈キズムス〉に出てくるデバイスだと気づけば、すぐに状況を理解し始めていた。
だが、それでも半信半疑。そこで疑念を裏付けるためにリビングに向かえば。
そこで、見知った少女の姿が目に入ったのである。
その姿は間違いなく、〈キズムス〉のヒロインの一人、義妹のカルアであり、ゲーム内で何度も攻略してきた人物の一人。
彼女と実際に言葉を交わすことで確信してしまった。
ここが〈キズムス〉の世界だと。
(まぁ、まだ夢である可能性は否めないけど――)
蒼馬はリビングの椅子に腰を下ろし、台所で動き回る少女の姿を目で追いかける。そこから漂ってくる朝食の香りや腹が減った実感が現実だと告げてくる。
(ただ、そうなると俺はこの世界の主人公、ということか)
キズムスの世界ではプレイヤーが任意の名前を入力することができる。
だから、恐らく名前は引き継がれ、有坂蒼馬という名前となっているのだろう。スマホデバイスを取り出してみると、日付はすぐに分かる。
七月三十日――この日からゲームシナリオが開始されるはずだ。
チャットアプリを開けば、数人の名前が登録されている。
(有坂カルア、米原愛莉、長野千里――このときに知り合っているヒロインもいる)
シナリオ通りに行けば、この子たちを攻略していくことになる。
(……攻略)
その言葉を思い浮かべ、何気なく視線をカルアに向ける。
カルアはまだ楽しそうに料理を続けている。その生き生きとした表情には目を奪われてしまう。それもそのはず、〈キズムス〉で蒼馬が一番好きなヒロインだからだ。
有坂カルア。ゲームでは主人公の義妹に当たる。
当然、攻略キャラの一人であり、ゲームサイトの人気投票一位でもある。
彼女の両親は海外の事故で亡くなっており、友人である主人公の父親が彼女を引き取ったという経緯がある。以来、主人公と実の家族のように接してきた。
その容姿は端麗。豊かな胸でブラウスは押し上げられ、コルセットスカートによって腰回りの細さが強調されている。長い金髪と真紅の瞳という容姿も相まって、その美しさは神秘的だ。主人公は妹として接しているが、女性としての魅力を感じている。
こうして見てみると、よく理性を保っているな、と感心してしまう程に魅力的だ。
蒼馬にとって一番身近なヒロイン。そして、好感度も最初から高い。
だが、その一方でゲーム上では攻略できるのは最終盤に当たる。
何故なら、このゲームにおいて彼女は重要な役割を果たすのだから――。
「はい、お待たせしました。蒼馬兄さん」
親しみを込められた呼び方に我に返ると、間近な距離でにこりとカルアが微笑んだ。その可憐な笑顔にまた目を奪われ――蒼馬は慌てて咳払いをする。
「ああ、うん――ありがとう。カルア」
「いえいえ、どういたしまして」
目の前に並んだ朝食はごはんに味噌汁、焼き魚にサラダといろとりどりだ。
(――こんな朝食、久々だ)
それに誰かに作ってもらうのも。
「いただきます」
手を合わせて箸を伸ばす。焼き魚をほぐし、ご飯と一緒に口に運ぶ。旨味と温かさが口の中から胸の芯に染みわたっていく。
「……美味い」
「ふふ、大袈裟ですよ。兄さん」
「そんなことないよ――美味い、本当に美味い」
まだよく現状が呑み込めず、もしかしたら夢かもしれない世界。
だけど、好きなヒロインの義兄になれて、手料理を味わっている。そのことに目頭が熱くなりそうだった。それを堪えながら味噌汁に口をつける。
これも出汁が利いていて美味しい。それを味わっていると、カルアも食べながら嬉しそうに目を細め、柔らかい口調で言う。
「いつも兄さん、美味しそうに食べてくれて嬉しいな」
「……そうだったか?」
「うん、いつも美味しい、美味しい、って言ってくれて。作り甲斐があるかも」
その言葉に内心で首を傾げる。一応、設定や前日譚が語られるファンディスクもやっているのだが、主人公はあまりそんな褒めている印象はなかった。
蒼馬が転生したことで、辻褄合わせが起きたのだろうか?
そんなことを考えながら朝食を噛みしめていると、カルアは目を細めながら訊ねる。
「ごはんのおかわりは?」
「……もらってもいいか?」
「もちろん。兄さん、今日はスキル診断とダンジョン研修だからね」
(ダンジョン研修……)
その言葉に思わず黙り込むと、カルアは目をぱちくりさせた。
「――あれ、違った?」
「……いいや、合っているよ」
「そうだよね。だからたくさん食べて精をつけないと」
カルアはそう言いながら蒼馬のお茶碗を受け取り、台所に軽やかな足取りで向かう。その後ろ姿を見ながら、小さく彼はため息をついた。
(――そうか。今のタイミングは本当にゲームの最序盤だから……)
時間軸で考えるとここはプロローグ――チュートリアルの前に当たるようだ。
ゲームの流れでは、これから主人公はダンジョン養成学院に登校し、そこでダンジョン研修を受けることになる。そこがチュートリアルになっており、ゲームシステムが解説されていく。日付を確認したときに分かっていたことだが、蒼馬は本当に最初、あるいはゲームが始まる直前で転生したようだ。
このままだと、ゲームの流れに沿ってきっと物事が起きていく。
そうなるとこの先待つのは――。
「はい、兄さん。お待たせ」
差し出されたお茶碗を反射的に受け取りながら顔を上げれば、カルアが満面の笑みを見せてくれる。その目を見つめながら、蒼馬は未来を予感する。
――この先、カルアは囚われの身になることになる。
公募ばかり熱心に参戦していましたが、今回はWeb小説向けに作品を書いてみました。
もしよろしければご覧いただければ幸いです。