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~常に感謝の心を刻み込め~
不光是是我一个人的成果,而是大家共同努力的结晶
僕だけの力だけじゃなく、 みなの努力の結晶だ。
努力の結晶、みんなの力のおかげで達成できた
。
このみんなで一緒に、協力して頑張れば、
一人で頑張るより、3人寄れば文殊の知恵、
1♡1≧2 効果で、
より力を発揮できると前々回で勉強し、
老湯♨の心構えでもある。
今回はその達成した成果に
あなたが助けをもとめたか、求めていないかにかかわらず、
貢献してくれた、すべての人に感謝することが大事、
ということ。
特に、もし、BOSSだったり、上の立場の人間なら、
この点は一層、注意する必要がある。
ただ、人は、もし繰り返し、同じことをされると、
それがとても、ありがたいことなのに、
感覚が麻痺して有難みを感じなくなるようだ。
当たり前すぎて、感謝の心を忘れてませんか?
老湯♨は高校時代、陸上部に所属していた。
毎朝朝練があって、7時ごろには学校に到着する必要があった。
群馬県前橋市の赤城山のふもとにある老湯♨家から
高校にいくには、
自転車に乗って、前橋駅へ行き、
電車に乗って桐生駅へ、徒歩10分で到着、
合計で1時間ちょっとぐらいの時間を要して
前朝高校へ通っていた。
なので、朝は5時半に起きて、5時55分ぐらいに
家から出発していた。
母は平日毎日、朝老湯♨より早く(5時?)に起きて、
朝ご飯つをくり、お弁当を持たせてくれた。
しかも母は老湯♨が出発したあと、
洗濯もの、掃除など家事を済ませた後、
昼間も春華へ仕事に
そして夜も仕事で帰宅するのは、
夜の9時ごろだ。
(高校時代老湯♨は大体8時ごろ帰宅)
今改めて考えると、申し訳ないぐらい、
働いていた母だが、その当時の老湯♨は、
母の苦労も知らず、
時には、今日の朝ご飯は、
これじゃなくて、他のが食べたい!
お弁当には、あの具を入れて!など、わがままや、
文句を言ったことも度々あった。
いわゆる反抗期だった、と言うこともあると思うが、
母は何も見返りを求めず、子供のためにやってくれた。
今振り返ると、
母に感謝の気持ちを持つことが、
高校時代の老湯♨には欠けていた。
老湯♨は大学は東京へ行き、一人暮らしを始めてから、
自分で家事や料理をすることによって、
初めて母のありがたみが理解できた。
仕事においても同様で、感謝の心を忘れていることはないだろうか?
実は、この大きな宇宙で、限りない時が流れる中で、
同じ場所で、同じ時間を過ごし、一緒に仕事をすることが
どれだけ奇跡的なことであることか。
人間毎日当たり前のことを繰り返しているとその有難みがを忘れていく。
そして失って初めて、その大切さに気付かされる。
当たり前のこと、あたりまえの幸せ、
ぜひいまいちど、感謝の心を意識してみる。
物事のに永遠なんてものはない。いつかはそれはなくなる。
そのはかなさを決して忘れてはならない。